IE9ピン留め

レームダッグ

全くお粗末としか言いようのない今の日本の政治の姿である。被災地の方々を始め多くの国民の不信感はますます深まっている。
首相と前首相というトップ二人の男の約束がこんな曖昧な話で成立したのだろうか・・・・それは、菅内閣不信任決議案が大差であっさり否決されたことである。あわや、民主党内の造反で不信任案成立かという緊迫した中で、一転したのは菅・鳩山会談で、一種の「手打ち」があったからだ。
菅首相は内閣不信任決議案の採決直前に退陣の意向を表明したことで、不信任決議案は否決された。しかし、否決後は、なお長期間、政権を維持する意欲をみせている。菅首相は2日、周辺に、鳩山氏に対しては「辞めるなんて言ってない」と話していたという。これに対して、鳩山氏は、菅首相の辞任は1か月後がメドとの認識で、3日朝も「もし約束が守られなければ、首相には辞めていただくよう導いていかなければならない」と強調している。退陣を求めて菅首相と直談判をした鳩山前首相は、3日午前、「内閣不信任決議案が出る直前には辞めると言い、それが否決されたら辞めないと言う。こんなペテン師まがいなことを時の首相がなさってはいけない。当たり前の話です」と話した。
「一定のメド」という言葉は、良い言葉ではない。まして、トップリーダーたる者の使う言葉ではない。追いて行く者は、はっきりしない言葉に迷ってしまう。そして、怒り心頭なのだろうが「ペテン師まがい」などという下品な言葉も出てきた・・・・およそ、一国の首相と前首相の言動とは思えない。菅首相も「あなただけには、言われたくない」と、言ってやれば良かったのに・・・・。さらに、鳩山氏は「不信任案に賛成しておくべきだった」とまで言い放った。こうなると、子供の喧嘩である。
最近、新聞に、京都国立博物館の調査により京都・大徳寺所蔵の「織田信長像」が、最初の絵を大幅に描き直したものであることが分かったと載っていた。この絵は、狩野永徳の筆と伝わる作品で、信長が没して2年後に表装されたそうだ。伝わる絵の裏側から見つかった最初の絵は衣装がずっと華やかで、脇に差す刀も1本多かった・・・・つまり、秀吉が修正を命じ、より地味に描き直したことになる。かっては、志を同じにして共に戦い抜いた間柄でも、天下を取ると前任者と現職の仲は、微妙に違ってくるのだろうか・・・・前と現首相も「ペテン師」と呼び、呼ばれる仲になってしまった。
「メド」という言葉が示すように、鳩山氏が首相と交わした確認文書には、退陣時期は明記されていなかったらしい。「第二次補正予算の早期編成のメドをつけること」とあるだけで、そもそも、玉虫色の合意だったらしい。いかにも、「ソフトクリーム」というニックネームが示すような詰め甘い鳩山氏と、その場しのぎの「場当たり的」菅首相らしい合意だった。それ以上に、問題なのが、菅首相の不誠実な態度である。「退陣表明」は、不信任を切り抜け、延命を図る方便だったように受け止められても仕方ないだろう。
枝野官房長官も、3日の会見で「それぞれの認識に残念ながらギャップがあったことは、大変残念なことだ」菅首相の辞任のタイミングについては「まさに首相の専権事項だ」と述べるにとどまった。

4日になって、菅首相が夏までに退陣するという見方が強まったらしい。菅政権幹部は一斉に、早期退陣に言及し始めた。枝野官房長官の4日のテレビ番組で「(首相には)そんなに長く居座る気持ちはない。避難住民の帰宅を見極めるまで首相を続けるつもりがないのは、はっきりしている。(9月前半に首相の訪米が予定されているが)首相は自分が(日米首脳会談に)出るとの趣旨(の言葉)は言っていない」と、語ったことは、首相の首に鈴をつけるねらいがあったのではないだろうか・・・・。
しかし、鳩山氏や小沢氏グループでは「夏になれば、首相は『辞めるなんて、俺はそんなことは言っていない』と言うに違いない首相本人の口から明示されない限り信用出来ない」との声が上がっているそうだ。首相への不信感はそれほど強いのである。
石原慎太郎都知事は3日の記者会見で、内閣不信任決議案が否決されたことについて「国民から見るとばかみたいななれ合いというか、ああいう結果になった」と感想を述べた。都知事はまた、菅直人首相が東日本大震災対応に一定のめどをつけた後、退陣する意向を表明したことに「一定のめどと言ったら正確に言ったら2年先、任期満了だ。決まっている」早期退陣の可能性は低いとの見方を示した。そして、次期首相にふさわしい政治家として「与党では亀井静香(国民新党代表)がいい。パッと世の中が変わる」と強調した。自身への待望論については「ちょっと年を取りすぎている」と言っていた。

菅首相は、歴代の退陣を迫られた竹下氏、宇野氏、細川氏、森氏らから比べると、首相の座への執着は人一倍強いような気がする。彼は、3回落選して4回目で当選した。普通は、3回落選すると、諦める人が多いという。市民派であり、二世議員ではなく、4選目に挑戦し自分の力で首相の座を得た、言わばたたきあげである。だから、夢に見た首相の座には執着があるのだろう。

3日までは、こうした民主党の混乱に、自民党・小池百合子総務会長は「死に体政権に対し、それ以上の協力はできない」と話していたが、4日には、自民党・石原幹事長は、首相退陣後には「年内や(来年)春など期限を区切って協力し、国難に立ち向かう。自民党からから閣僚が入る大連立でもいいし、閣外から協力する形でもいい」と述べている。
こうした民主党の混乱に、自民党など野党側はさらに対決姿勢を強めていく考えらしい。自民党・そんな中で、北澤防衛大臣は、5日夕方、シンガポールから帰国したあと、記者団に対し、 首相の退陣時期について、新しい民主党の代表の選出に必要となる期間を考慮すれば、9月以降になるという認識を示した。しかし、8月でもごたごたしているのに9月以降なんて言うのはどうかしているのではないだろうか・・・・その内に、民主党が崩壊してしまうだろう。そして、世界は、時期などどうであれ、退陣を表明した首相を相手にするほど甘くはない。9月予定されている日米首脳会談もおそらく実現しないだろう。米国大統領は、退陣する首脳と会談を持つほど暇ではないはずだ。

管政権は、レームダックと言われるようになった。これは、アメリカのスラングで「足の悪いアヒル」というのが本来の意味であり、選挙に落選した議員が残りの任期を勤めている様子を(ちゃかして)いう言葉である。つまり、「もう影響力がないやつ」ということだ。
今回の菅おろしに関しては、野党では自民・公明の不信任案提出はもとより、与党内では鳩山、小沢の意志と行動が強く働いた。当然ながら民主党内の後継人事は、鳩山とその影の小沢の意向を無視しては進まないはずだ。レームダックになった現執行部の思惑なんて一蹴されて終わりである。もちろん民主党内の左派グループはそれじゃ困るからいろいろ小技を画策するだろう。まだまだ民主党内では、密室でいろいろな駆け引きがあって、いろんな名前が出てきそうである。案外、石原都知事が言うように、誰にとっても一時的なハーフ・タイムになる亀井氏の可能性はあるかも知れない。村山首相の例もある通り、連立政権の首相は大きなグループより、小さなグループから出したほうがやり易いのである。
読売新聞の朝刊の“USO放送”で「首相へ 昔→『もう帰るんですか』 今→『まだいるんですか』・・・避難所」と載っていた。そして、時事川柳には「鳩が出て 首尾よく いったためしなし」というのもあった。これまで政局のパフォーマンスを、ズバリ表現している。国民のほうが一枚上手である。

最近、鳩山氏・・・「ルーピー」、管氏・・・「ペテン師 」、枝野氏・・・「FA」と言われているらしい。
ルーピー鳩山の由来は、首相4月14日付けのアメリカ・ワシントンポストが、4月13日から開幕した核安全保障サミットでの鳩山由紀夫首相を、「hapless and increasingly loopy Japanese Prime Minister Yukio Hatoyama(哀れでますます頭のおかしい日本の鳩山由紀夫首相)」と酷評したことからだ。米国の言うルーピー鳩山・・・・「退いた首相は、出しゃばらない方が良い」と言ったのは誰だったけ?
菅氏は、鳩山氏にペテン師呼ばわりされたことによる。枝野氏のFAは、ファイナル・アンサーである。そう言えば、彼は、一日の最後に出てき来て、首相の女房役の官房長官として政府の説明や首相答弁の弁解をしていた。最近では、首相の早期退陣を促すような発言もしている。

今日8日で、菅政権発足からまる1年を迎えた。退陣を表明した菅首相は、在職日数では小泉政権の後で最も長かった安倍元首相の366日に並んだというから、在職日数では2番目になるのは間違いない。これで2番目だというのだから、本当に小泉政権後の日本の首相のだらしなさが浮き彫りである。

最近、首相擁護の岡田幹事長、枝野官房長官の発言も変わってきている。もはや、与党内でも早期退陣が当然のように多くの人たちが囁き、行動し始めている。岡田幹事長は首相退陣後の大連立を語り、仙石氏は、首相に見切りをつけて動き始め、「ポスト菅」に浮上しているという。
小泉政権後、2番目に長かったことになるであろうこの政権も、掛け声ばかりだった課題と共に濁流の真っ只中に、今、“漂流”している。

# by pubfujiya | 2011-06-08 15:44

14年前の告発

日々報じられる被災地の状況は、信じがたいものばかり・・・・船が丘を走り、クルマが海に泳ぐ。あり得ぬことが現実となり、自然はかくも冷酷かと思うことばかりである。海に向って「お母さん」「お母さん」と泣いて探す小学生の女の子の姿は、ただただ涙ばかりであった・・・・。
そして、被災者に追い打ちをかけるような福島の原発事故、しかし、これは天災ではなく、人災の様を呈してきたようである。

東京電力が16日公開した福島第1原発事故に関する膨大なデータによって、地震と津波で同原発が冷却機能を失う過程と、対応に追われる現場の混乱した状況が明らかになった。事故から2カ月以上たち、ようやく表に出てきたデータである。東京電力福島第1原発1号機で地震直後、非常用冷却装置が津波の到達前に停止していたことが、この初期データから分かった。従来、同装置は津波到達までは動いていたと考えられ、東電も15日公表の解析結果の前提を「津波で機能喪失」としていた。東電は「冷却装置によって炉内の圧力が急激に低下したため、手動でいったん停止したとみられる」と説明した。津波が到達する中、こうした操作を繰り返すうちに冷却機能喪失に至ったのではないか・・・・しかし、このような原発の危うさを予言したかのような文言が、約14年前にあった。

私は、インターネットで原発を検索していたら、1級プラント配管技能士として数々の原発建設へ携わり、1997年に癌で逝去された平井憲夫さんの原発の実態について貴重かつ驚愕の文言に出会い衝撃受けた。彼は、20年間原子力発電所の現場監督として働いていた・・・・言わば内部告発である。大地震後の原発事故から、「原発」がネットで検索され、かなりのアクセスで、故人だが話題になっている。原発関係者からは、かなりの批判もでており、彼の「原発がどんなものか知ってほしい」は知る人ぞ知るネット上の怪文書だという人もいる。しかし、素人には、どこまで本当なのか解らないとしても、今回の原発事故の状態から見れば あながち嘘を書いているとは思えない。遅きに失する感はあるが、ぜひ、ご覧になることをお勧めする。原発のその恐ろしさがよくわかる。
http://www.iam-t.jp/HIRAI/pageall.html#page20

その驚愕の文言には、福島原発 という文字が何度も出てくる。そして、それは、今回の事故の後に、書いたのか思ってしまうくらいの内容である。しかし平井さんは、もう10年以上前に亡くなっている。この告発文は、当時も色々言われたのだろうが、今でも平井さんはネット上で、「本を売るためについた嘘が大半の内容」と一部の人に言われ、批判を浴びている。 しかし、今後、この核のゴミや大変な災害問題は、平井さんの予想通り進んでいくのではないだろうか・・・・。
まず、この平井さんのことを、彼自身の言葉で紹介すると、「原発について、設計の話をする人はたくさんいますが、私のように施工、造る話をする人がいないのです。しかし、現場を知らないと、原発の本当のことは分かりません。私はプラント、大きな化学製造工場などの配管が専門です。20代の終わりごろに、日本に原発を造るというのでスカウトされて、原発に行きました。一作業員だったら、何十年いても分かりませんが、現場監督として長く働きましたから、原発の中のことはほとんど知っています」
「原発の建屋の中は、全部の物が放射性物質に変わってきます。物がすべて放射性物質になって、放射線を出すようになるのです。どんなに厚い鉄でも放射線が突き抜けるからです。体の外から浴びる外部被曝も怖いですが、一番怖いのは内部被曝です」
「私はその内部被曝を百回以上もして、癌になってしまいました。癌の宣告を受けたとき、本当に死ぬのが怖くて怖くてどうしようかと考えました。でも、私の母が何時も言っていたのですが、“死ぬより大きいことはないよ”と。じゃ死ぬ前になにかやろうと。原発のことで、私が知っていることをすべて明るみに出そうと思ったのです」
「原発がどんなものか知ってほしい」には、日本の原発の現状について、空恐ろしいことが彼自身の言葉で語られている。

その、生々しい文言の幾つか抜粋してみる。
●素人が造る原発
「原発でも、原子炉の中に針金が入っていたり、配管の中に道具や工具を入れたまま配管をつないでしまったり、いわゆる人が間違える事故、ヒューマンエラーがあまりにも多すぎます。それは現場にプロの職人が少なく、いくら設計が立派でも、設計通りには造られていないからです。机上の設計の議論は、最高の技量を持った職人が施工することが絶対条件です。しかし、原発を造る人がどんな技量を持った人であるのか、現場がどうなっているのかという議論は1度もされたことがありません」
「日本の原発の設計も優秀で、二重、三重に多重防護されていて、どこかで故障が起きるとちゃんと止まるようになっています。しかし、これは設計の段階までです。施工、造る段階でおかしくなってしまっているのです」
「また、原発には放射能の被曝の問題があって後継者を育てることが出来ない職場なのです。原発の作業現場は暗くて暑いし、防護マスクも付けていて、互いに話をすることも出来ないような所ですから、身振り手振りなんです。これではちゃんとした技術を教えることができません。それに、いわゆる腕のいい人ほど、年問の許容線量を先に使ってしまって、中に入れなくなります。だから、よけいに素人でもいいということになってしまうんです。」
●放射能垂れ流しの海
「冬に定検工事をすることが多いのですが、定検が終わると、海に放射能を含んだ水が何十トンも流れてしまうのです。はっきり言って、今、日本列島で取れる魚で、安心して食べられる魚はほとんどありません。日本の海が放射能で汚染されてしまっているのです。
 海に放射能で汚れた水をたれ流すのは、定検の時だけではありません。原発はすごい熱を出すので、日本では海水で冷やして、その水を海に捨てていますが、これが放射能を含んだ温排水で、一分間に何十トンにもなります。
 原発の事故があっても、県などがあわてて安全宣言を出しますし、電力会社はそれ以上に隠そうとします。それに、国民もほとんど無関心ですから、日本の海は汚れっぱなしです」
●廃炉も解体も出来ない原発
「具体的な廃炉・解体や廃棄物のことなど考えないままに動かし始めた原発ですが、厚い鉄でできた原子炉も大量の放射能をあびるとボロボロになるんです。だから、最初、耐用年数は十年だと言っていて、十年で廃炉、解体する予定でいました。しかし、一九八一年に十年たった東京電力の福島原発の一号機で、当初考えていたような廃炉・解体が全然出来ないことが分かりました。このことは国会でも原子炉は核反応に耐えられないと、問題になりました。この時、私も加わってこの原子炉の廃炉、解体についてどうするか、毎日のように、ああでもない、こうでもないと検討をしたのですが、放射能だらけの原発を無理やりに廃炉、解体しようとしても、造るときの何倍ものお金がかかることや、どうしても大量の被曝が避けられないことなど、どうしようもないことが分かったのです」
「放射能がある限り廃炉、解体は不可能なのです。人間にできなければロボットでという人もいます。でも、研究はしていますが、ロボットが放射能で狂ってしまって使えないのです。結局、福島の原発では、廃炉にすることができないというので、原発を売り込んだアメリカのメーカーが自分の国から作業者を送り込み、日本では到底考えられない程の大量の被曝をさせて、原子炉の修理をしたのです。今でもその原発は動いています。
最初に耐用年数が十年といわれていた原発が、もう三〇年近く動いています。そんな原発が十一もある。くたびれてヨタヨタになっても動かし続けていて、私は心配でたまりません」
●どうしようもない放射性廃棄物
「原発を運転すると必ず出る核のゴミ、毎日、出ています。低レベル放射性廃棄物、名前は低レベルですが、中にはこのドラム缶の側に五時間もいたら、致死量の被曝をするようなものもあります。そんなものが全国の原発で約八〇万本以上溜まっています。
日本が原発を始めてから一九六九年までは、どこの原発でも核のゴミはドラム缶に詰めて、近くの海に捨てていました。その頃はそれが当たり前だったのです。私が茨城県の東海原発にいた時、業者はドラム缶をトラックで運んでから、船に乗せて、千葉の沖に捨てに行っていました。しかし、私が原発はちょっとおかしいぞと思ったのは、このことからでした。海に捨てたドラム缶は一年も経つと腐ってしまうのに、中の放射性のゴミはどうなるのだろうか、魚はどうなるのだろうかと思ったのがはじめでした。現在は原発のゴミは、青森の六ケ所村へ持って行っています。全部で三百万本のドラム缶をこれから三百年間管理すると言っていますが、一体、三百年ももつドラム缶があるのか、廃棄物業者が三百年間も続くのかどうか。どうなりますか」
●プルトニウの危険性
「プルトニウムがもんじゅには約一・四トンも使われています。長崎の原爆は約八キロだったそうですが、一体、もんじゅのプルトニウムでどのくらいの原爆ができますか。それに、どんなに微量でも肺ガンを起こす猛毒物質です。半減期が二万四千年もあるので、永久に放射能を出し続けます。だから、その名前がプルートー、地獄の王という名前からつけられたように、プルトニウムはこの世で一番危険なものといわれるわけですよ。普通の原発で、ウランとプルトニウムを混ぜた燃料(MOX燃料)を燃やす、いわゆるプルサーマルをやろうとしています。しかし、これは非常に危険です。分かりやすくいうと、石油ストーブでガソリンを燃やすようなことなんです。原発の元々の設計がプルトニウムを燃すようになっていません。プルトニウムは核分裂の力がウランとはケタ違いに大きいんです。だから原爆の材料にしているわけですから」
「原発自体についても、国は止めてから五年か十年間、密閉管理してから、粉々にくだいてドラム缶に入れて、原発の敷地内に埋めるなどとのんきなことを言っていますが、それでも一基で数万トンくらいの放射能まみれの廃材が出るんですよ。生活のゴミでさえ、捨てる所がないのに、一体どうしようというんでしょうか。とにかく日本中が核のゴミだらけになる事は目に見えています。早くなんとかしないといけないんじゃないでしょうか。それには一日も早く、原発を止めるしかないんですよ」

彼は、原発は人々が思っているようなものではなく、毎日、被曝者を生んで電気をつくり、大変な差別をもつくっているものでもあると1996年に言っていた。福井県の敦賀で二十数年間育った女性たちは、原発の周辺では白血病の子どもが生まれる確率が高いということで、結婚に反対されたり、破談になったりすることもあったらしい。例えば、私たちにしても、原発で働いている男性と自分の娘と、原発の近くで育った女性と自分の息子の結婚を心から喜べるだろうか・・・・。
私たちは福島原発の今後の処理を見守ることしか出来ないが、彼の告発文を読むと、最終処理には悲観的にならざるを得ず、農産物、家畜、海産物、お茶にまで危険性が及んでくると、手遅れのような気もしてくる。

日本の権力者は、経済的理由から「パンドラの箱」を作ってしまった。そして、天罰なのか、はたまた神の怒りか、自然が「パンドラの箱」を開けてしまった。しかし、「パンドラの箱」の底には「希望」が残っていた・・・・人類が作り自然が開けたこの「パンドラの箱」の底に残っているかもしれない「希望」が何であるのか、世界中で考えなくてはいけない時が来ている。

# by pubfujiya | 2011-05-17 17:31 | エッセイ

TARO

今年生誕100年を迎えた岡本太郎展が、東京国立近代美術館で開催されている。そして、今、再び彼がブレイクし脚光をあびている。
岡本太郎といえば、1970年の大阪万博のシンボル≪太陽の塔≫、そして「芸術は爆発だ」をはじめとするインパクトにみちた発言、数々のテレビ出演など、20世紀後半の日本において、最も人気のあった芸術家である。1996年に没してからも、長年彼の秘書を務め養女となり、実質的には妻でもあった岡本敏子の尽力で、再び若い世代を中心に、彼に関心をもつ人々が増えてきている。1998年には生前のアトリエが岡本太郎記念館として公開され、1999年には川崎市岡本太郎美術館が開館、さらに近年は巨大壁画≪明日の神話≫がメキシコで再発見されて2008年に渋谷に設置されるなど、彼の話題は尽きない。

今、日本は大災害に見舞われ、苦悩や悲しみに満ち満ちているこのときだからこそ、彼の力強さや何事に対決してゆく姿勢が見直されているのだろう。岡本太郎の人生はまさに「対決」の連続だった。没後は、彼のポジティブなエネルギーが強調されることが多いが、生前の彼は、さまざまな既成の価値観に鋭く「否」を突きつけていたのである。つまり、彼の作品の「ノン」が表すように・・・・それによって、ときには煙たがられたり、冷笑されたりしたことは、あまり語られていない。彼を評価するには、単に受け身の姿勢でその元気をもらうばかりではなく、彼の発した批判や対決の姿勢は、私たち自身にも向けられたものとして正面から受け止めることも必要なのではないだろうか。
この『岡本太郎展』では、「7つの対決によって構成されている。
①ピカソとの対決・・・「ピカソが今日我々をゆり動かす最も巨大な存在であり、その一挙一動が直ちに、歓喜・絶望・不安である、ならばこそ、敢て彼に挑み否定し去らなければならないのだ」と、彼は言った。
②「きれい」な芸術との対決・・・日本の美術界の旧態依然とした状況を「絵画の石器時代」と呼んで否定した。著書に「今日の芸術は、うまくあってはいけない。きれいであってはならない。ここちよくあってはならない。」と書き、美術界に衝撃を与えた。
③「わび・さび」との対決・・・人々が日本の伝統という名で重んじてきたものをことごとく攻撃し、それまで、考古資料でしかなかった縄文土器に、積極的な美を見出した。
④「人類の進歩と調和」との対決・・・彼自ら「ベラボーなもの」と言い、テーマに真っ向から対立するかのような、パワーのみなぎるモニュメント《太陽の塔》を作り上げた。最初は、近未来的なパビリオン群の中で巨大な異物と見られた。
⑤戦争との対決・・・渋谷駅を行きかう人々を見下ろしている長さ30mの巨大壁画《明日の神話》は、原子爆弾に焼かれる人々と、その悲劇を超えてゆく人間の力を表したものだという。ワシントンポスト紙への意見広告に「殺すな」の文字を書いた。
⑥消費社会との対決・・・美術作品を限られた人だけのものとせず、誰の眼にも触れることのできるように、岡本は積極的に壁画や野外彫刻を制作した。
⑦岡本太郎との対決・・・晩年「眼」を描いた絵が多くなってきた。自分を見つめる眼なのかもしれない。作品の「眼」たちに見つめ返されたとき、彼の孤独な闘いに気付く。

私が、彼を始めて見たのは、小学生のころであった。確か、NHKテレビの「私の秘密」だったと思うが定かではない。クイズ形式の番組で、回答者の一人である彼は何を答えても外れていた。私には、頭の悪いおかしなおじさんに見えていた。ところがどうして、彼の経歴は絢爛としたものであり、美術だけでなく、哲学・社会学・民族学を学び、語学も堪能だったという。ピカソや、セザンヌ、ダリなどその豪華な親交には、眼を見張らされる。
慶応義塾の幼稚舎から慶応義塾普通部(当時は中高一貫教育校)を卒業し、東京美術学校(現在の東京藝術大学)に入学する。幼いときより、堂々と正論を言い放ち、権力に屈することを嫌い、伝統に対決してゆく姿勢は、当時、先生にも生徒にも嫌われ体罰やいじめを受けたそうだ。
彼は、過酷な戦争体験を持つ・・・・1942年1月に二等兵として、中国奥地に送り込まれた。彼自身この体験を「冷凍された5年間」と言う。なにせ、敵国フランス帰り、しかもアヴァンギャルド芸術などというわけのわからない〝危険思想〟の持ち主として、上官のいじめの格好の餌食となり、理由なく殴られる日々だったという・・・・。

1911(明治44)年 漫画家・岡本一平と歌人で小説家の岡本かの子の長男として川崎に生まれる。
1929(昭和4)年 東京美術学校に入学するが、まもなく中退。
1930(昭和5)~1940(昭和15)年 パリに滞在し、数々の芸術運動に参加する一方、パリ大学で哲学・社会学・民族学を学ぶ。ジョルジュ・バタイユらと親交を深める。
1941(昭和16)年 帰国後、二科会に滞欧作品を特別展示。銀座三越にて個展。
1942(昭和17)~1946(昭和21)年 現役初年兵として兵役ののち、一年間の収容所生活をへて復員。
復員後、創作活動を再開、前衛芸術の旗手として次々と話題作を発表した。
1952(昭和27)年 縄文土器論を発表。
1953(昭和28)年 パリ、ニューヨークで個展。
1954(昭和29)年 ヴェネツィア・ビエンナーレに日本代表として出品。
1959(昭和34)年 旧東京都庁舎壁画により国際建築絵画大賞を受賞。
1961(昭和36)年 『忘れられた日本〈沖縄文化論〉』を出版、毎日出版文化賞受賞。
1970(昭和45)年 日本万国博覧会のテーマ館館長およびプロデューサーとして《太陽の塔》等を制作。
1981(昭和56)年 「芸術は爆発だ」の名台詞でCMに出演。
1996(平成8)年 急性心不全により死去(享年84歳)。
1998(平成10)年 生前のアトリエが岡本太郎記念館として開館。
1999(平成11)年 川崎市岡本太郎美術館開館。
2008(平成20)年 渋谷に壁画《明日の神話》設置。

彼の母はあの有名な岡本かの子である。私は以前、瀬戸内寂聴さんの「かの子繚乱」という小説を読んだことがある。彼女は、感情を無邪気に無防備にさらけだす童女のような〝女〟そのものである。太郎自身も「少なくとももの心ついてから、お母さんを持っていたという気がしないのである」と、言っている。母親の標準規格から大きく外れたかの子の強烈な存在感を刷り込まれた太郎は、間違いなく〝真正マザコン〟だっただろう。

彼の作品はテレビや雑誌ではいくつも見ていたが、実際に自分の目で見て、自分の手で触れてみたのは、「奥入瀬渓流ホテル」だった。ロビーの奥にあるラウンジある対極になっている大作である。
二つの暖炉の上に巨大な細長い釣鐘のようなものが下がっていた。その二つは「森の神話」(1990年 ブロンズ製 高さ8.5メートル・重さ5トン)と、「河神」(1996年 アルミ合金製 高さ10メートル・重さ7トン)と名付けられている。
「森の神話」は、男性神で、優雅に激しく流れる渓流と、その流れにころころと流され転がる石ころ、巨大な樹木と目を光らせ疾風する獣、鳥は飛び交い歌い交わす下では茸もニコニコ笑い、てっぺんでは冠をつけた鳥の王様が優雅に舞い、そこでは人間や森の妖精も踊っている。夜になり、暖炉に火が入ると「夜の森」を 彷彿とさせるのだが、とにかく、圧倒される力強さと自然の永遠性を感じたのである。
「河神」は、女性神で、水の流れに踊るのが7体のニンフたち、奥入瀬渓流の水しぶきたちが、岩にあたって妖精になってウネっている。これは、妖精たちの伸びやかな美しいラインがとても美しい。これが LAST TARO(遺作)となったそうだ。私は、触れる芸術に、すっかり感動してしまい、それ以来、彼の作品の大ファンになり、また、再びこのホテルにも足を運んだのだった。

彼は、誰もがお金を払わずに芸術に触れられる機会をたくさん作りたいという思いが強かったようで、とりわけ晩年は地方に広く根を張っていたようだ。彼は生涯、作品を売ろうとしなかったそうだ。芸術は大衆のもの・・・・それが彼の芸術観の核心だったのである。アートマニアや金持ちの財産となって、部屋や倉庫に入れられて二度と大衆の前に出てこない・・・・芸術は大衆のものであり、銀行預金ではないという考えだったため、ほぼ全ての作品は手元にあった。そして、1枚でもいいから譲って欲しいと粘る川崎市に「売るのはいやだから、やる」と、生前、それら作品をそっくり川崎市に寄贈したのだそうだ。
生活は、絵を売ることなく、講演をしたり、原稿を書いたり、テレビに出たりでしていたそうだ。

1980年に、東京国立近代美術館で彼の作品が暴漢によって鉄パイプで破られるという事件があったが、彼のポリシーは永遠に変わらなかった。
「触られても構わない。芸術はありがたがって拝むものじゃない。ケースに入った作品など訴えかけてくるものがない」(作品をガラスケースに入れることを嫌っていた)
「切られて何が悪い! 切られたらオレがつないでやる。それでいいだろう。子供が彫刻に乗りたいと言ったら乗せてやれ。それで、もげたらオレがまたつけてやる。だから、さわらせてやれ」(川崎市岡本太郎美術館の設計するとき、あくまでも露出展示にこだわった)
被災者の皆様にも彼の名言を一言、「逃げない、はればれと立ち向かう、それがぼくのモットーだ」

母かの子が、「繚乱」(入り乱れるさま、花が咲き乱れるさま)なら、彼もまた「繚乱」な人生を歩んだのではないだろうか・・・・。

# by pubfujiya | 2011-04-30 16:27 | エッセイ

3月12日

東日本大震災はから1ヶ月が経った。管政権の政治の対応はどうだっただろうか・・・・危機の時こそ、先ずは存在する組織を最大限に動かさなければいけないのに、官僚を排除することが「政治主導」と勘違いしているのか、後手後手に回ってしまった。それを補おうとしたのか、矢継ぎ早に節電啓発担当の大臣、ボランティア担当の首相補佐官、原子力や危機管理、情報処理担当の内閣官房参与など人事を発令した。司令塔が明確でなく組織が伴わなければただ混乱するだけである。
東京電力の福島第1原子力発電所の事故で、原子力安全・保安院は12日、国際的な基準に基づく事故の評価を、最悪の「レベル7」に引き上げると発表した。「レベル7」は、旧ソ連で1986年に起きたチェルノブイリ原発事故と同じ評価である。

大震災から一夜明け、東京電力福島第一原発の危機的状況が明らかになった12日午前9時前、米太平洋軍のウィラード司令官は、折木良一統合幕僚長に電話して、「ワシントンから原発の情報提供を求めるよう言われた。フクシマは安全か?」と、聞いたそうだ。
しかし、自衛隊にも詳しい情報はなく、「専門家が情報分析中だ。結果が出れば提供する」と答えるしかなかったそうだ。同日午後、ウィラード司令官が心配したように1号機が水素爆発し白煙が上がった・・・・国内外に衝撃が走った。
「米国の原子力の専門家を支援に当たらせる。首相官邸に常駐させたい」と、ルース米駐日大使は枝野官房長官らに何度も電話をかけたそうだが、彼は「協力はありがたくお願いしたい。ただ、官邸の中に入るのは勘弁してほしい」と条件をつけた。
この日本側の反応の鈍さについて、米政府関係者は「当初、原子炉冷却用のポンプ車の提供を申し入れたが、いらないと断られた。しかし、その後使うことになった」と証言している。別の米政府関係者も「日本は手伝ってもらうことはない、という態度だった。だが、実際には、米国は危機管理能力がある。日本人は気付かないようだが、米国は核兵器のための原子炉も持っている」と、指摘する。実際、米国は2001年の9・11同時テロの経験を踏まえ、国内104基の原発に何重もの電源を配備する対策を進めていた。
米国は今回の事故にも即座に反応した。天災と人災の違いはあれ電源確保という目標は共通だからである。米国は9・11に匹敵する事態とし、米原始力規制委員会(NRC)や国務省24時間態勢の監視を始めていた。米国の目には手をこまねいている管政権は危機感が薄いように映っていたのか、来日していたNRCの専門家は「日本政府は一体、誰が決めているんだ」と不満をぶつけたという。

この事故は、3月12日がカギだった。この日の米国の申し出を断っていなかったら事態は違っていたかもしれない。政府は東電と消防で解決できると思っていたところに甘さがあった。「想定外」という言葉を連発したが、天災や原子力に「想定外」は通用しない。原発が停電になったら自家発電以外発電装置が無かったというのも驚きである。「想定外」を予測して、米国のように何重もの電源を配備するべきであった。
3月11日午後10時、経済産業省原子力安全・保安院から管首相に伝えられた見通しは「恐怖のシナリオ」だったに違いない。
22時50分    炉心露出
23時50分    燃料被覆管破損
24時50分    燃料溶融
27時20分    原子炉格納容器設計最高圧到達
保安院の報告の最後にはこう書かれていた・・・・「格納容器ベントにより放射性物質放出」
電源を絶たれ冷却機能を失った原発は、炉内で露出した燃料棒が高温になって溶け、放射性物質が炉外に漏れ出す「炉心溶融」を起こす。回避するには電源を回復して冷却機能を取り戻すか、原子炉内に水を注入して炉心を冷やすしかない。できなければ発生する水蒸気で炉内圧力が高まり原子炉が損壊する・・・・そんな最悪のシナリオが翌朝未明以降の起こるという驚愕の内容だった。
11日夕には必要性が認識されていた1号機のベントは実行まで何故15時間もかかったのか・・・・。(ベントとは高濃度の放射性物質を含む炉内の水蒸気を圧力調整弁により、意図的に外部に放出して原子炉の崩壊を防ぐ、いわば非常時の「禁じ手」である)ちなみに過去、日本で行われた例はない。

12日午前0時45分「1号機の格納容器の圧力が異常に上昇」・・・・保安院は、海江田経済産業省に報告した。午前1時過ぎ、圧力は設計値の1,5倍に達し原子炉は極めて危険な状態になっていた。管首相を始め政府は「早期にベントを行え!」と矢の催促をしたが、電源が失われているため、弁の開閉を自動から手動の切り替えようとしたが、暗闇で作業は進まなかった。
12日の早朝に、パフォーマンスだか何だかわからないが、管首相の現地視察で、「首相に被爆の危険が及ぶことに配慮し、東電のベントが遅れたのではないか」との指摘もあるらしい。12日午前7時過ぎに視察で現地に到着した管首相は、まだベントをしていない東電に「悠長なことを言っている場合か!」と怒りを爆発させたそうだ。結局東電が1号機のベントに踏み切ったのは、その3時間後の同日午前10時17分・・・・その約5時間後、1号機は水素爆発を起こし、建屋が吹き飛んだのである。

ベントが遅れたのは、電源を失って弁の自動開閉ができなくなったことや、手動に切り替えてからの弁の解放に手間取ったのが主な原因とみられているが、この日東電のトップ二人が不在だったことも意思決定に影響を与えたのではないかという見方もある。地震発生当時、東電の勝俣会長は北京に、清水社長は関西に出張中・・・・本店はトップ不在の中、非常災害対策本部を立ち上げ、藤本副社長が本部長代行で発足したのである。ベントをすれば、放射能汚染の可能性があり、企業としての責任を問われる重大事態であり、多額の賠償が発生する。炉心への海水注入も、廃炉覚悟のことであり、廃炉となれば1基1000億規模の費用が発生する。株式会社である東電では、株主への十分な説明が求められる重要な経営判断となる・・・・本部長代行では、無理は判断だったのだろう。
勝俣会長はすぐ日程をとりやめたが、地震の影響で成田空港が使えず帰国は12日になり、本店に到着したのは午後4時前だった。清水社長は鉄道も飛行機も使えず、ヘリもすぐには工面できず、本店に入ったのは、12日の午前中になったという。東電は11日夜から、官邸などからベント実行を度々迫られたが、しかし、実行は清水社長が帰った12日午前10時17分だった・・・・その約5時間後、1号機は水素爆発を起こし、建屋が吹き飛んだ・・・・ベント実施は遅すぎた。炉心を冷やす海水注入も開始は12日午後8時過ぎ・・・・勝俣会長の帰国後だった。

東電や保安院は、1号機の爆発後、原子炉が不安定だった2号機の対応などに追われていた。この頃から次々に襲ってくる「目の前の危機」への対応に追われ、後手後手に回っていったことがうかがえる。原発の暴走はこの後、さらに予期せぬ「想定外」の深刻な事態を招くことになっていった。

今回のこの震災で米国の対応の迅速さには目を見張るものがあった。11日午後5時頃、在日米軍司令部がある横田基地での会議で日本語の堪能な陸軍大佐ら4人を第一陣として、防衛省オペレーションルームに派遣することを決めた。日本の東方約1500キロの西太平洋にいた原子力空母「ロナルド・レーガン」は予定を急きょ取り止め、三陸沖へ針路を向けた。長崎佐世保基地に停泊していた揚陸艦「トーテュカ」は上陸用舟艇を積み込み、地震発生の数時間後には出港した。マレーシア・コタキナバルに寄港中だった強襲揚陸艦「エセックス」は支援物資を積み込み始め、シンガポールにいた海軍第7艦隊の指揮艦「ブルーリッジ」でも、全員に船に戻るよう命令が下ったそうだ。
沖縄嘉手納基地所属のヘリ4機も12日午後、日本から要請されたら直ちに動くために、横田基地に到着したという。

「大統領を起こしてくれ!」・・・・3月11日、米東部時間の未明、日本の大震災の一報は、ルース駐日米大使から就寝中のオバマ大統領の耳に直ちに届けられていた。
12日午前0時15分、オバマ大統領が菅首相との電話会談で「あらゆる支援を惜しまない」と全面支援を表明し、最大約2万人を動員しての米軍「トモダチ作戦」が始動した。
民主党政権誕生以来「きしみ」が目立っていた日米同盟は、今回の震災で同盟の意義と重要性を改めて認識する契機となったのは間違いないようである。

# by pubfujiya | 2011-04-13 13:22 | エッセイ

大震災で見えたもの

3月11日、東北の太平洋沿岸で、国内の観測史上最大のマグニチュード9.0の巨大地震があり、宮城県で震度7の非常に激しい揺れを観測し、太平洋沿岸の各地が大津波見まわれた。地震と津波によって岩手県や宮城県、福島県の沿岸部は壊滅的な被害を受けている。宮城県南三陸町などでは戸籍を電子化して保存していたが、今回の地震で庁舎全体が壊滅状態となったために、未だに、犠牲者の数も正確には掴めていない。
私は、あのとき思わず外に飛び出したが、足の裏に伝わった地面のムクムクという感触は、今まで経験したことの無いものだった。

川を遡った津波が田畑を呑み、家屋や車を押し流して行く・・・・「もしかして、あの家に人が…」「もしかして、あの車に人が…」と、息を呑んで見ていた。
倒壊した家屋の下で、あるいは泥流に孤立して、夜を迎えた人々は、恐怖と、寒さと、空腹に耐えているだろうと思うと身震いするほどだった。
テレビは連日何回もこの津波の映像を流していた。あの流れの下に何千何百の人の命が呑み込まれている瞬間だと思うと、マスコミの報道のやり方に腹立たしささえ覚えるのは私だけだろうか・・・・さらに、追い討ちをかけるように、東京電力福島第一原発で事故が起きた。放射能についても過激な報道が目立った。よく知ると、私たちが医療などであびている放射能よりずっと低い数値であるのもかかわらず、周辺住民の不安を煽った。

東電力福島第一原発事故もようやく送電できるようになったらしい。福島第一原子力発電所の2号機に送電線をつなぐ作業を担っているのは、東京電力の社員ら279人。炉心溶融による深刻な事故を防ぐカギを握る作業は、時間との闘いになっている。15日に発生した4号機の火災で、作業員の多くは退避したが、50人は現場に残ったそうだ。送電線以外に、原子炉などを冷やす注水作業なども同時に進む。東電の子会社の東電工業、原子炉を製造する日立製作所、ゼネコンの鹿島などの社員らが現場にいる。正に命がけの作業であり、妻子がいない社員らを中心に志願者を募ったということだ。
原子力安全・保安院の西山英彦・大臣官房審議官は18日の記者会見で「涙が出る思いで祈っている」と語り、米ABCテレビは16日放送の番組で、現場に残った50人を「フクシマ・フィフティー」と呼び、「名もない勇者たち」と讃えた。
その他、自衛隊や警察の救出活動・・・・これらは詳しくは報道されていないが、幾人かに犠牲者が出たほどこれまた命がけの作業らしい。心からか頭が下がり、感動を新たにしている。ボランティアや、被災者の中からも協力する人たちが出始め、小さな復興への一歩を確実に踏み出している。

石原知事は14日午後、「震災に対する日本国民の対応をどう見るか」と報道陣に問われ、「スーパーになだれ込んで強奪するとかそういうバカな現象は、日本人に限って起こらない」さらに親が亡くなったことを長年隠し年金を不正受給していた高齢者所在不明問題に言及し、「日本人のアイデンティティーは我欲になった。政治もポピュリズムでやっている。津波をうまく利用してだね、我欲を1回洗い落とす必要があるね。積年たまった日本人の心のアカをね。これはやっぱり天罰だと思う」と語り、「被災者の方々はかわいそうですよ」とも付け加えたが、こんなことを管総理や枝野幹事長は言ったとしたらどうだろう。
人徳とは言わないまでも、言いたいを言っても人が納得するものを持っているのだろう・・・・それがカリスマ性なのかもしれない。あまり褒められた発言ではないとは思うが、私にも納得できる部分もある。しかし、老婆心ながら、今後、東北の自民票が減るのではないかと心配している。
石原氏は、「日本人のアイデンティティーは『我欲』になった。金銭欲、物欲、性欲」と指摘。「アメリカの国家的アイデンティティーは『自由』。フランスは『自由と博愛と平等』。日本は無い」と強調した。しかし、大災害にも関わらず、略奪や火事場泥棒みたいな話は聞こえてこない・・・・アメリカやフランス、諸外国ならとっくに起こっているだろう。(米ニューヨーク大停電やカトリーナ災害時には、商店略奪などが至るところで起こっていた)
とすると、日本人の『我欲』というアイデンティティーはあてはまらない。外国紙で、『日本では何故、火事場泥棒が起こらないのか?』と不思議がる記事さえあった。

各国の指導者やメディアからは日本人の沈着な対応への礼賛の声が数々寄せられている。被災地で食料や燃料が不足しても、先を争うことなく行列を作って並ぶ住民の姿を取り上げ、他人への配慮と市民意識に、世界が感嘆している。李韓国大統領もこうした姿に「日本の品格を高めている。韓国も見習わなければならない」と述べた。
米ロサンゼルス・タイムズ紙は13日、東日本巨大地震を取材中の特派員電を掲載、「非の打ち所のないマナーは、まったく損なわれていない」という見出しで、巨大な災害に見舞われたにもかかわらず、思いやりを忘れない日本人を称賛した。
ここには、「日本独特の栄誉を重んじ、恥を知り、礼を重んずる特性」の原点である「武士道精神」が在るのかも知れない。

「計画停電」が連日行われている。そのおかげで私の店もあおりを受け窮地に立たされた。
しかし、この停電は忘れていた遥か昔の日本の光景を再現した・・・・
夜の家々は暗くなり仄かな明かりもれるだけになり、点いている街灯の数も少なくなった。夜の停電に備えて明るい内に仕事や入浴をすませる・・・・昔は明かりや燃料を節約するためにこうであった。すでにどこを探しても売り切れになっていた湯たんぽをインターネットでやっと探したら、翌日届き早速使った・・・・子供の頃、母が冬はいつも入れてくれて温水器など無かったので、翌日その湯たんぽのあたたかさの残ったお湯で顔を洗った。停電になると室内でも私はマフラーを巻いた・・・・火鉢や練炭くらいの暖房だった昔、父もこうしていた。蝋燭の明かりを見つめていると心細くなる反面、遠くなった思い出を思い出す時間を持てた。
昼間の停電の時は、お店は閉まり人通りも少なくなる。道路の信号も消えた。昔は大きな交差点にしか信号は無かった。警察官の手信号の交通整理も久しぶりに目にした。警察官の誘導に無い交差点では、それぞれ交差する車が、注意深くなりお互いに譲り合っていた・・・・この方が、見込み発進や赤に変わって飛び込んでくる車も無いので事故も少なくなるかも知れない。普段、飛ばして走っている自転車もゆっくりだ。
ガソリン不足のせいで、車がぐっと少なくなった。代わりに自転車に乗る人が急に増えた。
停電が終わってスーパーなどの店が再開するのを待つ人々の行列が出来るようになった。寒いのに皆何となく楽しそうに声を交わしている・・・・こんな光景も昔見たことがあったような気がした。
至るところに、数え上げたらきりがないほどの昭和の光景が甦っていた。

暑い時、寒い時にはスイッチ一つで快適に過ごせ、蛇口をひねればお湯も水も出てくる。どこに行くにも車を使い身体を動かすことも汗を流すことも少なくなった。電気も電気製品も当たり前になり、物は溢れ、物を大切にする気持もなくなり、消費に酔い痴れ、情報機器が信仰のようになり、感謝することも神への畏れも忘れかけていた・・・・被災者には申し訳ないが、やはり石原氏の言う天罰かも・・・・この災害で、人々は原点を思い出しつつあるのは間違いない。

経済学者のシューマッハーが唱えた指導者像2類の型である。「クリスマスツリーの頂上に輝く星・・・・そういう指導者もいる。幾つもの風船が宙に浮かび、そのひもを握る手・・・・そういう指導者もいる」
行方不明者の救助、原発事故の処理、救出、復旧、原発危機、電力危機、救援物資の輸送、ガソリン不足などなど・・・・管首相は、頂上に輝く星より、幾つもの風船のひもを握る手の指導者になるべきであろう・・・・それには、個々の風船を任せられる人材を野党からも借りてくるべきであり、野党も政治的思惑を超えて協力をすべきであろう。

# by pubfujiya | 2011-03-20 11:55 | エッセイ

「ため」から「だめ」へと・・・・

京都大などの入試問題が試験時間中にインターネットの質問サイト「ヤフー知恵袋」に投 稿された事件で、京都府警は、3日、山形県内の高校を卒業した仙台市の大手予備校『河合熟』の男子予備校生(19)を、偽計業務妨害容疑で逮捕した。
この予備校生は、京大のほかに早稲田、立教、同志社の各大学を受験しており、このうち一部の大学に合格していた。いずれの大学の入試問題もインターネットに投稿していることから、ネット投稿と合否との関係が今後問題になるだろう。彼は、単独でやったと言っており、大いに反省して後悔しているという。

まだ、明らかにされていないが、大方の想像では、真実試験会場にいる受験生が携帯電話のカメラなどで問題文を撮影し、会場の外で待機する人物がその画像を受信して携帯電話で質問サイトに投稿し、第三者からの回答を得て、再び試験会場にいる受験生に返信したとみていた。返信手段にはメールを使ったか、会場内の受験生の携帯電話に直接電話、受験生は手に隠れるようなコードレスイヤホンを使って回答を聞き転記した可能性があり、いずれにしても複数犯という見方を強めていたそうだ。

私の店でも、数日この話題で持ちきりだった。短時間で正確に問題文を外部に伝えるにはどうすれば可能なのか・・・・誰が、どうやって、何のために・・・・と。
問題流出の手段はそう難しくは無い。カメラを使うか、メールを使うかである。幼少から携帯電話に慣れ親しんだ世代なら、物陰で携帯電話をブラインドタッチ出来るだろう。(私だって計算機ならブラインドタッチ出来る)
カメラのシャッター音が気になるが、スマートフォンならば、シャッター音が出ない機種もある上、問題用紙を高画質で撮影し短時間で送信が可能だ。しかし、この予備校生のケイタイはスマートフォンではなかったそうだ。問題文の句読点もほぼ正確であることから、問題を短時間で読み込み、メール交換に変換できる一部メーカーのケイタイについているスキャン機能を使った可能性があるそうだ。この機能は撮影ではないため、シャッター音もせず10秒位で試験問題を読み込み送ることが出来るらしい。しかし、数学の数式などの複雑な文章の投稿がスキャンや打ち込みなどの手法でできるかどうかが、単独犯の立証のカギの一つになりそうだ。

そして、最大の謎は試験監督者がいる試験場からどうやって外部に流出させたかである。
カメラ機能付き携帯電話を利用した場合、ピントを合わせる動作は試験監督者の目につきやすく、シャッター音もスピーカーの穴をふさげば音は抑えられるが、シーンとした試験場ではリスクがある。そのため動画機能を使用したとの見方も出ている。スキャンするにしても不自然な動作をすることになるだろう。

彼は、予備校の問題を事前に、同じサイトに投稿して予行演習をしていたそうだ。彼の通っていた『河合塾』の冬季講習テキストの問題を3問連続で「ヤフー知恵袋」に投稿した際には、間隔を1分も空けずに投稿を終えている。
このような慎重さがうかがえる一方、同じ携帯電話を使うなど発覚されやすい行動をとっていることから、意外と計画性もなく幼稚さも感じられる。

武蔵野学院大(モバイル社会論)の木暮祐一准教授は「メールを打って試験場から送信したとは考えにくい。第三者がいるという前提なら、さまざまな方法で送信できる」と複数犯説を唱えている。試験会場から送信する道具は豊富であり、スマートフォン(高機能携帯電話)ならシャッター音を消すことができる上、問題用紙を高画質で撮影し、短時間で送信することができる。高画質の動画機能やテレビ電話機能などを使っての送信も可能だそうだ。ほかにも、小型カメラやマイクなどを使って送る方法もあるが、ただ、受け取った回答を書き写すのは非常に困難らしい。今回も回答は多くの行数にわたり、難解な数式もあり、画面を見ながら書き写していれば不自然な姿になり「試験監督者の目につきやすい」と、語っている。このため投稿だけが目的だったのだろうか・・・・。

あまり、店の経営者として、こういうことは言わないほうが良いのだろうが、私の店に大手予備校の先生たちが、お見えになる。ある時、「IT機器が人間社会を滅ぼす」といったことが話題になった。その中で、「入試試験場で、携帯で問題を写して、他で待機している専門分野の優秀な人たちが問題を解いて送るということが可能になるかもしれない。そして、それが出来たら、そういう裏稼業が出来るだろう・・・・」と言った先生がいた記憶がある。
昨日深夜、お客様が途切れたので1時間ほど早かったが閉店の準備をしていたとき、偶然にもその予備校の先生がお見えになった。彼は、京都大学にいたのだが、校風が合わないということから中退し、東大に入り直し卒業した秀才である。彼が言うには、京大や東大は試験場監視に非常に甘いという。それは、「カンニングくらいするならばすれば・・・・それで合格したってそんなに甘くはないんだよ」というそこには一流大学の自負があるという。
そして、各大学側がなんとなく消極的なのは、この少子化時代、受験生は大切なお客様であり事を荒立てたくないのではないだろうか・・・・。

この問題が報じられた2月28日、『MIXI』で、都内有名進学校の男子生徒の存在が急浮上したが、彼は犯人ではなかった。しかし、彼は、ツイッターで「京大の試験官は、全然監視していないからカンニングはやり放題だったよ(笑)。さすがに周りの受験生がいるからあれだが、少なくともトイレに行けばカンニングは余裕の状態だった」「まぁ試験官が、どうかとか関係なく、あんな簡単な問題をカンニングするってことが一番アホらしいんだな」・・・・などと、呟いていた。
ある有名大学の現役大学生は「通常の試験ではケイタイを使ったカンニングは珍しくないですよ。ケイタイで問題を撮影したり、文章を打って教室の外にいる友達にメールすると答えが返ってくる。机の下やポケットなどで上手くやれば、試験官にはそうそうバレない。先に試験を終えた学生が、教室の外から回答を会員制の掲示板に投稿、他の学生が共通のパスワードでログインして正解を見る方法もあります。電子辞書持込可能ならさらに余裕です。年配の教授は電子辞書とモバイル機器の見分けがつきにくいので、試験中でもネットが使い放題・・・・」と、言っている。

しかし、冷静に考えてみると、カンニングは昔からあつたはずである。今回これがインターネットを使ったことから大問題になってしまったが、これが、昔のように掌や消しゴムに単語を書いたり、下敷きに数式を書いたりする方法だったら犯罪にはならなかったはずである。時代が違うとはいえ、カンニングということには変わりはなく、この学生を逮捕するような問題なのだろうか・・・・彼が犯罪者なら、それを未然に防げなかった大学側の監督責任も問われるべきだろう。まぁ、逮捕に至ったのは、この学生の行方が一時わからなくなったので自殺防止という意味もあったのだろうが・・・・。
教育評論家で法政大学の尾木直樹氏は、大学の認識の甘さをこう指摘する。「試験場でのケイタイ所持について『他の学生の迷惑になるので電源を切りなさい』という程度の考え方なのです。まさか不正に使うなんて想定していない。これが時代遅れの認識であることが今回はっきりしました」と・・・・。
これは、全ての場合に言える。もうケイタイは、電話だけの機能ではなくケイタイと呼ぶことすら疑問である。今回のカンニングを始め、すでに盗撮や詐欺などに使われており、犯罪と隣り合わせの不安要素も兼ね始めている。

ここまで書いてきて、だんだん自分の時代遅れを認識する結果となってきた。渋谷でたむろする若者に、今回の投稿された試験問題の長文の英文や複雑な数式を打たせたところ、ほとんどが6~8分で出来たそうだ。もの心ついたときからいじっているケイタイである・・・・私たちの想像を超えたところまで彼らは進化しているのである。
『ネタバレ頼む』・・・・これは、「ネタバレ」というインターネットの掲示板の一つで、試験の解答を頼むということだそうだ。受験生たちは「ネタバレなんて誰でも知っている。成績を上げるため便利なツールを使う。ネットがこれだけ普及しているのだから当然のことではないか」と言う人もいる。
ネットに親しみ、ネットから情報を得ることに抵抗感の薄い若者たち・・・・逮捕された予備校生の行為は、もはや特別なことではないのかもしれない。

IT機器の進化はとどまるところを知らない。ネットで革命が起き内乱が勃発し、戦争さえ起きかねない。
アメリカの書店2位のボーダーズが破産した・・・・ネット書店・電子書籍 の台頭が経営を追い詰めた。これは今に、紙業、インク 印刷、製本、輸送業界なども追い詰めるだろう。
そして、人間を形成する教育分野にも及んできた。今や、若者にとって文字は書くものではなく打つものであり、漢字は覚えるものではなく変換するものであり、文章は綴るものではなく、写すかコピーをするものになった。解らないことは、調べるたり考えたりするものではなく、ネットで知っている人に聞くのが当たり前になっていた・・・・以前、私の店での「IT機器が人間社会を滅ぼす」という酒飲み話も笑えない真実味を帯びてきた。

『世の中は 澄むと濁るのちがいにて ためになる人 だめになる人』・・・・阿刀田高さんの狂歌である。
本来、人類のためになる機器が、人類をだめにしないことを心から祈っている。

# by pubfujiya | 2011-03-05 16:30 | エッセイ

Festina Lente (ゆっくり急げ)

わが国心臓外科のパイオニアで、国内初(世界で30例目)の心臓移植手術を行った札幌医科大名誉教授の和田寿郎氏が2月14日午後1時30分、肺炎のため死去した・・・・88歳だった。
心臓移植・・・・その是非を問われ続けた人であった。
彼は、1944年北大医学部卒。 米ミネソタ、オハイオ、ハーバードの各大学で胸部外科を学び、札幌医大に54年、国内初の胸部外科講座を創設、58年に同大胸部外科教授に就いた。
彼は、戦後すぐとはいえ、卒後14年で教授になり、教授になって10年目に、日本初の心移植をしたことでも分かる通り、おそろしく優秀でアグレッシブな人だったのだろう。
77年から87年まで東京女子医大教授を務め、同年、和田寿郎記念心臓肺研究所所長に就任。その後も世界心臓胸部外科学会を創立するなどした。
心臓人工弁の開発でも知られ、小型の「和田・カッター弁」は世界初の人工心臓にも使われた。

昭和43年の和田寿郎教授心臓移植事件を覚えていられる方も多いのではないだろうか。
札幌医大教授だった68年、日本初の心臓移植手術を心臓異常肥大の18才の患者に実施したが、83日後に死亡し告発される事態に至った。しかし、70年、同地検は嫌疑不十分で不起訴となった。だが、この事件以来、国内では心臓移植がタブー視され、 脳死の定義なども含め、法律が整備されるまでの約30年間余り、第2例目は行われなかった・・・・43年前に刻印されたこの事件は、その後、欧米に大きく立ち遅れるという代償はあまりに大きいものであった。

【和田寿郎教授心臓移植事件】
昭和43年8月8日,札幌医大付属病院で日本初の心臓移植手術が行われたことを各新聞の夕刊は大々的に報道した。手術を行ったのは和田寿郎胸部外科教授(46)を中心とした20人の医師団であった。テレビ、新聞のほとんどが、この心臓移植一色となり報道は過熱していった。心臓移植に関してはまだ社会的な合意はなされておらず、脳死の取り扱いについてもまだ曖昧な時代であった。しかし和田教授は「二人の死より一人の生を」、「移植の是非よりも目前の患者を救うこと」を主張した。マスコミは当時46才の和田教授を医学界の風雲児ともてはやし、新聞は「日本医学の黎明を告げた一瞬」、「涙ぐむ両親、提供者にただ感謝」などの見出しで報道した。
手術を受けた宮崎信夫君は、順調に快復してゆき、病院の屋上を車いすで散歩する様子や笑顔で手を振る姿が日本中に放映された。ところが、手術時の大量輸血の影響による体力の消耗をきたしていた。そして宮崎君の症状は日を追うごとに悪化し、手術から83日目の10月29日に宮崎信夫君は死亡した。
和田教授は宮崎信夫君の死因について、急性呼吸不全を起こしたためと説明し、そして心臓移植にともなう拒否反応の関与を否定した。和田教授の説明は、心臓移植そのものは成功したが偶発した事故により運悪く死亡したことを暗に述べていた。
宮崎信夫君は本当に移植手術が必要だったのか・・・・この疑惑が渦巻く中、宮崎信夫君の切除された元の心臓が行方不明になる事件が起きた。病理学教授・藤本輝夫は次のように説明している。宮崎信夫君の元の心臓が行方不明となり、捜したがどこにあるか分からなかった。心臓の所在は和田教授しか知らないと噂されていた。翌年2月になって宮崎信夫君の心臓が見つかったが、心臓の三つの弁が根元からくりぬかれていた。ばらばらになった弁と心臓の復元を試みたが明らかに大動脈弁だけは宮崎君の心臓と合わなかった。他人の大動脈弁とすり替えられた可能性が高かった。
一方、海水浴中に溺れ、心臓を提供した山口義政君は本当に死んでいたのだろうか・・・・山口義政君は、小樽の野口病院から札幌医大付属病院に転院したが、野口病院の上野冬生医師の証言によると山口義政君が入院したときには自発呼吸があり、対光反射、心音もはっきりしていたと述べている。山口義政君が札幌医大付属病院に転院したのは担当医が帰宅した後、午後7時に野口病院の院長の単独判断で札幌医大への搬送がなされた。野口院長は以前から和田教授と親しく、かつて結核病院で和田教授と一緒に結核の手術を100例以上行っていた。その関係で院長は和田教授に以前から心臓提供者を頼まれていたとされている。
札幌医大付属病院における山口義政君の容体について証言は大きく別れている。和田教授は限りなく脳死に近い状態だったとしている。しかし救急隊員、山口義政君の父親、また手術に駆けつけた麻酔科医は、体動や自発呼吸がありバイタルは落ち着いていたことを証言している・・・・はたして山口君を生かす努力がなされたのだろうか? 
蘇生は麻酔科の担当であるが、駆けつけた麻酔科医・内藤裕史(後の筑波大学教授)は追い返され、脳死の判定は移植グループの医師だけによって行われたという。しかし脳死を示す山口義政君の脳波の記録は残されていない。脳死判定はブラウン管に映った波形をみて判断したと説明したが、それでは第三者を納得させることはできない。さらに心電図の記録も重要なところが抜けていた。胸部外科教室員だけで行われたこの移植手術は密室の医療行為との疑惑を持たざるをえない。そして、その密室医療の恐怖が国民の医療不信を増すこととなった。
また両親から心臓移植の同意を得る前の段階で,正確には山口義政君が札幌医大付属病院に搬送される前の時点で、宮崎君用の輸血が大量に注文されていたことが日赤の記録から分かっている。さらに山口君の両親が移植に同意したのは、山口義政君の胸部が切開された後であることが明らかになった。
そして宮崎さんの死後から1ヵ月後の12月3日、大阪の東洋哲学医学漢方研究会(代表・増田公孝)の6人が大阪地裁に和田教授を「未必の故意による殺人罪」と「業務上過失致死」で告発した。
昭和45年1月、札幌地検は医学鑑定に踏み切り,東京女子医大・榊原仟教授、東大医学部・太田邦夫教授、京大医学部・時実利彦教授という心臓の権威者に鑑定を依頼した.しかしいずれの鑑定書も決定的な結論には至らなかった。医学界特有のかばいあいが行われたとされている。真実が明らかになれば、今後日本では心臓移植が出来なくなる・・・・このことを権威者は心配したのだろうが、結果的に日本の移植は長い間にわたり道を閉ざされることになった。
昭和45年9月、札幌地方検察庁は札幌高検、最高検と協議し「和田教授を殺人と断定する決め手が無い」ことを理由に証拠不十分で不起訴処分とした。
(医師による「平成医新」ブログと、「安全保障としての医療と介護」(朝日新聞社)より抜粋)

しかし、運命的なことに当時、札幌医科大病院の整形外科講師に、後の直木賞作家渡辺淳一氏がいたのである。彼は、現在の「恋愛、不倫小説の旗手」のように思われているが、れっきとした医師であり初期には医療に関する小説がいくつかある。
この事件の“疑惑の経過”を『小説・心臓移植』(後に『白い宴』と改題)で発表し“内部告発”したために、渡辺氏は大学を追われ上京して文筆活動を始めることになった。いわば、和田教授は、渡辺淳一氏が小説家として大成した“恩人”なのかもしれない。
彼の初期の小説に「ダブル・ハート」という短編もある。今ではよく耳にするドナーという言葉が「ドナア」、移植を受ける患者を指すレシピエントは「ホスト」と記され、時代を感じさせるが、物語はそのドナアの主治医が苦悩する姿を描いて感銘が深い。医師がドナアの妻に直接「ご主人の心臓を・・・・」と持ちかけ、直ちに摘出のメスを執らねばならないのだ。その医師は、まだ動いている心臓を取り出す行為の重みに悩み抜く・・・・。

『幾千人の胸開き悩み苦しむ病患の 苦しき命救うため 尽くしてくれる先生の 熱き心に胸打たれる ああ札幌医大胸部外科』・・・・ある患者が、和田教授へ作った賛歌である。この事件の移植が行われる以前のことであるが、彼は、米国帰りの当時のドラマ「ベン・ケーシー」を思わせる半袖の手術服を着け、わが国最先端の腕利き心臓外科医だった。最初は、日本発の壮挙と賞賛されたが、両者をつなぐコーディネーターも存在せず、さまざまなルールも確立していない中で行われた「和田移植」だった。そして、患者の死去で暗転した。患者が亡くなると途端に「移植は必要だったのか」「本当に脳死だったのか」といった疑惑が噴きだし、彼への称賛は激しい非難に変わっていった・・・・。

彼は、心臓移植日本第1号の効を焦ったのではないだろうか・・・・渡辺淳一氏も新聞の談話の中で「(脳死判定に甘かったのは)国内第一号の執刀者になりたいと(先生は)思われたのでは・・・・」と語っている。
何事でも最初というのは、功名心が先に立つ。しかし、大きなリスクも伴う・・・・この事件ばかりでななく、他の医療でも、宇宙開発などでも、闇から闇への犠牲は、恐らくあっただろう。それがなくては、科学の進歩は望めないのが悲しいかな現実なのかもしれない。ドイツが、医療で逝先端の技術をもっていた時代があった。それを物語るのは現在の医療用語が、ほとんどドイツ語であるということだ。ドイツでは、「ナチス時代」にユダヤ人で、いくらでも人体実験が出来たからだと言われている。
私の店のお客様の中に、30年近く前、奥様を心臓のカテーテル治療で亡くされた方がいる。カテーテル治療自体は歴史があるのだが、当時、最新の技術についてゆける医師も、治療例も少なかったそうだ。容態急変の知らせで駆けつけたときは、血の海だったという。血栓を溶かす薬の投与とカテーテル治療という医療ミスもあったのだろうが、彼は、今でも「病院の実験台にされた」と言っている。彼は裁判を起こし数年かかって勝訴し、示談金として8000万円ほどもらったと言う。

ラテン語の諺に「Festina Lente(ゆっくり急げ)」という言葉があるそうだ。日本にも「急がば回れ」という諺がある・・・・そう言えば、あの蓮舫議員が「「世界一になる理由は何があるんでしょうか? 2位じゃダメなんでしょうか?」と言った・・・・私は、ふと、思い出した。
優秀な医師であった彼には、この「ゆっくり」だけが欠落していたのかもしれない。
移植医療ばかりでなく、自然の生態に人間が手を入れるということは、科学がどんなに進歩を遂げても、生命への畏れだけは失ってほしくない・・・・そんな医療分野での『光と影』を背負って逝った人だった。
ご冥福を祈る。
(写真は実際の、故宮崎君と和田教授である)

# by pubfujiya | 2011-02-20 13:19

土俵際

大相撲の野球賭博事件で警視庁が押収した力士らの携帯電話から八百長相撲を疑わせるメールが見つかり、かねてより疑惑があったことが、物証として残ってしまい大きな問題となっている。
日本相撲協会が2日午後、メールをやり取りしていたとされる力士ら14人から事情聴取したところ、十両力士の千代白鵬(27)(九重部屋)ら3名が、「八百長をやりました」と関与を認めていたことが、複数の相撲協会関係者への取材で分かった。
折りしも、翌日2月3日は節分だった。各地の寺社では、毎年恒例の力士による豆まきが行われ、横綱白鵬は、横浜市鶴見区の総持寺で、成田山新勝寺では、大関・把瑠都関や関脇・稀勢の里関らが裃姿で豆をまいた。
横綱白鵬は、疑惑についての現役力士トップの声を拾おうと、多くの報道陣が取り囲んだが、八百長疑惑については無言を貫いた。そして、各力士とも、飛び交う質問に応じることなく、所属する部屋関係者に守られるように車で立ち去って行った・・・・寂しい節分の光景だった。

新弟子奴隷制度(?)からきた弟子リンチ殺人 、薬物汚染 、野球賭博 、暴力団との関係、プライベートでのトラブル(傷害、器物破損)、八百長・・・・ここまで腐っている団体も珍しいと誰もが感じるようになってきた・・・・今、考えると、朝青龍の問題など可愛いものだった。
今回の「八百長」事件は、相撲界を根底から揺るがす問題である。私の子供のころから、相撲で「八百長」という言葉は聞いていた。1対1の勝負であるから「八百長」も簡単に出来るからかもしれない。しかし、あくまでも噂は噂であり、囁かれていただけだった。今回のメールに残るという証拠が突きつけられては、相撲界も土俵際である。
去年夏の野球賭博事件も大問題だったが、あれはあくまでも遊びの中で起こったことである。しかし、今回は本業に関わる問題であり、しかも、過去から相撲協会は、この問題を頭から否定していたことであり、出版社相手の裁判でも勝利している。もしこの疑惑が事実だとすると大相撲界の根幹にもかかわる。衝撃度や重みがまったく違うことである。

スティーヴン・D・レヴィット(シカゴ大学の経済学者)と、スティーヴン・J・ダブナー(ジャーナリスト)共著の『ヤバい経済学』』(東洋経済新報社刊)という本がある。これは、ヤクの売人や出会い系サイトなどを経済学的に解き明かし、ベストセラーとなった。その第1章で「相撲の力士は八百長なんてしない?」という章がある。
スティーヴン教授は、米紙ワシントン・ポストで相撲の八百長に関するコラムを読んだのをきっかけに分析を始め、英語の相撲雑誌「スモウ・ワールド」のバックナンバーを15~20年分取り寄せ、32,000組以上の取り組みデータを分析したという。
相撲の力士は一場所で15番ずつ取組を行い、つまり、8勝以上勝ち越すと番付が上がる。
したがって、番付が上がる8勝7敗と番付が下がる7勝8敗では、大きな差が出ることになる。十四日目が終わった時点で7勝7敗の力士は、千秋楽(十五日目)はどうしても勝ち越したいのである。
スティーヴン教授は、7勝7敗の力士と8勝6敗の力士が千秋楽で対戦した時の取組結果を集めたところ、その2人の力士の対戦結果は、初日から十四日目での勝敗はほぼ50%の互角であったそうだ。しかし、千秋楽の取り組みになると7勝7敗の力士の勝率が80%と格段に高くなっているという事実を調べ上げたのである。これだけなら7勝7敗の力士のモチベーションが高い結果といえなくもないが、次の場所での取組(どちらも7勝7敗でない場合)では、前の場所で勝った7勝7敗の力士の勝率は約40%と大幅に落ち込む。この2人の力士が次の次の場所で対戦すると勝率は約50%に戻ると指摘する。この本では「一番理屈に合う説明は、力士たちの間で取引が成立しているというものだ」としている。
さらに、興味深いことには、日本のマスコミで八百長報道が出たすぐ後に開かれた本場所千秋楽では、7勝7敗の力士の8勝6敗の力士に対する勝率はいつもの80%ではなく、約50%に下落している。
実際に平成20年 3月場所 千秋楽の取組および結果(幕内)で、『ヤバい経済学』の指摘している取り組みがあった。
 豪栄道(東前頭8枚目・7勝7敗) 対 垣添(西前頭14枚目・8勝6敗)
 若ノ鵬(東前頭4枚目・7勝7敗) 対 栃乃洋(西前頭8枚目・8勝6敗)
 稀勢の里(東小結・8勝6敗) 対 琴奨菊(西関脇・7勝7敗)
 千代大海(西大関・8勝6敗) 対 琴光喜(西大関・7勝7敗)
である。
そして、まさに、指摘通りの結果になっている。
 〇豪栄道(8勝7敗) 対 ×垣添(8勝7敗) (「上手投げ」で「豪栄道」 勝)
 〇若ノ鵬(8勝7敗) 対 ×栃乃洋(8勝7敗) (「寄り切り」で「若ノ鵬」 勝)
 ×稀勢の里(8勝7敗) 対 〇琴奨菊(8勝7敗) (「上手投げ」で「琴奨菊」 勝)
 ×千代大海(8勝7敗) 対 〇琴光喜(8勝7敗) (「突き落とし」で「琴光喜」 勝)
見事に4番とも7勝7敗だった力士が勝ちを収め、8人揃って8勝7敗で三月場所を終えている。
著者は、「データをどういじっても出てくる答えはいつも同じだ。相撲に八百長なんかないとはとても言い切れない」としている。

実際に過去から相撲に八百長があったかどうかは、すでにわからず、もうやっていた人間にしかわからない。ところが、今は、メールの普及でなんでもかんでもメールにしてしまう。メールは、見返すことも出来るし、メモ帳代わりにもなる便利さがある。そして、何よりも言いづらいことを伝えられることである・・・・例えば、お金のこととか、切り出しにくい頼みごととか・・・・。
まさに、メールがそのようなことである「八百長」に使われていたのである。
そして、古い時代の体質を新しい時代の機器が暴いたという皮肉な結果になったのである。

大相撲の第64代横綱の曙は「こういう話はなくならないね。いい方法を考えて、なくなるようにして欲しい。やっぱりさみしいし・・・・。やったとかやらないとかはまったくわからないけど、疑われないように(対策を)やって欲しい」と苦言を呈した。 競輪などは、レース開催中に選手が外部との接触を制限される例を挙げて「場所中は力士から 携帯電話を全部取り上げるとか・・・・こういう時代だからそこまでしないと」と、具体的な防止策も提言した。

今回の疑惑の14人は、皆、十両である・・・・これは、十両と幕下の待遇の差がありすぎるからだと言われている。
「大相撲界では、幕下までは力士としては半人前扱いで、給料も出ません。ところが、1つ上の十両にあがると、一人前の関取として遇され、103万6000円もの給料も出る。つまり、十両と幕下は天と地ほどの差があるんです。だから、十両の力士たちはなんとしても十両の座にしがみついていたいと思うのは当然、中には結婚して、子供もいる十両力士もいますからね。こうした大相撲界のシステムが疑惑を生む背景にあるのは紛れもない事実です」と大相撲界に詳しい人物は話す。
給料ばかりではなく、十両には付き人が付くが、幕下になると自分が誰かの付き人になる。マゲの形も変わり、足袋も履けず素足になる。
こうしたウラ事情は、いまに始まったことではない・・・・とすると、放駒理事長が記者会見で「(今回の不祥事は)過去には一切なかったことで、新しく起こったことです。その点をはっきり認識してもらいたい」と、あの半開きの口の素っ頓狂な顔つきで話したことは真実ではないような気がしてくる。
十両と幕下のような階級の差があることが悪いのだろうか・・・・勝負の世界では一概にそうとも言えない。その差が、「なにくそ! 強くなってやる!」というハングリー精神を生む。だが最近は、相撲界に限らずハングリー精神が無い人間が多い。力士たちも上位を目指すことより、どこかで聞いたような「生活が第一」で、ある程度の位置を守れたらいいと思っているのかもしれない。そこが、久しく日本人横綱が登場しない原因なのだろう。

石原慎太郎東京都知事が4日、容赦ない批判を重ねた。
石原氏は、かつて記者席で相撲を観戦した自らの体験を披露し、「あんなものは昔からあったことだ。当たり前のことだ」と、勝負審判委員のすぐ後ろで見た様子を語った。
「誰とは言わないが、力士が取組中に相手に『押せ、押せ』」と言うのだが、(八百長をやってる)力のない横綱とか大関は相手を押し切れない。それを記者はゲラゲラ笑って見てた。そこで金が動いたかどうか知らないが、そういう経験があったものだから、今さら驚かない」
「これからの一番、八百長でございますというわけじゃないんだから、歌舞伎の見得を堪能するみたいに騙されて見て楽しんでいればいい。そういうものだよ、相撲とは」と、切って捨てた。
「今さら大騒ぎするのは、世間もずいぶん物を知らなかったというか。笑って目をつぶってろとは言いませんけど、あれが日本の文化の神髄である国技だっていうのは、ちゃんちゃらおかしいわな」
「東京で相撲がなくなったら、がっかりする人も当たり前と思う人もいるかもしれないね。ただ、アメリカの国技と言われるベースボールで事件があった時には、ファンの少年が八百長をやった選手に向かって『嘘だといってよ、ジョー』と叫んだと言う。これは悲しい話だ。では、相撲に対して、誰がそういうことを言いますか。それほどのシンパシィ(親しみ)はないんじゃないかな」と・・・・。

相撲をスポーツとしてとらえるならば八百長などあってはならないわけだが、プロレスとか興行として考えれば、石原氏が言うように「昔から星のやり取りはある。相撲なんてそんなもの」という見方は成り立つだろう。私は、いくつかの国々を旅した経験があるが、ほとんどの国では、日本の相撲はスポーツではなく見世物扱いである。
ここまできてしまったらいっそのこと、国技を名乗るのは止めて公営ギャンブルか、ショービジネスにしたらどうだろうか・・・・。
高木義明文部科学相は3日、公益法人の認定取り消しも含めて対応するとの考えを示した。
公益法人を取り消され、一般法人になれば大変だろうが、開催まで外から干渉されることもなくなり、悪いことばかりじゃないかもしれない・・・・。
さぁ、どうする? 土俵際の相撲協会!

# by pubfujiya | 2011-02-05 20:20 | エッセイ

草食系?

「男女とも『草食化』進む」・・・・先日、新聞にこんな見出しの記事をみつけた。
「草食系男子」という言葉が、巷に登場したのは4年前・・・・「日経ビジネスオンライン」で「U35男子マーケティング図鑑」の中で「草食系男子」と命名されたのが始めてのようである。その後メディアで頻繁に取り上げられるようになり、2009年末の「流行語大賞」のトップテンに入り、馴染み深い言葉となった。30代の未婚男女402人にアンケートを行ったところ「どちらかというと草食系男子」と思うが61%、「完全に草食系男子」という男性が13%で、合わせて74%に達したとか・・・・。
【草食系男子特徴】
・出世しなくても、そこそこの幸せで十分。誰かが傷つくのは苦手だ。
・家族(とくに母親)が大好き。買い物やプレゼントも頻繁にする。
・上司の説教も部下の愚痴も、女だからといって苦にならない。
・「とりあえずビール」や「キャバクラ」など無駄なことが嫌いだ。
・女子から誘われて食事や買い物、旅行に出かけることもある。
・口説くときは、何よりムードが大切。嫌といわれたらすぐやめる。
【肉食系男子特徴】
・争い事には血が騒ぐ。出世競争でも恋愛でも勝ち組になりたい。
・母親と一緒に買い物に行くのは、少し抵抗がある。
・上司も部下も“女”となるとどう扱っていいのか困ってしまう。
・上司との飲み会(キャバクラ)は付き合い上必須。
・女子に食事に誘われたら自分に気があると思う。もちろん口説く!
・女子に一度断られてもめげない。「嫌よ嫌よも好きのうち」だ。(Yahoo知恵袋より)

人により、この言葉の定義は多少異なるが、「恋愛やセックスに縁がないわけではないのに、女性に積極的ではなく、肉欲に淡々とした男性」さらに「新世代の優しい男性で、異性をがつがつ求める肉食系ではない男性」とも「心が優しく、男らしさに縛られず、恋愛にがつがつせず、自ら傷ついたり、女性を傷つけたりすることを恐れる男性」「女性と一晩過ごしても添い寝だけ」「男の本能に欠けている」「出世にも興味がない」とも言われている。
これらとは別に一般に元気のない若者の代名詞として「草食系」という言葉が使われるようだ。また、それと対照的に、元気すぎる若い女性のことを「肉食系女子」と言うらしい。
さらには、女性と添い寝しても何も求めない男を「添い寝男子」、女の子と雑魚寝をしても怪しいことをしない男を「雑魚寝男子」とも言うらしい。
白河桃子(ジャーナリスト&ライター)さんの「恋愛婚活講座」によると、「異性の方と夜を過ごし、添い寝だけで終わった経験がありますか?」という質問に、「ある」と答えた人がたくさんいたという。
では、なぜ草食系男子は「添い寝」で終わるのか・・・・女性を傷つけたくないからと言っても、女性にとっては「自分に魅力がないから」と傷つくこともあるのではないだろうか?
ある20代の草食系男子に聞いたら「僕らはガツガツしない、ナルシストなのです」という絶妙な答えが返ってきたという。そのほかの回答では「女性が望んでいないことはしない」という「優しい男子」や、「本当に好きな人じゃないと身を許さない」という「乙女系男子」も大勢いるらしい。
ところが、女性に草食系男子が好きか、嫌いかを聞くと微妙で、女性は草食系男子を「好き」な人が3割、「嫌い」な人が4割位らしい。草食系男子は、男らしくない、魅力的ではないと思っている人も少なくないようだ。

「私を求めてくれている」とはっきりわかるようなサインを出さない草食系男子の増加は、女性にとって恋愛がしにくい状況を生み出してもいる。これまで、日本の女性たちの多くは「草食系」だったが、ここにきて恋愛の戦法を変える必要に迫られているということだ。男性が草食化する事によるデメリットが大きいのは男性よりもむしろ女性の方である。これからは女性の方からより積極的にならなければならなくなり、それが苦手だと言って何もしないでいたら晩婚化は進み、困るのは女性の方かもしれない。
森岡正博さんの「草食系男子の恋愛学」では、草食系男子を「異性をガツガツ求める肉食系ではなく、異性と並んで草を食むような新世代の優しい男子」と定義している。このような男性にとって「恋愛」は、非常に高いハードルとなり、なかなか自分からそのハードルを越えることはできない。草食系男子には、誠実でまじめな男性が多く、女性にとって最も望ましいパートナーになり得る可能性は高い。男性にとってハードルが高いなら、女性からそれを越えて出会いに行けばよい。多少「肉食系」などと揶揄(やゆ)されてもいいのではないだろうか・・・・ユーミンの歌にあるように「欲しいものは欲しいと云った方が勝ち」なのだろう・・・・女性の恋愛も狩りになった。

私はポルノショップには入ったことがないが、そこは昔とは大分変わってきているという・・・・ポルノショップが出来始めのころは、電動〇〇〇とかバイブとか女性用が主流だったらしい。それから数年後、フィギュアになり、若者やおじさんたちが人形や下着を買い込んで、自分の部屋で密かに着せたり脱がせたりして楽しんでいたらしい。その上これらの人形は、生身の女性がとうてい言ってくれそうもない優しい言葉を喋ってくれるそうだ・・・・「行ってらっしゃい」「お帰りなさい」「待ってたわ」「大好き!」「気持いいわ」などと。
ところが、ここ5~6年前から又、主流が大きく変わってきているという。もちろん、さまざまなポルノビデオや興奮剤・精力剤の類は以前と同じように並んでいるらしいが、男性用のオ〇ニーグッズが特に目立つという・・・・これが実に多種多様で、その一つ一つが驚くほど精巧にできているそうだ。筒状や瓢箪形をしたもので中にシリコンが入っていて、「くびれ効果でディープな吸いつき」「とろけるように包み込む滑らかな刺激」などと記されていて全て電動だという。
さらにこれらの製品の優れているところは、おしゃれなパソコングッズか男性用化粧品にしか見えず、書棚や机の上においても誰もオ〇ニーグッズとは誰も気付かないらしい。
それにしても、これらの製品がこれだけ進んだということは、この種の需要が急速に増えているからだろう。してみると、今の若者も性的欲望は人並みにあり、単純に女が苦手なだけであり、草食系とは言い切れないのではないだろうか・・・・。
私のようなおばさんになると、科学の発達をこんなことに利用するなんて許せない・・・・「オ〇ニーくらい、自分の手を使ってやったらいかが?」

ある草食系を自他共に認める男性たちがこう言っていた。
「恋愛 もちろん恋愛はしたい。しかし、恋愛に発展するまでが大変。アプローチが苦手。結婚もしたい、子供も欲しい。しかし恋愛の相手と見てもらうまでが大変。それらが煩わしい」
ある男性は「結婚 結婚も・恋愛も最初は楽しいが、あとあと面倒さが勝ってしまう。趣味等自分が楽しめるものに時間やお金を使いたい。料理は自分でもおいしく作れるし、アダルトサイトが充実しているから、とくに女性と付き合う必要が無い」
私は、このような草食系男性を作り出すのは、すべて『母親』かもしれないと、ふと思った。今の女性が男性に求めるものは、優しさ、楽しさなど甘いものばかりである。
その女性が母になり、子供に求めるものは、言う通りに勉強して、家事を手伝ってくれて、ママを頼りにしてくれて・・・・それが母にとって理想的ないい子である。そうやって草食系(ちょっと昔ならひ弱な男)を育てあげてしまうのではないだろうか・・・・?
彼らは、何でもママがやってくれて、ママの言うことを聞けば素直ないい子と言われるから褒められたくて、挑戦的なことを知らず狩りをすることを覚えず、穏やかに草を食む男性になった・・・・。

要するに、彼らは、性欲云々というより、他者と関わるのが面倒で疎ましいのである。
ランチは一人で食べたい、上司との飲み会も嫌いだという人が増えている。こういう人は、男性に限らず、女性にも多く見受けられるようになった。
さらに、昨今は「セクハラ」とか「ストーカー」というような言葉が罷り通り、男性が「肉食系」の行動を起こすのも難しくなっていることも一つの要因ではないだろうか?
でもどんな男性でも好き好んで「草」だけを食べていたいと思っているのではないかも・・・・本音では、たまには「肉」をお腹一杯食べてみたいー!!と思っているのかも知れない。男性を草食系にしてしまった原因は女性にもあるのだろう。

一方で〝戦争が無くなって平和な時代が長く続いているから〟という説もある。〝闘争のない世界〟に生まれて育ってきた若者達にとっては〝争いそのものが無意味〟なのである。〝とにかく争いが嫌いな人〟が望まれており、そうした風潮が若い世代を中心に草食系男子を増殖させている、という考え方も「当たらずとも遠からじ」だろう。

ちなみに、草食系というと、性欲が弱いように思われがちだが、実は草食動物は、ちゃんとヤることはやっている。たとえば、キリンは、メスとヤるために、オス同士が首の骨が折れるくらい激しく争うそうだ。うさぎは、あちこちのメスに手をつけて子供を産ませまくり、プレイボーイ誌のロゴマークとなっている。縞馬や鹿も繁殖し過ぎて社会問題になっている。牛や豚も世界中の食卓を困らせないほど常に繁殖している。馬も「馬並み・・・」というほどセックスシンボルの代名詞となっている。
性欲のことで草食系と言うなら草食系動物に失礼だ・・・・草食系動物たちの汚名返上のために、ちょっと一言・・・・。

# by pubfujiya | 2011-01-23 17:44 | エッセイ

水のように・・・・しなやかに、したたかに

「水は方円の器に従う」・・・・器に合わせてさまざまに形を変えながらも、水であることを変えない・・・・それが水。戦国の世をしたたかに生き抜いた女には、水のようなしなやかさがあった。
2011年NHK大河ドラマ、「江~姫たちの戦国~」は、激動の時代をそんな水のように生きた女性「江」の物語である。昨年の幕末の男くさいドラマから一変し、絶世の美女・市を母に持つ、美しい三姉妹を中心にした華やかな愛の物語が展開されそうだ。

私は、若い頃から、この浅井三姉妹の「お江」に興味を持っており、本を読みあさった。歴史というものは全て繋がっており、この「お江」のことが元で戦国時代から徳川時代の小説をほとんど読んだと言っても過言ではない。
このドラマの原作者は、あの「篤姫」ブームを起こした作家田淵久美子さんである。
しかし、この「お江」の生涯に注目し執筆した作家は数多くいる。最近では、読売新聞の連載小説だった『美女いくさ』(諸田玲子、中央公論新社)。私が昔読んだのは、『乱紋』(永井路子)、『花々の系譜 浅井三姉妹物語』(畑裕子、サンライズ出版)などがあり、彼女が主役でなくとも登場する小説は数多い。
映画やドラマとなると、数限りなくあり、「お江」を大女優や人気タレントたちが演じている。

何故こんなに、彼女の生涯が注目されるのだろうか・・・・。
それは、幼い頃に戦乱で父母を亡くし、幾度もの結婚を余儀なくされながらも、最終的には将軍正室にまでなった・・・・波乱万丈、とは彼女の人生を表現するための言葉のような気がする。
さらに、信長を伯父、秀吉を義兄、家康を義父とした彼女は、戦国時代を代表するスーパーセレブだったのである。彼女は、戦国・安土桃山から江戸への移り変わりを、常に時代の中心で直に目撃した数少ない歴史の証人でもあるからである。
淀、初、そして江・・・・信長の妹・お市の方を母とし、日本史上最も有名な三姉妹(浅井三姉妹)の末っ子に生まれた江は、徳川第二代将軍・秀忠の正室となり、娘は天皇家に嫁ぎ、息子は第三代将軍となった。
しかし、その過程は、波乱と苦難の連続であり、二度の落城により父と母を失い、織田の血を引く彼女は、時の権力者たちに人生を翻弄され、三度の結婚を重ねさせられた。母の兄によって、父を殺され、さらには、姉・淀と敵味方に分かれて天下を争うことにもなり、正に血脈の戦いの人生であった。しかし、子宝に恵まれ秀忠とは五女二男、その前の結婚を含めると10人の子を産んでいるといわれている。

秀吉にひきとられた三姉妹のうち、彼女は、佐治水軍が必要だった秀吉に佐治一成と最初の結婚をさせられた。ところが、夫・佐治一成が秀吉の敵対陣営についたために、無理やりに離縁させられることになった。
二度目の結婚では、夫・羽柴秀勝(秀吉の甥)は、結婚後まもなく出陣し、朝鮮で病死したのである。
三度目の結婚は、秀吉の最大のライバル徳川家康の子でのちに二代将軍となる秀忠・・・・これは、政略結婚であったが、秀忠とは五女二男に恵まれ、秀忠は側室も置かず夫婦仲は良かったに違いない。束の間かもしれなかったが、彼女にも女としての幸せな時間があったのかもしれない。
長男・家光は第三代将軍となり、徳川の歴史の中で、正室が次の将軍の母であるのは彼女しかいない。娘・和子は後水尾天皇に嫁ぎ、明正天皇の生母となった。そし、よく知られている長女千姫は豊臣秀頼正室である。次女、三女、四女もそれぞれ、前田家、松平家、京極家に嫁ぎ、三男忠長は駿府城主になった。
彼女こそまさに、多くの子供を産み育て閨閥を創り、二代目徳川家を磐石なものとし守りきった人だったと言っても過言ではない。
男たちの陰で戦国を動かしていたのは、実は女たちだったのかもしれない。

男というものは、常にどこかで女に甘えたい、そして褒められたいという願望があると、私は思っている。数多くの命をやりとりする戦国の武将となればなおさらであろう。
秀忠に嫁ぐ前の江の2度の結婚は彼女にとって無駄ではなかった。経験には、何一つの無駄はない。彼女は、男の扱い方を熟知し、夫秀忠を完全にコントロール出来たのだろう。ある時は甘えさせてやり、ある時は叱咤激励し、ある時は母のように褒めてあげて、まさに「掌の上で・・・・」である。
秀忠は、真面目な堅い男だったようで、徳川の歴史の中で側室を持たなかったこれまた唯一の将軍である。家康が「あの堅物にも困ったものよのう・・・・」と、夜更けに美しい侍女に蜜柑を持たせて、秀忠の寝所に行かせたところ、父からの遣い物に礼を払った後、その侍女を送り返したというエピソードが、家康の日記に残っているという。
しかし、この秀忠にも1回だけの浮気がある。相手は秀忠の乳母の侍女で静という。秀忠は、慶長15年2月から3月、慶長17年3月から4月には駿府へ赴いているほか、江戸近郊で鷹狩を行っており、静の妊娠はこの間のことであると考えられている。
秀忠は恐妻家であり、正室のお江の方には頭が上がらなかったらしく、当時、側室になるには、正室の許可が必要で、静の場合にはそうした手続きは取られず正式に側室となることはなかった。秀忠は、妻に遠慮して、その子(後の保科正之)をすぐに保科家に養子に出したのである。そして、その子も江の存命中は、秀忠も実子として認知することも会うこともなかった。江の死後、寛永6年(1629年)18歳にして初めて父・秀忠との面会を果たしたのである。そして、保科家は会津松平家となり、保科正之が初代藩主となった。

戦国時代の武将たちの多くは、織田信長に畏敬の念を抱いていた。そして、その妹である絶世の美女と賛美された「お市の方」に憧れを持っていた。そのお市と北近江の名将の子であり、父、母、伯父、義兄、義父に絢爛な閨閥を持つスーパーセレブである江の産んだ子供たちは、磐石な徳川幕府と諸大名との関係を造る上で、かけがえの無い価値があった。どこかの大臣が失言したように、彼女は「産む機械」だったかも知れない。
秀忠も側室が子を産んだとしても、江が産んだ子の価値に、雲泥の差があることをよく知っていたのだろう。だから、若く美しい側室をいくらでも持てる天下人でありながら、古女房とせっせと子作りに励んでいたのだろう。

しかし、そんな蜜月も長くは続かなかった・・・・豊臣家との天下分け目の戦がはじまったのである。
やがて徳川家は、姉・淀の豊臣家と敵対することになり、彼女の苦悩の日々が始まった。幾多の辛苦を一緒に超えた姉、そして、大阪城には千姫がいる。戦で父母、兄弟を亡くしている江にとって、落城がどういうものか・・・・その悲惨さは一番よく知っていた。
やがて、姉・淀は、徳川家の軍門に降ることを潔しとせず、大坂夏の陣において秀頼とともに自刃して果てた。しかし、なんとか千姫は助けることができたのだった。
姉・淀にも江のように、もう少し、しなやかにそして水のように生きられたらよかったのかもしれない。
しかし、幼い頃に、炎に包まれた城と共に父の最期を目の当たりして、さらに同様に母も炎の落城で見送った彼女たち・・・・戦とは生きるか死ぬかの選択しかなかったのだろう。立場が違えば、江とても同じだっただろう・・・・。

母・お市の方は、織田信長の妹であり、兄・織田信長の命により近江国の浅井長政の元へと嫁いだ。このとき彼女は21才だった。当時としては、江の12才と比べると超晩婚である。これは、兄・信長が彼女を「掌中の珠」のように大切にし愛していたからではないだろうか・・・・。
政略結婚ではあったものの、浅井長政とお市の方の間はまさにおしどり夫婦で、結婚から長政の自刃までの6年間に、二人の間には、嫡男、次男と浅井三姉妹の5人をもうけたのだから、仲睦まじかったのだろう。江は落城の間際に生まれたという。
お市の方は、江を抱き二人の娘の手を引き、炎上する城を出たが、しかし、嫡男・万福丸は秀吉によって殺され、次男の万寿丸は出家させられた。
彼女は、美人であったばかりでなく聡明でもあり、両端を縛った袋を届けて浅井家による攻撃(挟み撃ち)を織田信長に伝えたという・・・・結果的には、この判断が夫・浅井長政を死に追い込んだのかもしれない。
彼女は、やがて、信長が亡き後、娘を連れて柴田勝家と再婚するが、またまた秀吉に攻められ、娘たちだけを城から出し、夫・勝家と城を枕に自刃する・・・・享年35才である。
当時は落城に際して、女・子供を道連れにするのは武将の恥とされていた。武骨一辺倒の勝家が妻との自刃を望んだはずはないと思う。
彼女は、又、城を出て、万福丸の仇であり自分へ好色の目を向ける秀吉の庇護を受けることを頑なに嫌ったのではないだろうか・・・・。
彼女は、睦まじい仲であった夫が2回も天下人に対抗して滅亡し、最後は自身も自害・・・・その美貌から「薄幸の美女」の代名詞であるが、しかし、後の豊臣秀吉側室淀殿となる「茶々」、次女で京極高次の正室となる「初」、三女で徳川秀忠の正室となる「江」という歴史に血を繋ぐ娘たちを残した。
絶世の美女と謳われ、兄に愛され、名だたる武将の憧れの的となり、二人の夫に寵愛され仲睦まじく、天下を動かす娘たちにも恵まれた・・・・わずか、35年だったが、濃密な時を過ごした人生だったのではないだろうか・・・・。
わずか、27才で果てた浅井長政・・・・しかし、残された娘たちによって、彼の血脈も豊臣、徳川、名だたる武将、そして天皇家へと天下に脈々と流れたのだった。

男たちのドラマがある限り、その男の周りの女たちにもドラマがある。
天下分け目の戦いは、女たちの生活や心の中にもあったのである。いつ果てることもない戦乱に翻弄され、愛する人を次々と失い、明日への希望を抱くことも叶わない戦国の世を、乱世の苦しみを誰よりも味わいながら、太陽のような温かい愛で天下太平を願い、たくましく生き抜いた女性たちがいた。彼女たちの、たくさんの涙が、たくさんの頬笑みが、たくさんの愛が、次なる平和と繁栄の時代への礎となっていったのである。

(「江」には、「小督」、「お江与」という呼び方がありますが、NHK大河ドラマの「江」という名を使いました)

# by pubfujiya | 2011-01-09 15:00 | エッセイ

危機管理への一歩

先日、お世話になった方の葬儀があり、午前中に外出することになった。大きな葬儀だったので寺の境内で式は執り行われた。とても寒い日だったので、かなり、キツイものがあったが、何とか我慢をして焼香をすませて帰途についた。
亡くなった方を思い出しながらの車を運転しながらの道すがら、我が家の近くの米軍通信隊の前のテントの中でいろいろな野菜を売っているのを発見した。ふだんの日に午前中に動くことはあまりないので、ここの販売所は知らなかった。
ゴロッとした新鮮な白菜、形はちょっと悪いが太い大根、大きくまるまるとしたカブ・・・・車だったので、いくつか買い込んだ。カブは、葉までみずみずしく捨てるのに惜しくて茹でてみたところ、とてもやわらかく、ほんのりと菜の花に似た苦味があり、とても美味しい。
驚いたことに、それらの野菜を部屋に入れたら、野菜の青い匂いがあたりに漂った・・・・スーパーの野菜は、こんなに匂いがしないことに気付いた・・・・やはり、取れたて新鮮な地場野菜ならではの匂いなのだろう。何だか、この野菜たちがとても愛しいものに見えてきたのである・・・・私たちも食料はスーパーや店で、いつでも手に入るという考え方を見つめなおすときが迫って来ているのではないかと・・・・。

その前夜、お店は12月だというのにガラ空きで、自衛隊に長いこと勤めたお客様が一人になり、その方と、日本の有事の際の危機管理、食料自給率について閉店まで熱く語り合った。
彼は、仙石官房長官の「暴力装置」発言に大変怒っていた。彼は、通称「習志野空挺団」と呼ばれるレンジャー部隊に勤務していたがレンジャーではなかった。この部隊は、こと有事となれば、真っ先か、あるいは最終手段として送り込まれる陸自きっての精鋭部隊だそうだ。「レンジャー」の資格を取るには〝地獄の特訓〟という並大抵ではない試練があるそうだ。そこで、日本の有事に備えて、我を忘れてしまうほどの訓練を日夜している隊員を見てきただけに怒り心頭らしかった・・・・「仙石氏に戦闘服を着せてソマリアにでも落としてやりたい」とまで言っていた。

有事の際には、食糧自給は避けて通れない。日本の食糧自給率は世界第5位で40%だと農林水産省は言うが、これは全くの嘘だという説もある・・・・ということは、もっと高いということである。
食料自給率には、金額ベースとカロリーベースという二つの計算方法がある。
日本の食料自給率は40%と言うときの食料自給率はカロリーをベースにしたもので、金額ベースに直すとその数字は66%にまで跳ね上がる。
どうしてこういう事になるかと言うと、畜産物や野菜などの国内自給率は意外と高いのだが、カロリーベースで計算すると畜産物はほとんどカウントされなくなり、野菜は他の穀物や畜産物と比べてカロリーが低いため自給率が大きく下がる事になるからだ。(畜産物の自給率は飼料の自給率によって決まる。日本は飼料のほとんどは輸入に頼っているため畜産を国内で作っていても畜産物の自給率は低く抑えられる)
浅川芳裕氏著の『日本は世界5位の農業大国』によると、日本の食料自給率は決して低くなく、農水省は「40%」という自給率を取り上げて、先進国の中で最低水準だと喧伝している。だが、これはカロリーベースの数字であって、生産高ベースで見れば66%と他の国に見劣りしない。
同様に、世界的な食糧危機は現実的にはやって来ないこと、日本の農業は世界有数の高い実力を持ち、食料の増産に成功していることなども論じており、こちらも説得力に満ちている。なにしろ日本の農業生産額は約8兆円で、世界5位・・・・日本はれっきとした農業大国なのだという・・・・。
日本の農産物の輸入額が他の国と比べてそれほど高くない事を上げて(日本は輸入額
で4位、1人当たりの輸入額で5位)さも日本の海外への食糧依存度が高くないかのように書かれてあるが、しかし、それは、誤りではないだろうか・・・・例えばアメリカは農産物の輸入額が飛びぬけて高いが、それでも金額ベース、カロリーベース共に100%を優に超える自給率を誇っている。これを、アメリカは大量の農産物を輸入しているが、それをはるかに越える量を輸出している事を意味する。つまり、食糧危機が起こっても輸出を規制すれば、自国内で完全に食糧を賄っていけるのだ。上位に入っている他の先進国についても食料自給率が高ければある程度同じ事が言えるだろう。一方日本では輸入額は多いが、輸出はほとんどしておらず、国内自給率も低いので食糧危機が起これば、国内が食料難に見舞われる事になる。まったくもって立場が違うのである。
日本の食料自給率が低い事は紛れもない事実であり、金額ベースで見ても日本の食料自給率は先進国で下から2番目だと言う有識者もいる。畜産の肥料や農耕機械の燃料についても、輸入に頼っている。肥料や燃料も自給していけるよう努力しなければならないだろう。
スーパーなどに並ぶ農水産物の半分以上は、世界各国から集まっている。しかし、これから10年20年後を考えたら、私たちも自給の準備をしなくてはならなくなる時が来るだろう・・・・もう少し地場で取れる作物、そして、可能なら自分で野菜を育てることにも目を向けることが小さな1歩ではないだろうか・・・・。

先日、韓国では、全国民を対象にした大規模な避難訓練が行われた。道行く人や職場や学校では、最寄りの地下施設に避難するとともに、生物、化学兵器による攻撃に備えて防毒マスクをつける訓練も行われたという。地下施設には10日分程の食糧や簡単な調理器具もあるという・・・・日本との違いに、ただただ驚いたのだった。
韓国の全地下鉄駅構内は北の攻撃に備えて、地下鉄を作るときから防空壕を兼ねた設計をしていた。韓国の地は岩盤でできており、防空壕には最適な土地らしい。放射能汚染も想定しており、2重防災シャッターを備えてあるそうだ。韓国では個人でも核シェルターを購入している人もいるそうだ。戦争になればソウルはあっという間に戦場となるのは間違いない地理にあるため、韓国は私たちが想像している以上に、北の脅威を感じている。そのため、日本との真剣度の違いに考えさせられた。
韓国では、今回ほどの規模ではないが、毎月15日に北朝鮮の攻撃を想定した避難訓練を行うというので、マンネリ化している人たちも多いらしいが、訓練の遭遇した朝鮮戦争のことも知らないであろう日本人観光客たちは、外国人でも特別扱いはされないことには驚いただろう。
朝鮮半島の安定は日本の平和に大きくかかわっている。昔から日本はこの半島をめぐって過去戦争を何回も起こしてきた。もし韓国が北朝鮮に征服されていたら、竹島だ尖閣だなんて小競り合いをしていられなかったはずである。私たち日本のほうが避難訓練をやっていたかもしれない。
我々の常識では考え及ばない行動をする北朝鮮・・・・日本には、まだ危機は及んではいないが、危機はある日突然やってくる。刀は抜く時には音はせず、拳銃も引き金に手をかける時には音はしない。
日本も地震に対する防災訓練だけではなく、ミサイルに対する避難訓練もした方が良いのではないだろうか・・・・危機管理の無さは、何も政府や閣僚だけではなく、我々国民にも責任があるのではないだろうか・・・・。

思いも着かないニュースに出合ったり、知人の訃報も聞いた・・・・これから、さらに寒くなるとの予報であるが、今信じられる人の温もりを大切にし、危機管理や食料自給に目を向けつつも、その心配がいらない平和が続くことを願う日々である。

# by pubfujiya | 2010-12-25 14:53 | エッセイ

プロとは・・・・

当代きっての人気歌舞伎俳優、市川海老蔵(32)が25日未明、 東京・六本木で男性グループとトラブルになり、殴られて左ほおを骨折し、顔面に重傷を負うという事件が起こった。帰宅時には顔から流血している状態で、妻の麻央さんが110番通報した。警視庁目黒署によると、海老蔵は「初対面のグループと酒を飲んでいたらトラブルになり殴られた」と話しているといい、傷害事件として調べを進め、警視庁が一緒に酒を飲んでいた男(26)の逮捕状を取ったと報じられている。
2チャンネルなどによると、犯人は、暴力団でも暴走族でもない関東連合という組織で、殺人も辞さないような西麻布あたりでは有名なDQN(ドキュン → 元ヤンキーが多く、時として非常識な行動が多々見られたことから、インターネットスラングで非常識な人物を指す蔑称)の一人らしい。メンバーは有名クラブのオーナーだったり、芸能事務所社長だったり、ファッションブランドに出資してたりする人たちのいわば愚連隊集団だそうだ。

私は40年近く飲食業をやっているが、ここまで重傷を負う暴力沙汰は見たことが無い。大抵、誰かが止め入ったりして収まるものだ。ここまでやるのは、被害者が加害者を相当怒らせた可能性がある。そして、「ざまぁみろ」とばかり誰も止めなかったのかもしれない。
騒動の舞台となった六本木、西麻布界隈のバーなどを巡るだけでも、豪快に飲み歩く海老蔵の目撃証言が次々と出てくる
海老蔵と、たびたび遭遇した人たちや、バーのオーナーたちは、 「海老蔵さんの酒グセの悪さは有名でした。酔っぱらうと誰彼構わずケンカをふっかけたり、些細なことで激高することもあったようです」 と、口を揃えて言うそうだ。さらに、「酔ったときは『おれは人間国宝だぞ!』とすごむのがいつものパターンでした」とも言う。
過去、中目黒や代官山にも頻繁に出没していたが、一般の女性客に失礼な言葉を投げかけるなどしてトラブルになることも多く、 複数の店で出入り禁止になっていたという・・・・。
暴行現場のビル関係者は、「悪酔いした海老蔵が、I (伊藤リオンというらしい)の先輩格にあたる某氏の知人に絡んだのが原因のようです。I は目の前で、その知人が愚弄されたことにキレてしまった。海老蔵の酒グセの悪さは六本木中に知れ渡っていましたから、『懲らしめてやろう』という気持ちもあったのでしょう」と証言する。

海老蔵が、酔いつぶれた I の先輩に酒をかけた揚句、髪を引っ張って灰皿に入れたテキーラを飲ませようとしたことが、今回の事件の原因とされていることが分かってきた。もし本当なら、つぶれた飲み仲間相手に、ここまでやるとは常識的には思えないが、海老蔵にはコレが普通なのだろうか・・・・?

この怪我により彼は、12月30日から京都南座で出演予定だった歌舞伎の「紅白」と言われる1年を締めくくる 「吉例顔見世興行 東西合同大歌舞伎」を降板し、片岡仁左衛門さんが代役を努めることになった。この事件で、松竹が無期限出演停止という処分をしたことにより、彼が主演予定の1月公演「初春花形歌舞伎」は、公演中止となった。全治6週間という顔面のけがが完治し、舞台に立てる状態になるまで時間が短か過ぎることに加え、事件が海老蔵が一方的な“被害者”ではない可能性も出てきたためでもある。このアクシデントは、多方面に波紋を広げることは間違いない。
「初春花形歌舞伎」では、昼夜合わせて6つの演目が上演されるが、海老蔵は、うち5つに出演することになっていた。とりわけ、昼の部に予定されている歌舞伎十八番の一つ「蛇柳(じゃやなぎ)」は、64年ぶりに復活させる演目とあって、通常以上のけいこ時間が必要となる。また、夜の部の人気演目「勧進帳」の幕切れで見せる「飛び六法」は、ダイナミックな動きが見せ場で、病み上がりの体でファンの誰もが納得できる動きを披露することができるかは疑問になった。1月は、東京都内4劇場で歌舞伎公演が行われるため代役でしのぐのも難しかったらしい。1月公演が中止となり、チケットの払い戻しなどで、1億数千万円の損害が見込まれるそうだ。彼は、当代を代表する人気役者、今回の事件でファンが離れたら、歌舞伎座が建て替え中なこともあって、歌舞伎人気の低下にも直結しそうである。
こんなことになるくらいなら、女性とベッドインでもしててくれたほうがずっと良かったと、きっと新妻麻央ちゃんは思っているかもしれない。

市川家は、歌舞伎界最高の名跡であり、江戸歌舞伎の中心的存在で徳川家に近く、特に市川宗家と呼ばれる。しかし、この名跡にもいろいろなことがあった。7代目海老蔵は、派手な私生活が奢侈禁止令に触れたため、天保の改革の旋風が吹き荒れるなかで、突如江戸南町奉行所から手鎖・家主預りの処分を受け、さらに江戸十里四方処払いとなった。7代目の長男八代目團十郎は、嘉永7年 (1854) 大阪で初日に旅館の一室で突如自殺する。享年32だった。6代目は、22才で風邪をこじらせて急死している。早逝した人がいるせいか、市川家には、人間国宝(正確には無形文化財と言う)になった人はいない。市川家には、やはり波乱万丈の血脈が流れているのかもしれない。

しかし役者としての海老蔵は、奔放さや危うさをはらむところに魅力があり、それが許される唯一の人だった。言わば、「破滅型」 の魅力なのかもしれない。もし今後、その魅力が失われ、つまらない役者になってしまうとすれば残念だ。プライベートでの奔放過ぎるほどの振る舞いが、これまでは“芸の肥やし”として許されてきた。しかし今度ばかりは「舞台に穴を開けるという、プロの舞台人としてこの上ない醜態は許されるものではない。
彼の父を始め歌舞伎役者は、やんちゃをやってきた方が多い。現在のように写真週刊誌あり、パパラッチ居りの時代ではなかったから、目立たなかっただけである。プロとしての道をしっかり歩むなら、やんちゃも結構だ・・・・特に芝居でいろいろな人間を演じる上では必要悪かもしれない。しかし、その本業に成果を上げ、舞台を死守した上でのことである。
先日、新聞で尾上菊之助扮する「玉手御前」の写真を見た。着物の片袖を取りそれを頭巾にし、人目を避けて義理の息子の部屋に忍んで行く玉手御前・・・・その柱にもたれる姿、手の位置と美しさ、立てた膝と腰の位置の艶かしさ・・・・一瞬を捉えた写真にも色香がこぼれ、見るものにも後ろめたささえ感じさせるその芸の素晴らしさ・・・・やはり、“芸の肥やし”が無くては成り立たないのだろうと、私は、妙に納得してしてしまった。

話は違うが、先日、パソコンでニュースを見ていたら、『佑、ススキノ封印、ルーキーイヤー野球に専念・・・・日本ハム』 と、出ていた。この記事は言うまでもなく、日本ハムに入団が決まった斉藤佑介のことだ。日本ハムは札幌がホームグラウンドだけに、多くの人が歓楽街のススキノで遊び呆けるのではないかという心配を予想して、本人が予め 「ススキノには行きたいとは思わない」と言い出したらしい。確かにこの宣言、早稲田の優等生らしく、清く正しく立派かも知れない。しかし、これは馬鹿げた話で勘違いも甚だしい・・・・頭が幼すぎる。プロとなった22才の男にファンは清く正しく生きて欲しいなどと願っているわけではない。それより、厳しいプロの世界で即戦力となり、先ず1勝でも2勝でもすることを願っているはずである。
男性が22、3才のころは性欲も強く、身近に心身ともに癒してくれる女性がいたらそんな嬉しいことはないだろう。彼は、1年目はそれが抑えられるとでも思っているのだろうか・・・・お坊さんや道徳の先生になるわけでもなく、自然な欲望を抑えられたからといって、誰も褒めたり感心もしない。
今回、彼がそんなことを言い出したのは、先輩選手ダルビッシュのことが念頭にあったからかもしれない。詳しいことは、分からないが、ダルビッシュの離婚には、ススキノの女性の存在が原因だったとか・・・・しかし、彼の素晴らしいところは、真面目な夫であることではなく、年間15、6勝もする若くて颯爽とした大投手であることである。もちろん彼が一切浮気もせず、ひたすら妻だけを愛しながら、この成績を上げればそれが最高かもしれない。しかし、ある意味妻を忘れて遊んだから今の成績と年収があるのかもしれない。
斉藤選手も長い間には、必ず迷いや不安にとりつかれるときがある。そんな時は堂々とススキノでもどこへでも行って女性に癒され、またやる気を起こして欲しい。

いずれにせよ、プロとはそういうものである。生き方が道徳的か否かということよりも、どれだけの成果が上げられ、どれだけの価値があるかということである。しかし、絶対的タブーがある・・・・それは、自分の出番に穴を開けてはいけないということである。今回の海老蔵は、自分の不注意でそのタブーを犯してしまった・・・・それが罪なのである。
謝罪会見での彼を見ていると、その端正な顔立ち、目線の据わり、ハリのある美声、キレの良い言葉、話の間の良さ、瞼の動きにまで無駄がない・・・・さすが当代随一の華のある役者である。その自分に酔っていたところもあり、緩んでいた部分があったのだろう。しかし、今回の事件で、個性のない役者になってしまったらもったいない。
父12代目団十郎は、常々「自惚れというのは足音がしないんだ」と、教え諭してきたという・・・・父の言葉が、まだ痛みがあるという彼の傷口に沁みてくれると良いのだが・・・・。

<追記>
ここまで読んでくださって有難うございます。
世の中の出来事や事件が多く、私なりの意見を書きたくなり、ショートブログを開設いたしました。どうぞお暇がありましたらご訪問下さい。このブログの右サイドの 『ママのひとり言』 からどうぞ!

# by pubfujiya | 2010-12-09 21:10 | エッセイ

失言? 本音?

柳田法相の「国会軽視」の発言で、その進退をめぐる攻防が、いよいよ激しくなってきた。自民党は22日に問責決議案を参院に提出する方針を決め、他の野党も同調、可決は確実な情勢のようである。地元に戻った気楽さとウケを狙ったことからの発言であろうが、国会答弁を「二つの言い回しを覚えておけばいい」とはあまりにも軽率である。補正予算案の行方にも密接に絡んできそうだ。円高・デフレ対策を盛り込んだ補正予算案は、衆院通過後30日たてば自然成立するとはいえ、当面の景気を考えれば早期成立が望ましいはずであり、それには、参院で多数を握る野党の協力が不可欠だ。その最中の法相の不用意な発言である。政府・民主党は、自らを取り巻く厳しい現状に対する認識が甘いとしか思えない。
さらに、仙谷官房長官の失言も相次いだ。自民党政権時代にも閣僚の失言は多々有ったが、当時、野党だった民主党は猛反発し、罷免も要求していた筈である。ところが自分達の閣僚の失言に対しては大甘で呆れるばかりである。攻守所を変えたとたん、身内には甘い対応というのでは国民の理解は得られまい。野党時代のあの鋭い追求は何処に行ったのだろうか?

自民党政権時代にも数々の閣僚の失言はあった・・・・「私の友人の友人は、アルカイダ」とか、「女性は子供を産む機械」だとか、「強姦するヤツは元気があっていい」とか、「原爆を落とされたけど、しようがない」・・・・とか数々あった。しかし、私は、この柳田法務大臣、仙谷官房長官の失言に本当に憤りを感じている。
柳田発言はもう失言の域ではない。自分の職に対する姿勢の本音なのだろう。しかしながら、今までの自民党の法務大臣も変わりなかったといえば変わりない。ただ、それを口にしなかっただけである。国会議員というものが、のん気で、揚げ足取りをして遊び、それで高給を取り税金の無駄使いをするのが仕事であると明言したようなものである。
政権を蝕む閣僚の発言・・・・19日の読売新聞の見出しには、『失言内閣 「もはや末期」』と表示されていた。菅政権の揺らぎは、目を覆うばかりである。
更に、17日の審美で参議院の前田予算委員長は官房長官に向かって仙谷総理大臣と呼び野党側の失笑を買った。菅首相と比べ、仙谷長官の存在感が大きいことを皮肉ったというわけではないだろうが、これもまた、緊張感の欠如の表れである。蓮舫行政刷新大臣の国会内でのファッション雑誌の撮影問題の答弁の撤回、尖閣諸島の中国漁船衝突ビデオの流出問題の対応など、余りにも醜態が相次いだ。菅総理も横浜で開かれた先のAPEC(アジア太平洋経済会議)において、中国との会談でメモを見ながら会談するなど、海外メディアの失笑を買っていたそうである。
2009年の夏に、あんなに大きな風を民主党に吹かせたのを後悔している人たちも多いことだろう。

以下は、柳田法務大臣の発言である。
「9月17日(の内閣改造の際)新幹線の中に電話があって、『おい、やれ』と。何をやるんですかといったら、法相といって、『えーっ』ていったんですが、何で俺がと・・・・。 皆さんも、『何で柳田さんが法相』と理解に苦しんでいるんじゃないかと思うが、一番理解できなかったのは私です。私は、この20年近い間、実は法務関係は1回も触れたことはない。触れたことがない私が法相なので多くのみなさんから激励と心配をいただいた」
「法相とはいいですね。二つ覚えておけばいいんですから。
『個別の事案についてはお答えを差し控えます』と。これはいい文句ですよ。これを使う。これがいいんです。分からなかったらこれを言う。これで、だいぶ切り抜けて参りましたけど、実際の問題なんですよ。しゃべれない。
『法と証拠に基づいて、適切にやっております』。この二つなんですよ。まあ、何回使ったことか。使うたびに、野党からは責められ。政治家としての答えじゃないとさんざん怒られている。
ただ、法相が法を犯してしゃべることはできないという当たり前の話。法を守って私は答弁している」

しかし、事ここに至っては、彼の責任だけではなく、このような人物を法相に任命した任命責任を管総理に問いただすべきである。
柳田稔法務大臣は東京大学理科Ⅰ類を自主退学し、すし屋修行後、東京大学工学部船舶工学科再入学という変わった経歴の持ち主である。法務大臣に理系一筋の人は如何なものだろうか? 本人も20年近い間、法務関係は1回も触れたことはないと言っているのだから・・・・そんな人でも法務大臣が務まるのか首をかしげるのは、私だけではないだろう。拉致問題担当大臣でもあり、民社党時代から拉致問題には関心があると言ってはいるが、今まで拉致被害者家族には会った事もなかったそうである。
管首相は公明党からの任命責任の追求に 「専門的仕事をしていたかどうかだけではなく、バランスある判断ができ、政務三役とのチームでリーダーシップを発揮できる人材」としたが、本音は人材不足なのかもしれない。

仙谷官房長官は、参議院予算委員会では、「自衛隊は暴力装置」と、自衛隊を馬鹿にした発言をした。かつて左翼運動において「自衛隊は暴力装置」と表現されていたことがあった。正に「赤い官房長官」と言われている元全共闘の学生運動家仙谷氏だけにその本性の一面をのぞいたような思いがした。
1964年東大文Ⅰ〔2〕に合格し、東大時代は全共闘の新左翼系学生極左運動家であり、日本共産党を脱党した安東仁兵衛らが指導した構造改革派のフロント(社会主義同盟)というセクトのシンパだったそうだ。東大安田講堂の攻防では講堂の中にはおらず、救援対策や弁当の差し入れなどを行い、学生活動家仲間からは仙谷は「弁当運び」と呼ばれていたらしい。5年次在学中の1968年に司法試験に合格し、中退して司法研修所に入所してから、1971年から弁護士活動を開始し、主に労組事件を手がけ社会党から立候補し当選した・・・・これが「赤い~」といわれる所以である。自衛隊を軽んじる人が政権与党の官房長官でよいものだろうか?・・・・また々首をかしげたくなる。

私が何故、この二人の発言に大変怒っているかというと、命をかけて仕事する国民の存在が彼らの眼中にないからである。
柳田法相については、死刑判断に苦しみ、涙を何度も流しながら判断したという裁判員たちがいること・・・・自分は三権分立だから直接裁判には関係しないかもしれないが、死刑執行の命令書にサインをする立場である。裁きの結果において人の命や運命を握っているに等しい法相・・・・・それなのに、「法相とはいいですね。二つ覚えておけばいいんですから・・・・」とは、何事であろうか!! (そう言えば、昔、「~は、気楽な稼業ときたもんだ~」と、植木等が歌っていたっけ・・・・「~」の部分に法相を入れて歌わせてやりたい)
彼は 「ちょっと、茶化したかもしれない」と言い訳をしたが、これは失言ではなく、本音に聞こえてくるから恐いものがある。直後から何度か流されている映像を見ると、確かにこの二つの答弁で切り抜けてきた場面が圧倒的に多い。
仙谷官房長官についても同じである。命をかけて国や国民を守っている人々を軽視している。いくら、「実力組織」と言い換え撤回したとはいえ思想の中で、官房長官たる人が 『暴力装置』だと思っていることが問題である。
ある男性陸上自衛官は「本音の部分ではいろいろと思うところはあるが、制服組なので政治的発言は控えたい」と前置きした上で、「国会で答弁が行われている間も、われわれは山の中に入ったりして訓練をしている。それは何のためかといえば国の平和と安全を守るためだ。命を賭して国を守っている自衛隊員への発言として、いい気持ちはしない」と切り捨てた。
さらに、別の自衛官は 「『暴力装置』とはマイナスイメージの言葉で、社会悪のようなイメージ。まるで自衛隊は存在してはだめだと言いたげだった。おそらく自身の経歴からにじみ出た軍隊観だと思うが、一国の官房長官にここまで毛嫌いされているのかと思うと、悲しいし、むなしい」と肩を落とした。
仙谷官房長官や彼の家族も、いったい誰に守られていると思っているのだろうか!!

ここへ来て、民主党の小沢一郎元代表が動きを見せはじめた。さすが剛腕と言われるだけあって機を見るのは迅速だ。18日夜、東京・赤坂の中華料理店で開かれた若手議員との懇親会に出席し、「民主党政権の現状は厳しい。大変だ。」との認識を示したうえで、「破れかぶれ解散はいつあるかわからないぞ。常在戦場だ」と述べ、早期の衆院解散・総選挙の可能性に言及した。
確かに失言が多くなってくると政権も末期である。この二人の発言は失言ではなく本音をポロリと言ってしまったのだろう。しかし、他の閣僚にも言えることだろう・・・・国会中継を聞いていても、官僚が作成したメモをただ読んでいるだけというものも多く、議論が少しもかみ合っていないことがある。そんな議論をしていて、1回5億円かかると言われる国会を空転させていては、国民はたまったものではない。
政権を担当することは、決して名誉な事でも得する事でもないはずである。言うならば火中の栗を拾う役目ではないだろうか・・・・良い例が、対中国問題であり、対ロシア問題である。おどしたり、すかしたり、なだめたり、いや、もっと様々な手練手管が必要であり、こんな難しいことは無いだろう。
そうした難しい様々な問題に現実にぶつかって行くのが政権なのであって、与党も野党もその応援こそするべきである。いちゃもんを付けたり、「反対のための反対」をして、退陣に追い込む「首取りごっこ」ではないはずである。失言はもちろん問題だが、それをどう考えるかに、政治家達の本音が現れて来る。鬼の首でも取ったかのように錯覚して、自分自身を売り込んでいる醜悪さも見え隠れして来た。
そこで、私はこう考える・・・・失言騒動は、有益なことかも知れない。政治家の本音や素顔が見えてく絶好の機会だから・・・・。

# by pubfujiya | 2010-11-20 14:25 | エッセイ

衝 撃

5日朝、仕事から帰ってテレビのスイッチを入れて目を疑った。「ああ!これは!」・・・・先日、国会議員のみで「秘密」に見たはずの海上保安庁による撮影の中国漁船衝突シーンのビデオがテレビで流れているではないか・・・・。
出すの出さないのですったもんだしていた「尖閣諸島沖で海上保安庁巡視船と中国漁船が衝突した際の映像」が、突然いとも簡単に〝Youtube〟に上がり、しかもそれが無修正の本物だということで騒ぎになっている。尖閣ビデオは関係者一同まさかこういう最悪な形で満天下に晒されようとは思わなかっただろうし、流出させた本人がいくら確信犯的に「日本のために」と考えていたとしても、結果的に情報管理が徹底できない日本政府のお粗末さを世界に知らしめてしまうことになった。
流出した画像は6本に分けられ、計約44分あったという。漁船が巡視船に衝突した瞬間の鮮明な映像も含まれていた。海保職員とみられる男性の声で、「挑発的な動きを見せています」「本船に当てました。今の位置を確認」などと話す臨場感溢れた音声も入っている。
外交上の判断で政府が「ビデオ公開」を、条件付きで国会議員のみの視聴とした「6分余りの映像」をはるかに超えるサイズの映像を誰が何のために流したのだろうか・・・・政府の判断で「外部流出厳禁」扱いをしていることに批判、不満を持つ人が「ネット公開」に踏み切ったのではないかと想像はつく。
今日の流出事件で「中国漁船衝突のシーン」を撮影した海上保安庁の映像は、中国も含めた世界中の人々が見ることが出来る。この映像を見る限り、中国漁船が海上保安庁の船に当たってきたという姿が見て取れる。「流出した映像」はまたたく間に既成事実化し、テレビやネットで放映をされている。そして、このネット上の映像が海上保安庁撮影のものであるのなら、政府は「ビデオ映像を公開しないという判断をしてきた理由」について、きちんと説明するべきであり、そして、「公開しない」という「これまでの外交上の判断」が正しかったのかどうかは、批判を問われるはずである。
このような自衛隊や海上保安庁が撮影したもので、もし「公開」したら大きな波紋を呼ぶだろう映像が、政府の判断を飛び越えて流出するという事態は、シビリアンコントロール(文民統制)の問題に発展する可能性があるのではないだろうか・・・・政治の統制力・統治機能が崩れて行く過程だとまでは、まだ言い切れないが、仮に刑事事件として捜査された場合に世論の動向にふりまわされる事態が予想出来る。
補正予算審議入りの最中に、「北方領土ロシア大統領訪問」に続いて、「海上保安庁ビデオのゲリラ公開」と、管内閣の外交姿勢を問われる問題が続いているが、今、歴史が大きな山を超えるターニングポイントとなるのかもしれない。

日本国家が壊れかけている・・・・そんな気がする。日本国家を家にたとえると、天井と壁にそれぞれ2ヶ所大きな穴が開き、腐蝕が拡大しているというイメージである。第1は外交面であり、尖閣諸島は、日本が実効支配しているわが国固有の領土だということ・・・・尖閣諸島周辺12海里のわが国領海のみならず、その外側の排他的経済水域圏(EEZ)においても、外国漁船の操業は日本政府の許可が必要である。しかし、国際法では領海であっても、船舶の無害通行権は認められている。ただし、この青色の漁船は、海に網を降ろしていた。領海でこのような操業行動をとることが認められないのは国際法上明白だ。それだけでなく、この青色の船は挑発的な行動をとり、わが巡視艇に意図的と見える衝突をした・・・・巡視船は公船であり、公船に対する攻撃は、大使館に対する攻撃や外交官に危害を加えるのに準じる日本国家に対する挑戦と同じはずである。断じて看過してはならない。処分保留で釈放した中国人船長を、検察庁は直ちに起訴すべきであり、そして、中国に対して、犯罪人の引き渡しを要求をし、日本国家としての筋を通すべきだと思う。それが、この流出映像ビデオを見た大方の国民の気持ではなかろうか・・・・。もし、このような事態が、ロシア海域、中国海域で起こったならどうなるか・・・・想像してみたらすぐ分かることである。
第2の穴は、国家機関の官僚の規律が崩れている・・・・日本国家が秘密としている情報がこうも軽々と流出するような事態は断固取り締まらなくてはならない。現段階で神戸の海上保安庁職員が名乗り出てきたということで捜査が進んでいる。今世論は、「犯人探しをするな!」とか「よくぞやってくれた!」とかの声が高まっているが、私たちも情報漏洩者を「正義の告発者」などと英雄視してはならないはずである。私たちが見たいものを見せてはくれたが、国家秩序を破壊するという意味では、極めて悪質であると言えるだろう。

東京都の石原慎太郎知事は5日の定例会見で、沖縄県尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件のビデオ映像がインターネット上に流出した問題について 「結構なこと。私もそのうちに有志と図って国民運動で、日本固有の領土の尖閣に自衛隊が駐留してもらいたいというキャンペーンをしようと思っています」と語った。
「さっきも私、フルテキスト、インターネットに流れている尖閣諸島の漁船衝突問題の映像を見ましたがね。あれ、なんで政府は発表しないのかね。結局内部告発でしょう。こんなこと黙っていられるかっていうね。まあ、どこの省の人間か知らんけど。冗談じゃないよってね。国民の目に実態を見てもらいたいということであれが流出した。結構なことじゃないですか。私は国民の意識というのははっきりしていると思います」
さらに、「それにあわせて、自民党の幹事長(息子の石原伸晃氏)に申しましたが、政府対政府で、ああいうばかなことしてまで主張する尖閣の領有権が中国にあるという法的な論拠を示してもらいたい。『政府から政府にとにかく通告させなさいよ』と(幹事長に)言ったら、『言っても答えないだろう』と言う。答えないことが答えになるんでね。われわれにとっては荒唐無稽の話に思えるけど、尖閣の領有権を主張する法的歴史的な根拠は、なんなんですかということを公式に質問させたらいいじゃない。すべきだと思うし、国民はそれを望んでいると思いますよ。相手がはっきりしたことを言ってきたら、それを斟酌して考えるべき余地があるかもしれないが。おそらく、それは出てこないでしょうな。出てこないってことが答えになるんだから」・・・・私も彼の意見に頷ける。

尖閣ビデオ流出を庶民感覚で見ていると、何も日本に不利でもない映像をなぜ隠したのだろうか・・・・政府というか政治家の感覚が庶民には分からない。事件直後に流していたらこのような最悪の形にはならず、中国では抗日デモは起こらなかったかも知れない。そして、中国国民の間に中国政府から正確なことを知らされない不満が持ち上がったかも知れない。事件直後にこの映像を政府が流すのと、裏から映像が流失する意味合いは天と地の差がある。ただ、あのとき「フジタ」の社員4人の拘束があったことを思い起こすと政府も踏み切れなかったのかもしれない。
私が見たときは、すでに数分の映像だったが、それでもその凄まじさは生々しく伝わった。海上保安庁職員の衝撃への対応ぶりに比べて、中国漁船の乗組員は落ち着いており船長らしき人はタバコをくゆらせているようにも見えた。さらに自船への被害は最小限にする操舵術も見事というほかはなかった。それはまさに確信犯的な光景だった。彼らは果たして本当に漁民なのだろうか・・・・訓練された戦闘員ではないだろうか・・・・などと想像するに難くなかった。
あの大海原で疾走している船から、武器を持っているか分からない敵船へ飛び移り、正に命がけで相手の船長を逮捕した海保の職員にとっては、一目瞭然である犯罪行為を裏づける証拠のビデオを国民の目に触れないようして、逮捕・送検した中国人船長を処分保留のまま釈放した日本政府の事実上の「証拠隠滅」「犯人隠避」には、さぞかし納得が行かなかったことだろう。
あのビデオは 「Sengoku38」と命題されていた。「Sengoku」とは、あの仙石官房長官のことだろう。「38」は、「サンパー」と読むと中国の南の方の言語で 「アホ」とか「パー」とか人をののしる言葉だと言う・・・・政府への抗議と怒りを表しているような気がするのだが・・・・。

今回の事件を整理すると、3つの問題点がある。第一にはこのビデオの公開に一貫して抵抗、反対し続けた政府の判断と能力への疑問。第二には、恐らく個人的な暴走によってかかる流出をおこなった容疑者の処罰と統制の問題。第三にはこのような流出が可能であった、海保、ひいては日本政府の情報保全体制の問題である。
①政府の問題点は、海保の巡視船は一定方向に進んでいるのに、中国漁船の側が針路をかえ、意図的にぶつけてきているビデオの内容を見る限り、宣伝戦と外交の観点からして、一般公開を拒否してきた政府の判断力に疑問符が付く。外交戦で武器として使えたはずのものを、みすみす死蔵してムダにしたのである。ビデオ非公開については「中国のみならず、海保にとっても非常にマズいことが写っているのではないか」と疑う声もあったが、しかし、少なくとも今回の流出分を見る限りでは、中国漁船の非をありありと立証するのみで、日本側に不利な情景は見当たらない。もしこのビデオを中国が反論している時期に公開すれば、国際世論を日本側有利へコントロールする、宣伝戦に活用できたはずである。あるいは、最終的には公開しないとしても、中国に矛を収めさせ、今回の係争を終わらせるために「公開するぞ」というカードに使用できたはずである。そういう水面下の交渉に成功した結果、非公開のかわりに中国に矛を収めさせられたなら、ビデオは活用されたと言って良いだろう。しかし実際には、今に至ってもまともに首脳会談も開催できない状況にあるのである。
②統制の問題点は、流出したビデオは政府の判断により、一般公開が見送られ、一部議員のみへの公開となったものだった。今回の流出は海保に関係する人物が、恐らくは政府の判断を不満に思い、暴走したものと捜査が至っている。前述のように政府の判断に疑問がないではなく、不満を訴える声は政界にも、民間にも多くあり、海保の現場にも不満が生じていただろうことは容易に想像できるが、しかし、政府の判断に逆らって、恐らくは公的機関に属する個人が暴走することは、それがどれほどの快事であっても、認められるものではない。今回の流出を「よくぞやった」と思う人は多いだろうが、しかし個人的な正義感が横行するなら、いつ、どんな方向への暴走が生じるかわからない。ビデオを流出させた個人は、恐らく近いうちに「容疑者」と呼ばれることになる。このことは中国側の軽挙、日本政府の判断への疑問などとは分けて考えねばならないのである。
③情報保全の問題点は、今回のビデオは公開流出した先がYoutubeであったから直ちに発覚したわけだが、ネットにアップされなければ盗まれたことに気づけなかった恐れもある。また、厳重に管理されていたはずのビデオが流出するのであれば、より一般的な捜査資料の機密保全はどうなっているのか、ということになる。捜査資料が例えば犯罪組織などに流出し、密かに利用される、というようなことも考えられるべきで、この際、情報保全体制の見直しが必要となってくる。個人的な暴走によって内部の人間が情報を外へ流せるような管理体制であれば、このように外部から意図的に情報をもとめて浸透があった場合に、きちんと情報が守られているとは考えがたい。日本の政府機関では一般的に情報の保全、アクセス管理体制に問題があるといわれている。このことは、特に情報保全がもとめられる防衛分野では国際協力の阻害要因にもなってくる。
今回の事件で、単にビデオを流出させた容疑者、あるいは今回のみに限らず、政府機構全般そして脇が甘いといわれる政治家を含めた情報保全を見直していかねばならない時が来ている。

近頃の一連の事件で、我が国の情報管理の甘さは目を覆うばかりだが、それ以上にこの国の領土意識の希薄さが問題である。東シナ海に気を取られている内に北方領土も危うくなってきている・・・・崖っぷちの管政権が来るAPECの開催中に、中国、ロシアと首脳会談を行えるか、そしてどんな成果が上げられるか・・・・期待出来ないまでも、かすかな希みを繋ぎたいものである。

# by pubfujiya | 2010-11-10 14:41 | エッセイ

アナザー・ワールド

そのきっかけはある医師の勧めだった。それは、口の中が渇き荒れて食べ物や飲み物が沁みるようになり、病院の口腔外科を受診し、いろいろな検査の結果、ドライマウスと口唇ヘルペスということだった。血液検査の結果、中性脂肪値が高いこともわかった。私は、体重は40キロそこそこで痩せているタイプで、脂っこいものや甘いものも好きではないのだが、中性脂肪値というのは、体重や脂肪の摂取とは関係ない場合もあるらしい。担当医の話によると、私の場合要するに代謝が悪いということだった。この病院は、医師の診断に対する説明が診察より時間を取っており、担当外のことでも本当に納得のゆくものだった。この口腔外科の医師は、中性脂肪値が高いと動脈硬化を起こし危険なことを説明してくれ、ウォーキングをすることを勧められた。適度な運動をすることで体温が上がり、体温が上がることで免疫力がアップすること、身体の代謝が良くなり、代謝をする筋肉がつくということだった。
私は、病歴があるので、いくつかの病院で年に数回定期健診を受けているが、それらは大病院のせいか医師も忙しいらしく、多少検査結果が悪くても 「まぁ、こんなものでしょう・・・」ですまされていたような気がする。このように患者に丁寧に所見を説明し指導してくれる病院の医師は初めてだった。

帰ってから早速、近所を一回りした・・・・30年も住んでいるのに、車でばかり移動しているので、ちょっと裏道に入ると見たことも無い住宅の並びや景色に新鮮な気分にさせられた。始めたのが9月初めだったから、まだ、早朝5時前ともなると朝が明ける。仕事から帰って、近所の米軍通信隊の道でウォーキングを始めた。車の少ないこの時間には、身体の不自由な人たちがゆっくりと歩いている姿に出会う。それぞれ、脳梗塞や脳溢血などを患った人たちなのだろう・・・・。
時間が経つにつれてだんだんとウォーキングの人たちが増えてくる。行き交う人たちはみな 「お早う」と声をかけ合い、私もいつしかその仲間になって行った。

ウォーキング人口も年々増加し今では4000万人とも言われている。年齢層も幅広く小学生から年配の方まで、スポーツとしてウォーキングを考えた場合は日本で一番のスポーツ人口になるそうだ。ジョギングからウォーキングに転向している方も多く、ウォーキングは心臓や肺を強くして持久力を上げたり、血液中の糖や脂肪をエネルギーとして使ったり体脂肪・内臓脂肪を減らし筋肉量を維持したり、免疫力を上げたりといった沢山の効果が得られる運動だそうだ。歩くことにより筋肉が収縮し血液が循環する「ミルキング・アクション」という作用が働き脚が細く美しくなるとも言われている。継続することにより手軽に生活習慣病を予防・改善できるとされている。

「運動して下さいね」・・・・この言葉を以前から医師に何度聞いたことだろう。言われたものの体を動かすことに興味も無く、時間も取れず、次の受診を迎えた時には薬の量だけが増えていく・・・・このような経験を持つ人も多いだろう。病院の壁につぎのようなポスターが貼ってあった。
●ウォーキングで美肌美人に
続けると皮膚の新陳代謝が活性化され老廃物の分泌を促し肌を美しくします。
●適度な減量により美しい体に
余分な脂肪を体から追い出すにはウォーキングは最適です。〔有酸素運動)
●中性脂肪を減らす
健康な人の場合、血液1デシリットル中に中性脂肪は40~170mg含まれています。これ以上に多いと生活習慣病の引き金になると言われますので注意が必要です。
●悪玉コレストロールを減らす
悪玉HDLを減らすにもウォーキングは効果があります。しっかり食べて毎日歩くことがなによりの妙薬になります。とはいえ食べ過ぎ、飲みすぎには注意しましょう。

これらを見ると、ウォーキングは、「肥満防止」、「糖尿病の改善」、「動脈硬化の改善」といった、「身体を健康にする」ためのものと思われがちだが、実際に始めてみるとそれだけではなく、ストレス解消とか、集中力のUP、体力向上、持続力のUPとかにも効いている。私の場合ストレス解消からなのか、加齢のせいと諦めていた顔の肌が1ヶ月を過ぎた頃からシミが薄れくすみが取れつるつるになってきた。さらに体温が上がったのか、薄着で過ごせるようになった。
それと、一番大きいことは 「季節の移り変わり」に敏感になったこと・・・・私は、初めてまだ2ヶ月足らずだが、この2ヶ月間に、紅白の彼岸花が道端で満開で咲いていて白い彼岸花があることを知ったり、コスモスが猛暑のせいで例年に遅れて咲いたとか、お月見のときにススキが見当たらなかったとか、10月に赤とんぼが飛んでいたとか、色づいた落ち葉が風でころがる音が妙に心地良かったり、何種類かの鳥の声が聞き分けられるようになったり・・・・これは、ウォーキングをすると周りの自然が否応無く目や耳に飛び込んでくるからである。
なぜ「季節の移り変わりへの気付き」が大切かというと、それは時間の感覚に敏感になるということ・・・・だらだらと過ごしても、せわしく過ごしても流れる時間は同じだからである。(もっとも、アインシュタインは違うと言っているけど、凡人には誤差の範囲だろう) どちらの生き方が良いか悪いかより、流れる時間に意識がいくかどうかが問題なのだ。時間は限られた資源であり、人間にとっては命と引き換えにしているものである。ムダに時間を過ごしていないか、忙しいといっても本当に必要なことに時間を使っているか・・・・そんなことを考えながら歩いている。
「Walk This Way」・・・知る人ぞ知るエアロスミスのヒット曲・・・・日本語に訳したら、何ていう意味なんだろう。 直訳では「この道を歩け?」 つまり、「わが道を行く?」・・・・どんな道を歩くかは、人それぞれだろう。「道」は間違いかもしれないし、戻れないかもしれない。でも、誰にでも生まれてきた理由はあるはず・・・・その理由を探し続けるのも、生まれた理由かもしれない・・・・ひたすら道を歩いているうちにそんなことも考えていた自分に気がついた。

雨が降りそうな日は、何時でも帰れるように家の近所を歩く。下校時には可愛い小学生や、ちょっと大人びた中学生にも出会う。かって、私の子供も歩いた通学路を歩く彼らが全て自分の息子や娘の思い出に重なり合い、過ぎ去ったもう二度とは巡ってこない日々を懐かしくそして愛しみながら、涙を流しながらその通学路を踏みしめて歩いていたこともあった。
「こんなに可愛い子たちだったのに、どうしてもっと愛してやれなかったのだろう」、「子供と一緒に居られる時間はわずかなのだから、もっともっとその時間を大切にすれば良かった」、「子供たちが、悩みを持ち始めた思春期に、どうしてもっと注意深く見守ってあげられなかったのだろう」・・・・そんな想いで胸が締め付けられた。そして又自分に言い聞かせる自分が居た・・・・「子育ては人生の初舞台、失敗があったってしかたがない。二度目をやらせてもらえるならなら今度は完璧だけど・・・・」と。

そして、一番自分が大きく変わったことは、料理や家事をするようになったことである。歩いている時、農家の前を通ると取れたて野菜が置いてあり、側の缶に100円を入れて買ってくるということが習慣になったのである。触るとトゲトゲで痛いような新鮮なきゅうりを買ってきてシラスと混ぜてキュウリもみを作ったり、つやつやのなすを炒めて煮たり、青い葉先まで食べられるねぎで味噌汁を作ったり、泥のついたサトイモの泥を洗い掘りたて人参と煮たり、ハスのキンピラを作ったりと、気がつけばその昔、母が作ってくれた懐かしい料理(と、呼べるかどうか?)ばかりだった。
料理をすれば当然コンロ周りや換気扇の汚れも目に付き、台所の床にもゴミが落ちる。私は汚れてたり乱雑になってるのが大嫌いな性格である。週に2度お掃除を人に頼んではあるが、頻繁に料理をするとなると、自分でも毎日掃除もするようになった。年末にはちょっと早いが、先日は換気扇やコンロ、台所を大掃除をした。

ウォーキングの始めたては、ウォークマンも買った。英会話のCDや大好きな氷川きよしや福山雅治の曲を入れて聞きながら歩いたが、しかし、目に入るものに全てに興味深々で、キョロキョロしながら歩く私には、~しながらが出来ないほどの新しい世界が開けた。それまでは、朝起きるとどっかりと、パソコンの前に座り、自分のすることに陶酔していた時間が自分にとってある一部分の世界だったような気がしてきた。つまり、私は 「Another World]を見つけたのだった。

皆さんも、キョロキョロしながら深まる秋の中を歩いては如何だろうか。 普段気付かない景色が自分を癒してくれたり、自然の中の自分の存在を考えてみたり、知らない人と挨拶したり・・・・時の流れを意識するのには、手軽で効果は大きく、たった数十分が、楽しくてしかたない時間に早変わりするはず・・・・必要なのはウォーキングシューズと、少しの時間だけ! 
さあ、「ウォーキング」の世界に出かけてみよう! 
そして、「ウォーキング」とは、つまり「幸せに人生を歩こう」ということ・・・・。

# by pubfujiya | 2010-10-29 13:34

アルフレッド・ノーベルが生きていたら?

2010年のノーベル賞の受賞者が続々と決まった。日本ではノーベル化学賞を鈴木章・北海道大名誉教授(80)と根岸英一・米パデュー大特別教授(75)がダブル受賞するという快挙であった。文学賞部門で期待されていた村上春樹氏は、毎年ノミネートされながら今年も惜しくも受賞を逃した。
ノーベル平和賞には 「長年にわたり、非暴力の手法を使い、中国で人権問題で闘い続けてきた」と評価された中国の民主活動家で作家の劉暁波(りゅうぎょうは)氏(54)が受賞した。授賞式は12月10日、オスロで開かれ、賞金1000万スウェーデン・クローナ(約1億2500万円)が授与される。
ノルウェーのノーベル賞委員会は、事実上の世界第2の経済大国となった中国に、人権問題でも国際社会で責任ある役割を果たすよう強く求める意味での授賞でもある。受賞が決まった途端、中国政府は劉氏への授与決定を伝える衛星放送を一時遮断、外務省が強く反発し、直ちにノルウェー大使を呼んで抗議をした。それを受けて、会見でノーベル賞委員会のヤーグラン委員長は 「反体制派への授賞は反発を招くと中国から警告を受けていた」と明らかにした上で、「中国がより民主的な国になるために他の人が言えないことを、我々は言わなければならない」と述べ、人権と平和を最重視する考えを強調した。オバマ大統領は8日、授賞決定を「歓迎する」との声明を発表し、中国政府に劉氏の即時釈放を求めた。声明では劉氏を、人権と民主主義など「普遍的な価値観を広める雄弁で勇気ある人物」と称賛し、中国の「政治改革が(経済成長に)追い付いていないことを想起させる」と述べた。

中国メディアの環球時報は10日、「ノーベル賞の提唱者であるアルフレッド・ノーベルが生きていたら、今年のノーベル賞委員会の無知と偏見に烈火のごとく激怒したことだろう」との論評を掲載し、中国人民主活動家である劉暁波氏へのノーベル平和賞授与を批判した。論評では、ノーベルは民族の団結と友好に貢献した人に対して平和賞を授与するよう望んだはずだと前置きした上で、「しかしながら、ノーベル賞委員会はノーベルの意に背き、中国で刑に服している劉暁波に授与した。さらに、ノーベル平和賞の候補には中国の発展をぶち壊す人間の名が挙げられていた」と主張し、続けて、今回のノーベル平和賞は虚偽かつ誤りがあったばかりか、歪曲されたものであるとして、ノーベル賞委員会は平和を推進する目的ではなく、平和賞で中国の気分を害すことが目的だったと主張した。さらに論評では、ノーベル平和賞が誰に授与されようが重要ではないとした上で、「重要なのは、国際情勢の危うさと西側の人間の腹黒さの関係を見極めることである」と報じた。さらに、「西側の人間は中国の良い点を見ようともせず、批判できる材料のすべてで中国をおとしめようとしているが、我々がすべきなのは怒ることではなく、冷静に団結することである」と呼びかけた。そして、中国メディアは、国民には一切報道しておらず、事実上、黙殺している。日本人の感覚で言ったら、麻原がノーベル賞取ったぐらいの感覚なのかもしれない。

さて、この劉暁波という人は、六四天安門事件の際に拘束され、釈放後も労働改造所に入れられたりと苦難を強いられてきたが、それでも民主化運動をやめなかった気骨の人である。「08憲章」起草でも中心的存在となり、同憲章公開直前に身柄を拘束されている。そして、国家政権転覆扇動罪で11年の有罪判決を受けて現在投獄されている。まともな国なら全く罪になるような行為ではないはずだ。中国共産党は見せしめにすることで体制維持を図ろうとしているようだが、逆に自らのファッショ性を見事に暴露する結果となっており、内外からの反発が一層強まり、今回の劉氏の受賞の後押しとなったのだろう。 欧米諸国から人民元の切り上げを求められながらも、応じていない中国へのくすぶる不満や、領海問題で周辺国とたびたび衝突している中国に対する脅威論の台頭も、授賞決定の背景にありそうだ。
◇劉暁波◇
1955年、中国吉林省生まれ。北京師範大講師だった88年に渡米し、民主派の在米中国人組織「中国民主団結連盟」のアピール「中国大学生に告げる公開書簡」の起草に加わった。89年4月に中国の民主化運動を知って帰国。同年6月には天安門広場でハンストを行うなど一連の運動に加わり、天安門事件後に拘束された。事件後、学生指導者らの多くが出国したのに対し、国内にとどまり民主化を求め続け90年以降、断続的に身柄を拘束された。現在は遼寧省の刑務所で服役している。
◇08憲章◇
08年12月10日付(発表は9日)で、中国の作家ら303人が連名で出した中国の民主化を求める宣言文。中国共産党の一党独裁体制の廃止や三権分立、集会の自由など人権状況の改善などを求めている。劉暁波氏ら作家や弁護士、学者らの著名人が実名で発表した。多くの著名人が中国共産党の統治を公然と批判したのは異例だった。国内外で大きな反響を呼び、インターネット上では約1万人が署名したが、劉氏は発表の前日に拘束された。(民主主義国では極当たり前のことが罪になるのであるから恐ろしい国である)

ノーベル賞とは、化学、物理学、生理・医学、文学、平和、そして経済学賞の6つの分野でもっとも貢献のあった人に授与される賞というのは周知のことである。物理学賞、化学賞、経済学賞は、スウェーデン王立科学アカデミーにより、生理学・医学賞はストックホルムにあるカロリンスカ研究所により、文学賞はスウェーデン・アカデミーにより選考されている。
そして、とかく物議をかもし出す平和賞は、ノルウェーの国会によって選出された5名の委員会により選考・授与されている。何故平和賞だけがノルウェーなのだろうか・・・・それは、かってスウェーデンの支配下だったノルウェー対して、支配下だった人々の方が、平和への思いが強いだろうという考え方から始まったと言われている。
中国は、「ノーベル賞の提唱者であるアルフレッド・ノーベルが生きていたら・・・・云々」と言ったが、それは詭弁も甚だしい。

ノーベル賞の生みの親アルフレッド・ベルンハルト・ノーベルとはどんな人だったのだろうか・・・・アルフレッドは、1833年ストックホルムに生まれた。父は、スウェーデンで破産したが、ロシアに行って財を成し、呼び寄せられたアルフレッドらは、もっぱら専属の家庭教師らによって教育されながら育った。アルフレッドは内気で無口で、家族や友達にいつも陰ながら気遣っているというタイプの男性だったようだ。彼は、パリやアメリカでも勉強を重ね、やがて祖国に戻り、産業発展のためには、安全な爆薬が必要であるということで爆薬の研究に取り掛かった。その爆薬とは、ニトログリセリンで、わずかなショックで爆発してしまう。この厄介な液体を安全な物にしたいと考えていた。1864年にノーベルイグナイターといわれる起爆装置を発明し、1866年に珪藻土にニトログリセリンを染み込ませることで、安全に取り扱えるダイナマイトを発明し、そしてイギリスやアメリカでこの特許を取っている。しかし、彼は、この研究の間に末の弟を爆発事故で亡くし、父も亡くなるという不幸もあったのである。
当時、ダイナマイトの出現が世界に与えた影響は測り知れない。ダイナマイトの発明がなければ、パナマ運河の開削もどうなっていたかわからず、ダイナマイトが世界の建設業、鉱山業に及ぼした影響とその偉大な功績は、いくら高く評価してもし過ぎることはないと言われている。さらに、当時はヨーロッパ諸列強の軍備拡張の時代でもあり、ダイナマイトからバリスタイトにかけての爆薬の発明、そして起爆技術の開発など、アルフレッドの一連の発明や技術開発は軍事技術としても活用されていったのである。
1888年、アルフレッドにとって大きな衝撃となった事件が起こった・・・・フランスの新聞に「武器の売買で巨万の富を築いた“死の商人”アルフレッド・ノーベル氏死亡!」という見出しの記事が掲載された。病死したルードヴィという人と取り違えた記事だったのだが、誤報とはいえ、自分の真の評価はこんなにひどいものなのかと彼は激しいショックを受けたのである。さらに、母の死、イギリスでの訴訟の敗訴、フランス政府からの迫害などで、彼は、この頃から遺言を用意する気になっていったらしい。いわば人生晩年の孤高な状態で発想され綴られたこの遺言は、実に覚めた精神状態で書かれており、そこには人類の未来を思う美しく気高い精神が宿っていたのである。

アルフレッドは特に、平和への関心を抱いていた。それは、人生の早い時期にバイロンやロマン派の詩人シェリーの詩に親しみ、その影響を受けたことから始まっていたらしい。彼はシェリーと同様に理想主義者で、神の公正さと、人間が平和と幸福を目指して苦闘し続けるものであることを信じていた。そして更に、オーストリアの平和運動家ベルタ・フォン・ズットナーとの交際が、アルフレッドに平和問題を理論的に考える機会をもたらしたのである。彼女との関係は、彼女がアルフレッドの出した新聞広告に応じて彼の秘書になったことから始まった。彼女は、年が7才下の名門の青年作家と恋に陥り、家柄の違いや年齢の問題などで周囲から反対され、パリで仕事をする気になり、アルフレッドの秘書になったのである。しかし、やはり恋を諦めきれず、すぐにオーストリアに戻ってしまい、その作家と結婚してしまったのだった。彼女を気に入っていたアルフレッドは、悲嘆にくれたのだが、しかし、二人はその後再会を果たし、その交際はアルフレッドが死ぬまで続いたのである。彼は生涯独身で通し、子供も居なかった・・・・。
1890年頃、ヨーロッパに国際的な平和運動の気運が生じたとき、ズットナーはその指導者の一人となり、オーストリア平和連盟を創設したのである。平和活動のための資金援助を求めて、アルフレッドとの連絡は従来以上に密になっていった。その彼女との書簡のやりとりのなかで、アルフレッドはかなり明晰に自身の平和観を述べている。
『我々が成すべきことは、平和を侵すものに対してすべての国家が自らの意志で調停裁判を実施し、世界各国が調停宣言を行うような社会をつくることです。このような行動こそ戦争を不可能にし、不合理で野蛮な軍や政府を調停裁判にかけ戦闘行為を抑止させることになるのです。2,3か国だけでなく、すべての国家が幾重にも同盟関係を結べば今後何世紀にもわたって、平和が保証されることになるでしょう。』 ・・・・彼のこの考えが約30年後に設立された「国際連盟」の基礎になったことは、文面からも明らかある。
平和への関心が強かったアルフレッドだが、ノーベル賞に平和部門を創設したのは彼女の影響が大きかったとも言われている。
『・・・・そして一部は、国家間の友好を促進する仕事、たとえば常設軍隊の廃止あるいは削減、および平和会議の開催の促進といった仕事に最上あるいは最良の業績をあげた人物に贈られるものとする。』(ノーベル財団とノーベル賞の設立に関する遺言の平和賞に関して抜粋)
ノーベル賞は、1901年(明治34年)に始まった。ちなみに、アルフレッドが最も念願していた最初の平和賞は、国際赤十字の基礎を築いたスイス人の博愛主義者J. H. デュナンに贈られた。1901年の時点で、すでに「平和」という主題が授賞の対象領域として堂々と位置づけられていたというのは、今にして思うと驚異的だったのではないだろうか・・・・。

今回、中国は 「ノーベル賞の提唱者であるアルフレッド・ノーベルが生きていたら、今年のノーベル賞委員会の無知と偏見に烈火のごとく激怒したことだろう」と論評したが、アルフレッドの気質、生い立ち、生き方、遺言などを考え合わせると、とんでもない思い違いであることは一目瞭然である。自国の利益のために、崇高なアルフレッド・ノーベルの精神を曲げて解釈することは絶対に許されることではない。
今回の授賞決定に先立って、中国の外務次官がノーベル賞委員会の事務長と会談した際、「ノルウェーと中国の関係に否定的な結果をもたらす」と警告し、劉氏の授与しないよう圧力をかけたという・・・・「私たちと仲たがいして、あなた方の経済はどうなりますか?」・・・・これでは、札束をちらつかせて凄んでいるバブル期の地上げ屋並みで、国家として全く品が無い。
この授賞には、中国に世界経済の回復を頼むがゆえに、欧米先進諸国が、腫れ物に触るように中国に対処し始めたことへの警告でもあり、中国の超大国化に伴い、世界的民主主義が後退しかねない危険に対する警鐘なのであろう。
アルフレッドが掲げた「平和賞」が、年々政治色が濃いものになって行くのが、少々残念でたまらない・・・・。

# by pubfujiya | 2010-10-15 16:39 | エッセイ

東シナ海波高し

日本と中国が沖縄県・尖閣諸島沖の問題で日中関係を悪化させている。原因は日本の領海内で中国の漁船が違法操業の揚げ句、海上保安庁の巡視船に悪質な衝突を行ったことである。しかし、那覇地検は、8月24日夕方、拘置期限まで5日間も残る中、供述拒否に転じた船長である被疑者を釈放するという異例の措置を取った。鈴木亨次席検事は会見で「福岡高検および最高検と協議の上で決定した」としたが、日中関係への影響に言及するなど、検察当局を超えた政治判断が色濃くにじんでいた。日本の苦悩とは裏腹に、船長は中国の迎えのチャーター機にVサインをしながら乗り込み中国では凱旋した英雄のように扱われていた。

私は、24日夕方のテレビで鈴木亨次席検事は会見を見て我が耳を疑った・・・・三権分立なのに司法である地検の検事が 「我が国国民への影響や今後の日中関係を考慮すると、身柄拘束を継続して捜査を続けることは相当でないと判断しました」と言ったことだ。これは政治が責任をもって下す判断であり、検察の仕事ではない。司法は政治に関与してはならないはずである。明らかに首相の指揮権発動があったと私は思っている。
かって、明治時代日本を震撼させた大津事件があった。1891年明治24年5月11日、訪日中のロシアの皇太子 ニコライ殿下を 滋賀県大津市で、警備していた津田三蔵巡査が突然持っていたサーベルを抜いて皇太子に切りかかり、負傷させた事件である。政府は、ロシアの憤りを恐れ死刑を望んだが、大審院長の児島惟謙は 「刑法では殺人未遂を無期懲役以上に処することができない」として、圧力に屈服せず法を守り抜き、無期の判決が下した。司法に携わる者は「法」の僕(しもべ)であって「政治的配慮」の僕ではないことを、児島氏は法曹界の後輩たちに身をもって伝えたのである。

毛沢東は 「政治は硝煙なき戦争であり、戦争は硝煙による政治だ」と言った。この事件への中国側の対日攻勢は、まさに国を挙げて勝利を目指し、持てる手段を動員した「銃火なき戦争」だった。公務執行妨害事件として処理しようとした及び腰の日本とは対照的に、中国は「主権問題」と捉え、一歩も譲らない方針を決めていたからだ。
橋下大阪府知事は、中国側の対応について「ある意味であっぱれ。首脳部が国家戦略に専念している」とし、「日本は国家戦略のなさで完敗した。内政を地方に任せ、外交や防衛に集中する仕組みをつくるべきだ」と道州制の必要性を強調した。
最初の選択が間違っていたことがこの問題をこじらせてしまった・・・・騒いで得をするのは中国であり、問題を深刻化させないことが重要だった。逮捕ではなく、拿捕して国外退去させた方が良かったのではないだろうか・・・・。

中国の要求を丸呑みした今回の釈放劇は、尖閣諸島の危機のみならず、日本と日本人に多大の災厄をもたらすことになったが、民主党政権に国家を担う統治力がないことも明白になったはずである。
鳩山由紀夫前首相は『東シナ海を友愛の海に』 と、訳の分からぬことを公言し、沖縄から米海兵隊を追い出そうとした。海兵隊は大統領の命令1つで動く軍隊であり、派遣に議会承認が必要な陸空海軍と違い、中国は内心恐れているはずだ。また、民主党には外交や安全保障を理解できる議員が少なく、少なくとも現在の菅執行部におらず、中国は本気で 『今の内なら尖閣諸島を取れる』と思っているのではないだろうか・・・・。
中国は、フィリピンから米軍基地が撤退した翌年から、南シナ海の南沙諸島を実効支配していった・・・・「現在の沖縄周辺は、当時のフィリピンと似た状況にあると言える」と、元自衛隊空将であり軍事評論家である佐藤守氏は言う。
まさに、一触即発の状況が続いているが、佐藤氏は「中国は、ずっと尖閣諸島を狙っている。96年にも事件が続いたが、あの時はまだ、日本領海や領空に入ることを躊躇していた。十数年たち、彼らは確実に増長してきた。今年夏には、日本領海で中国漁船が1日70隻も違法操業していたと聞く。完全に変わった」 と言っている。変わったきっかけについて、昨年夏の「政権交代」の影響を指摘する。
言動の軽さや責任感の無さ、そして口ばかりの美辞麗句に自身で酔いしれていた鳩ポッポ(失礼!)こと鳩山首相が、完全に中国に舐めきられてしまったのである・・・・「今なら、やれる!」と。
あの鳩ポッポは、「私なら、温家宝首相と話し合えた」と、あたかもホットラインがあるようなことを言ったが、あるならこの国難の時に同じ与党なのだから、やれば良かったのに・・・・言うだけで行動せず、行動したかと思うとあっちに行ったりこっちに行ったり。中国をつけ上がらせたのは、沖縄米軍を軽く見た正にこの人の責任である。男は引き際が大切、『立つ鳩 跡を濁さず』 でお願いしたいものである。目下永田町では、地位に恋々とする輩を〝鳩々しい〟と書いて、〝女々しい〟と読むとか・・・・。

「イラ管」の異名を持つ官首相は、この事件で 「中国と話せるやつは民主党にはいないのか!」とイラだったというが、私もそれが不思議でならなかった。小沢氏は2009年の幹事長時代、民主党議員と一般参加者など483名の日中関係史上最大規模訪中団で、北京を訪問して胡錦濤国家主席など中国要人と会見している。田中真紀子氏の父角栄氏は日中との国交を回復させた人である。この二人に中国とのパイプはなかったのだろうか・・・・。田中真紀子氏も野次馬を相手にばかりでなく、肝心な時に、例の調子で声高に吼えてもらわなくては困る。

力を背景に強烈に恫喝したかと思えば、一歩引いて譲歩をにおわせ、相手にスキがあれば自国の権益拡大を狙うしたたかな中国は、『アメとムチ』を使い分ける。さすがに 「世界各国からの『中国は覇権主義だ』『手段を選ばない』といった批判を気にし始めたのか、無愛想なメガネ顔で再三テレビに登場する中国外務省の姜瑜報道官は28日の記者会見で、中国が日中関係を重視していると強調し、悪化した日中関係の修復に向け、日本にも「誠実で実務的な行動」を求め、やや柔軟な態度を見せ始めた。さらに、レアアースの対日輸出を停止したが規制の手綱を緩め始めた。いわばアメである。一方、尖閣周辺に武装可能な漁業監視船や海洋調査船を計10隻以上集結させるなど、力による恫喝であるムチも維持している。これに対抗するため海上保安庁は巡視船6隻を派遣、防衛省幹部も「不測の事態がある」と警戒態勢を崩していない。
外交・安保オンチの菅内閣が「共同調査」「話し合い」といった美辞麗句に騙される危険は大きいはずである。

衝突事件の翌日9月8日以降尖閣諸島沖の領域界隈には150隻の中国の漁船は徘徊しているとのことだ。漁船に乗っているのは、漁民に身をやつした軍人かもしれない。正に日本をなめ切った海の暴走族であり、海上保安庁を挑発している。一触即発の場合は海保の船では投低対抗は出来ないだろう。現在は接近、追尾だけだが、やがて武力で威嚇するのが彼らの定石だ。外交の基本が領土領海の守りにあることも知らず、「遺憾です」と繰り返すしかない民主党政権は、明らかに足元を見られている。中国外務省前でデモをした中国人の表現を借りれば、菅、仙谷両氏らの気概ない対応こそ「売国」だといわれても仕方がない。
例えば、武力衝突した場合だが、アメリカが盾になってくれれば、中国は完敗するだろう・・・・それは、中国は武力以前に戦術がないからだ。中国の実力の無さは、ニアミス事故や潜水艦の領海侵犯発覚などに現れている。ちなみに自衛隊対中国だけで開戦したら人民軍の物量で制圧されてしまうかもしれない。日本人が忘れてはいけないのは、彼らの挑発には決して乗らず、臥薪嘗胆(がしんしょうたん)の思いで冷静に対応しなくてはいけないということだろう。
前出の佐藤氏は、「今回の結末は日清戦争後の三国干渉に匹敵する国難だ」とし、尖閣諸島を守り、東シナ海での中国増長を防ぐ策を、こう提言する。
「尖閣諸島に陸上自衛隊の守備隊を置く手もあるが、さすがに中国を刺激する。そこで、まず尖閣に近く、日本列島最西端の与那国島に陸自の監視所を設置する。与那国島は自衛隊誘致をしており、地域活性化という大義もある。続いて、3000メートル級の飛行場を持つ下地島に航空自衛隊の1個飛行隊を置く。これで、中国は尖閣に手を出せない。日本には能力はある。菅内閣に領土領海領空を守る覚悟があるかどうかだ」 と・・・・。

中国を極秘訪問していた民主党の細野豪志前幹事長代理が30日、成田着の民間機で帰国した。細野氏は空港内で記者団に「自分の判断で、個人的な人間関係で行った」と述べ、菅直人首相の「密使」説を否定し、首相の親書を中国側に渡したとの観測についても「事実ではない」と語った。首相や仙谷官房長官も関与を否定している。しかし、同じ与党の政治家が訪中しているのに、政府が「知らない」と言っていること自体、大きな問題であり、これはまさしく、政府と民主党(小沢氏サイド)の「二元外交」ではないのだろうか・・・・こんな「バラバラ」の党が政権与党なのである。
細野訪問に対し、中国は手厚く待遇し、翌日逮捕された「フジタ」 の社員4人の内3人を解放した。これは、偶然だろうか・・・・。私の推測であるが、細野氏の訪問は、官首相ではなく小沢氏の密使だったのではないだろうか・・・・まぁ、国益に基づいて行動してくれるならどちらでもかまわない。しかし、まだ一人が人質(?)に捕られているのだから成功とはいえない。この一人が、日本に衝突ビデオを公開させない中国の切り札であり、4人を一緒に解放すれば、日本で記者会見を開き、中国のやりかたを批判する可能性もあり、そうさせないためではないだろうか・・・・。

中国の対日圧力にやや緩和の動きが見えてきたところに、今度はロシアが領土問題で日本に揺さぶりをかけてきた。アメリカのクリントン国務長官が「尖閣諸島は安全保障の内に入る」と言った後に、中国とロシアは急速に接近し始めたのである。メドベージェフ大統領が北方領土を訪問する考えを明らかにした。お隣の北朝鮮では、独裁国家3代目の世襲後継者が決まった。北のロシア、南の中国、そして隣の北朝鮮と、日本を取り巻く東アジアの情勢は、決して安定したものではないと改めて思い知らされた。

「友愛」だとか「話せばわかる」という日本的感覚は通じないと肝に銘じた上で近隣国と平和的につき会わなくてはならない。国難とも言うべきこの状況下で、官内閣に果たしてそれが出来るだろうか・・・・。
中国の執拗かつ理不尽な対応に、国民の怒りは沸騰しつつある。漁船衝突事件は、日本人の外交・国防意識を目覚めさただろうか・・・・この図体の大きな傲れる隣人と、今後どう付き合ってゆくか・・・・外交オンチの民主党に課せられた課題は大き過ぎる。

【尖閣諸島領有の根拠とは】
歴史的いうと中国には、古文書に早くから尖閣諸島についての記載があり、中国の皇帝は琉球王国に尖閣諸島の領有までは許していなかった。(琉球王国は江戸時代、日本薩摩藩の実効支配と中国王朝の名目支配の二重支配の状況にあった)
地理的にいうと、尖閣諸島は南西諸島と違い、中国沿岸から伸びる大陸棚(水深200m未満の海域)上にあり、中国大陸と不可分であるとか、沖縄と尖閣諸島の間には常時激しい波があり天然の境界線を作っているとか、そういう主張がなされている。
サンフランシスコ平和条約では、第2条(b)で、「日本国は、台湾及び澎湖諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する」とあり、いわば台湾と同じ扱いをしており日本の領土とみなしている。
一方、日本の領有権の主張は国際法的では、「先占理論」に基づいたものである。先占(せんせん)とは、まだどこの国の領土にもなっていない、「無主地」をまっ先に占有、つまり自国の支配下に置くことで、その地を領土にすることができるというものである。古くはローマ帝国の時代からあった法理論で、近代国際法の父とよばれるグロティウスらもこれを支持、慣習法と化しているものだ。先占においてはその後も国際法的な解釈が進み、単なる発見だけでは先占とはいえないことになっており、発見した無主地の領有をその国の政府が公式に表明しなければ、正式な先占とはいえないとされている。
中国は確かに尖閣諸島を日本より先に「発見」しているかもしれないし、「命名」もしているかもしれない。しかし、それは先ほどの理論からいうと「先占」の条件を満たしていない。日本は1896年、中国に先駆けてきちんと領有宣言をしている。だから、日本は尖閣諸島の領有権を持つ、と考えることができるのである。もっとも、日本の領有権の主張は、たしかに「帝国主義的」であり、日本が中国との戦争に勝って、その圧力で領有したという側面があるのは否めない。しかし、1960年代末、尖閣諸島に石油があると知るまで、アメリカが尖閣諸島を沖縄の一部とみなしていたにもかかわらず、なんら抗議も行わず、領有の主張もしなかった中国側の動機は、なにか不純なものを感じざるをえない。

# by pubfujiya | 2010-10-02 06:45 | エッセイ

男と女 in ドラッグ

合成麻薬MDMAを飲んで容体が急変した飲食店従業員、田中香織さん(当時30才)を放置し死亡させたとして、保護責任者遺棄致死など4つの罪に問われた元俳優、押尾学被告(32)への判決公判が東京地裁で開かれ、山口裕之裁判長は懲役2年6月(求刑懲役6年)の実刑を言い渡した。
この裁判での争点は、①誰がMDMAを用意したか? ②田中さんの命は救えたか? であった。
①については、裁判長は、「被告は午後2時14分、被害者に 『来たらすぐいる?』とのメールを送信して、午後2時17分、被害者が 『いるっ』とのメールを返信した。これは被告が(事件現場となった東京都港区の六本木ヒルズの)23××号室(法廷では実際の部屋番号)を訪問して性交する被害者に対して、すぐにMDMAが欲しいのかを尋ね、被害者が欲しい旨を答えたやり取りと認めるのが相当である」として、MDMAは押尾被告が用意したものと判断した。先日の裁判で、押尾被告が英語を交えながら展開した「おれの体が欲しいのか、つまり性交したいのかを聞いた」という主張を退けたのである。裁判長は、「被告はメールのやり取りに対して、『すぐ性交するのか』という意味だと弁解する。しかし性交を意味するものとして『体が要るか』という表現自体、日本語として非常に不自然である。現に被告と被害者は部屋を訪問してすぐに性交を始めていない」とし、田中さんが部屋を訪問した時間が午後2時半すぎで、性交を開始した時間は室内のブルーレイディスクの電源が落とされた午後3時56分以降と認められると指摘した・・・・こんなことまで本当に分かってしまうのだろうか・・・・?
私は英会話が少し出来るが、英語と比べて日本語は、主語を入れなくても通じるというとても曖昧な部分がある。押尾被告のメールの 『来たら、すぐいる?』を英語にしたら場合、彼の身体のことなら 『Do you want me right away?』である。もし、ドラッグのことならのことなら『Do you want a drug when you arrive?』であり、田中さんの 『いるっ』という返事も 『I want you!』 か、『I want it!』であり、主語があるので何のことかはっきりとしており、このメールのような複雑な解釈は起こらない。
②については、容体悪化から10分程度で死亡したとする押尾被告の供述の信用性も認めず、被告と電話で話した知人の証言などから、田中さんが心肺停止状態に陥ったのは約1時間後だったと認定し、「数分後には119番すべきだった」として、遺棄罪が成立するとした。 田中さんの救命可能性は「一定程度あった」としたが、証人の医師が「30~40パーセントだった」とするなど専門家の見解が分かれており、確実に救命できたとまでは言えないとして、致死罪の成立は認めなかった。専門家によると、懲役2年6月は保護責任者遺棄罪では極めて妥当だという。押尾被告は判決に不服であり、即日控訴したそうだ。

民主党の代表選と並行して、押尾学の「保護者遺棄致死」事件がさかんに報道されていた。合成麻薬MDMAを一緒に飲んだ女性を救命せず死亡させたとして、保護責任者遺棄致死罪などに問われた元俳優押尾学被告(32)の裁判員裁判が14日、東京地裁で結審した。検察側は「自己保身のために被害者を見殺しにした」として懲役6年を求刑したが、法曹関係者からは「軽すぎる」と異論が噴出した。これは、昨年の判決で執行猶予中の刑(懲役1年6月)が加算されることを加味しているらしい。力のない目でうつむきながら検察側の論告を聞いていた押尾被告は、求刑を耳にすると深いため息をついて前髪を揺らし、最終陳述で「私は見殺しにするようなことは絶対にしていません。私はそのような人間ではありません」と訴えた。検察側は「薬を使った性行為の危険性を認識していながら、自己保身のために田中さんを見殺しにした」「携帯電話で119番通報できたにもかかわらず、自らの薬物使用の発覚を恐れ、通報していない。身勝手で悪質な犯行だ」と述べた。また、「常習的に薬物を使用しており、再犯の恐れが高い。不合理な弁解に終始して反省も皆無だ」と厳しく非難した。
一方、弁護側は「押尾被告に田中さんの死亡の危険性に対する認識はなかった」と主張した。
この裁判の争点は、「保護責任者遺棄」と「致死」である。「保護責任者遺棄」については、確実だろうが、「致死」については立証できない限り無罪になる可能性もある。弁護側も検察側もそれぞれ救急救命士と医師を証人として出し、真っ向から対立した。保護責任者遺棄致死罪成立のポイントは、(1)香織さんが保護の必要な状態だったか(2)押尾被告がMDMAを譲渡し、保護責任があったか(3)香織さんに生存の可能性があり、そのために必要な保護をしなかったか(4)保護しなかった結果、香織さんが死に至ったか、の4つである。押尾被告の「遺棄致死罪」も、救急車を呼ばなかったことだけでなく、救急車を要請していれば確実に救命できたと立証しなければならないのである。検察側の医師は、90~100%救命できたとし、弁護側の医師は30~40%だったとしている。
さらに、検察側は論告で「被告は(MDMAを)ドラッグセックスに使うつもりで持ってきたもので、実際にドラッグセックスに及んでいる。これまでも薬物を服用させ、セックスに及ぶ性癖を持っていた」と依存性を指摘し、押尾被告が「田中さんが『新作の上物』を持っていた」と主張したが、MDMAの譲り渡しを否認したことについて「まさに死人に口なしと、死人に責任をなすりつけるもの」と切って捨てた。
私は以前、今で言う “クラブ”へ通う人にこのドラッグのことを聞いたことがある。別名 『エクスタシー』 または 『セックス』 と呼ばれ性行為を目的に使われるものだという。

私は、押尾被告のファンでも、彼の肩を持つわけでもないが、これまでの3日間の公判記録を見ていくと、やはり検察側には女性の死亡時間を特定する決め手が欠け、押尾被告に対する裁判員の心証を真っ黒にすることに終始し、それよって有罪に持っていこうとする作戦が透けて見えるような気がした。
放送プロデューサーのデーブ・スペクター氏も、今回の裁判員裁判で次々と押尾被告の悪質な隠蔽工作が明らかになったことについて、「押尾被告は非常に身勝手で心証が悪いが、この裁判は彼の性格を暴くことではなく、被害者を救えたかどうかの罪を裁くことではないのか」と疑問を呈した。さらに、押尾被告の自己保身に関しては「現場が自宅やホテルでなく、人から提供された“セックス部屋”という環境や、ドラッグを使用していたことも彼の罪意識を薄くしたのでは・・・・」と分析した。一方、死亡した香織さんの黒い交際や薬物依存を明るみにしたことには「被害者に悪い印象を持たせ、裁判員に彼女の“自己責任”を意識させるやり方は非常にアメリカ的」と解説した。また、押尾被告の無罪主張についても「執行猶予がつきやすい日本は反省や自白の文化なので、アメリカ育ちの彼の主張はリスキー過ぎる」と話した。
私も彼の言う通りだと思った。目の前の女が死んでもすぐに救急車を呼ばず、「マネージャーに身代わりを頼もうとした」、「他の女ともやりまくっていた」、などという俗っぽい証言ばかりが目立ったが、この裁判の焦点である「死亡女性を救えたのか?」については、結局のところはっきりせず水掛け論になっていた。
他の女性も薬を飲んで具合が悪くなったという証言があったが、これにしても検察は押尾被告の印象を悪くしようと、証人を呼んだのだろうが、逆からみれば、この時の経験があったからすぐに救助を呼ばなくても、時間が経てば症状は消えると考えた・・・・と、言えなくもない。様々なサイトやニュースを見ていると、とにかく押尾被告の最低人間ぶりがこれでもか、とクローズアップされているが、そんなことは昨年の公判で十分に分っていたことで、今、改めて証人に証言させるほど、真新しいことではないはずだ。

まぁ、俗人間である私からみれば、裁判で出てくる「陰茎」とか「チ〇〇」などという言葉も飛び交う生々しいセックス場面の証言や芸能人の複雑な人間関係など面白いことばかりだった。被告人質問で、押尾被告は、これまでに田中さんと薬を使って肉体関係を持ったことがあり、そのきっかけについては「『薬を使ってセックスしよう』と言われ、『ああ、いいよ』と軽い感じだった」と話したとか、押尾被告とドラッグセックスをした複数の女性も出廷しセックス時の生々しいやり取りを証言した。また、田中さんが知り合いに「性癖が変なのと付き合っている」と押尾被告との交際を語っていたとか・・・・。
検察側が読み上げた押尾被告の供述調書によると、押尾被告は、事件当日の田中さんとのドラッグセックスについて、「1回目のときはアゲちゃん(田中さんのクラブでの源氏名は「アゲハ」)がイキまくって、体を離しちゃったので、ボクはイケませんでした。2回目のときも、ガンガン盛り上がってアゲちゃんが何度もイキまくって、また体を離してしまったので、ボクは(2回目も)イケませんでした」と生々しく法廷で話した。その2回目の始まる(?)5時10分前に、妻から子供の写メールが入り、その返事を出してから始めたとか・・・・これでもかとばかりの被告人を極めて黒に近い人間にするための、ここまで必要なのかと思わせる面白い(?)証言ばかりであった。
これは押尾被告に限ったことばかりではない。被害者の田中さんが、新宿のキャバクラで働いていた時は暴力団のお客が多かったとか、結婚した夫は暴力団だったとか、押尾被告だけではなく暴力団幹部とも付き合っていたとか、十代のころからドラッグ漬けとか、コカインの常習者であったとか、取調べ官が押尾被告に 「こんな真っ黒の女と、君はよく付き合っていたね」と言ったとか、今や弁明が出来ない彼女の黒い部分も次々と暴いていった。
密室での事件であるから、検察と弁護側の 「こういう人間だから、こういうことをしたのだろう、いや、してもおかしくはない」と言わんばかりの攻防は如何なるのものだろうか・・・・。

今回は裁判員裁判であった。私がもし裁判員だったら・・・・亡くなった女性は気の毒だが、個人的には被告にあまり重い刑を科さなかったかもしれない。しかし、有罪はもちろんの事で、確実に刑務所には入るべきである。
この事件は、自己責任の部分もあったのではないかとも思う。一番の理由は相手がれっきとした大人であり、むりやり飲まされとは考えにくく、もし、勧められたとしても自分で飲んだものだったら本人の責任も重大であると思う。長い間薬物をやっていたというからには、その危険性も十分知っていたはずである。過去の最高裁判例では少女に覚せい剤を注射した男が錯乱状態に陥った少女を放置して死亡させた事件が「直ちに救急医療を要請していれば十中八九、救命が可能だった」と立証され同罪が適用されたことがあるが、この事件とは明らかに違う。
例えば、正当防衛で人を殺してしまった場合、殺したことより、殺してしまうまでの過程が重視される。遺棄した押尾被告のせいだとしても、被害者の女性が、社会人としてそう言う危険性のあるものを口にしたことも含めて遺棄致死罪は判断されるべきではないだろうか・・・・とも思うのだが・・・・。
しかし、過去に押尾容疑者が多数の女性に“無理やり”合成麻薬を飲ませ、体調不良を訴えた女性が複数おり薬物使用後に容態急変を訴えた人もいた。結婚後にも10人以上の愛人がおり、薬物で容態急変したなどの証言を得ている。押尾容疑者が危険性を明確に認識し田中さんにも強引に飲ませた可能性もある。
この辺を裁判員は市民感覚としてどう見るかが、難しいところであっただろう。

快楽のみを求めるセックスや、挨拶代わり(?)のセックスも罷り通る昨今・・・・この現代社会は愛の不毛地帯なのだろうか・・・・しかし、何はともあれ、自分に何かが起こったとき救急車くらいは呼んでくれるくらいの気持ちの通った相手と、イタシたいものである。

# by pubfujiya | 2010-09-18 15:15 | エッセイ

サル山のボス争い(?)

サル山のボス争いならぬ政界のボス争いが繰り広げられている。以前は、権力を握っていた自民党が、派閥間の主導権争い、総裁下ろし、あげくの果ての離党、除名、新党結成などと、ボス争いの本場だったが、民主党が権力を握ったら途端に同じことをし始めた。国民は自民党とは違うものを、民主党に求めていたのに完全に裏切られた形である。ここにきて、自分たちで選んだ代表、総理を今度は引きずり降ろそうとしている。最近では、社民党でも党首下ろしが始まっている。
現在の民主党では、小沢派による管下ろしが始まり、ついに小沢氏が代表選に立候補し、代表選の9月の党大会までボス争いは熾烈を極めるだろう。まれにみる猛暑がますますヒートアップしているようだ。
テレビは朝・昼・晩とこれらを詳細に報道している。コメンテイターとか評論家と呼ばれる人々やタレントまでがそれらを分析してみせる。国民は半ば呆れながら楽しんでいる一大ショーの様を呈している。先日、ヨーロッパから戻ったある方が、「日本は、アメリカやアジアにおける問題が数々あるのに、ニュースは全て内向きのことばかり報道している」と呆れていた。

各党とも国民や国のためには何の利益にもならないボス争いに明け暮れているからこそ、国のトップが簡単に引きずり下ろされ、ここ4年の間に5人もの首相がころころと代わり国際社会への発言力を失う破目になる。トップが代われば大臣も次々と代わるから、あわよくば、自分にも大臣になるチャンスが回ってくるのではないかと、議員センセイたちは益々勢力争いに目の色を変える。こんな状態では、落ち着いて勉強もできず、考える暇もないから、一向に政治家として向上もしないのだろう。
そんなことをしている間に消費者物価は16ヶ月連続で下落し、10年余り続いているというデフレ不況がさらに悪化し続けているということだ。失業率は一向に下がらないし、働く貧困層は増え、一部大企業を除いて、中小企業や地方は苦しいままである。
日米関係がギクシャクしているすきに中国海軍が沖縄沖に我が物顔して出没するようになった・・・・台湾併合に向けての東シナ海における制海権確保が狙いなのだろう。我が国は過去、ナチスドイツによるズデーテン地方割譲やオーストリア併合に甘く対応したのが第二次世界大戦を誘発したことを忘れてはなるまい。今こそ日米同盟を強化し、中国を厳しく牽制するべきときなのに、普天間問題一つ解決出来ないでいる。北方領土や拉致問題にも全くの進展がない。国の将来を担う小・中・高・大学生の学力も低下したままであり、少子化の上、幼児虐待死まで後を絶たない。
ここ何年も続くサル山もどきのボス争いは、国民の生活にも、国家の安全にも、文化や学問の発展にも何ら全く関係ない。我々はこれを楽しんでいてはいけないのだ・・・・付ける薬のない政治家達には、激怒しなければいけないときが来ている。

政界の常識は世間の非常識と言われるが、民主党の代表選への動きをみていると妙に納得してしまう。民主党が衆院選で大勝し悲願の政権交代を果たしたのは、1年前のちょうどこの時期の2009年の8月30日だった。それが1年後のこのていたらくである。かって自民党政権時代、「首相がころころと代わるのはよくない」 と、言ったのはどこのどの党だったのだろうか・・・・。それが、わずか3ヶ月で管直人首相と小沢前幹事長が対決するというのだ。鳩山首相が、「政治と金」の問題と「普天間」の失政で 「私も引きます。幹事長も職を引いていただきたい。そのことによって、新しい民主党、クリーンな民主党を作り上げることが出来る」言って退陣したのはわずか3ヶ月前ではなかったか・・・・。
さらに、彼は 「退陣した首相は、あまり影響力を行使しない方が望ましい」と言ったのである。それが、「トロイカ体制(鳩山・小沢・管)+1(輿石)」を重視することで、小沢氏と管氏の間の「仲介役」で、動き回っていた姿は異様だった。引退するとまで言及したのに、「トロイカ体制」にはちゃんと自分も入っている。さらに、軽井沢の別荘では政権がらみの大パーティーを開いたりロシアを訪問したりで、元首相の威光を輝かせての大活躍(?)だった。彼のブレには慣れっこだが、ブレ続けた退陣した首相に「大儀」などと言われても「あなたにだけは言われたくない」である。両氏の間を動き回ったあげく、だが、8月31日の小沢氏と管氏の1対1の会談は 「同床異夢」に終わったのである。彼は31日夕、周辺に 「ボクはいったい何だったのでしょうね」と、ぼやいたという・・・・。首相を退いたばかりの彼の行動が混乱を増幅させたことを分かっていないのである・・・・「宇宙語しか話せない伝書バト」である。

読売新聞で傑作なコラムを見つけた。
『首相のことを「宰相」ともいう。白川静氏の『常用字解』によれば「宰」の字は、屋根(ウ冠)の下に包丁(辛)を置いた形であるという。料理屋で言えば首相とは、板場を仕切る最上位者「花板(はないた)」かも知れない◆菅さんが花板を務める料亭「民主」はいまのところ、清潔なだけが取り柄(え)である。肝心の料理を褒める人はそう多くないが、手をきちんと洗わない板前を板場から締め出していることで、客の評判を何とか保っている◆「料理の腕は俺が上だぜ」――締め出され組の小沢さんが次期花板に名乗り出て大騒ぎになった◆そこに「まあまあ、ご両人、みんなで仲良く板場に立って“挙板態勢”で参りましょう」と、清潔さでも料理でもしくじって辞めた前花板・鳩山さんが割り込んで話を余計ややこしくする。「みんなで仲良く」が手を洗わぬ板前にも調理させることを意味する以上、清潔さだけで料亭支持率を保っている菅さんが「うん」と言うはずもない。店内の声を聞いて花板を決めることに落ち着いたのは良かった◆菅さんは料理の腕を磨くべし。小沢さんは手を洗うべし。客の注文はそれに尽きる』

あるテレビ番組であるコメンテイターが、「黒い猫でも、白い猫でも、鼠を捕るのが良い猫だ。」 と、言った。これは菅氏の首相続投が世間の支持なので白い猫、一方、小沢氏は政治と金で、政倫審へも出席せずに説明責任を果たしておらず世間に嫌われているので黒い猫、ということだろう。政治手腕に関しては菅氏より小沢氏の方があるというのが世間の認識である。つまり、評判ではなく、実力で代表を選ぶべきだと言いたかったのだと思う。
私も、こう何代もヘナチョコ首相が続くと、「小沢氏にやらせてみたらどうだろうか・・・・」という気が湧いてきているのも事実だ。小沢氏の政権なら、少なくとも脳死状態の菅内閣よりは、政治が前に進むかもしれない。松下政経塾出身の無能パフォーマンス大臣の群れはもうコリゴリである。
私ばかりでなく、政治家としては小沢氏の方が数段上だと思う人は多いはずである。国民的人気なら管氏だろうが、政策を推進する上では、党内で圧倒的な力を持っている小沢氏である。今の日本には田中角栄のような強い政治家が必要なのである。角栄氏にも数々の問題があったが、日本を高度成長へと導き外国と平等、いやそれ以上にしたことで、今の経済大国日本がある。国民の生活を考えた場合、鼠を取る猫が一番であり、「政治と金」対策だけでは、一向に国民の生活が楽にはならない。
マニフェストに書いてあることを実行しようとした時、財源を問題としているが、財源が何処にあるのか詳しく知っているのは小沢氏だけだろう・・・・何故なら、田中角栄氏の時代に官僚組織を構築した田中派の一人だからであり、当時の政治家は小沢氏しかいないのである。
政治は、白とか黒とかの単純なものではなく、黒い猫だった首相の時が経済が成長し、景気が良かった例が多々ある。昔、私の店でフィリピンの娘を何人か雇ったことがあるが、彼女達は口を揃えて、あの汚職まみれのマルコス大統領時代が良かったと言っていた。
「イギリスのサッチャー首相も、首相になる前は最も嫌いな政治家に選ばれていた。けれど経済を立て直して、今では名宰相と評されている。小沢さんにやらせてみればいい」・・・・経済政策の面で〝小沢総理〟を推す声は専門家の間でも確かに多い。
「〝小沢総理〟になれば、日本経済にはプラスです」と、断言するのは慶応義塾大学教授の岸博幸氏である。「円高とデフレの影響で日本経済は危機状態、ことに地方は崩壊寸前です。本来なら財政出動して景気を良くするのが先決ですが、財務省の言いなりの管政権は、財政再建一辺倒で、地方経済の生命線である公共事業予算を18%削減しました。このままでは 『財政栄えて、国滅ぶ』事態になる。現時点では、財政出動を厭わない小沢さんの経済政策の方が効果があります」と、言う。しかし、「政治と金」の問題を抱える小沢氏を、国民が総理として受け入れることがありうるのだろうか・・・・。
最近は、情報化社会と言われて久しいが、国民は、マスコミでしか国民は情報を得ていないような気がする。つまり、マスコミの情報のみで国民は見たり聞いたり考えたりしている。マスコミの一方的な情報で国民の考えが左右されてしまうとしたら、戦時中の情報コントロールともどこか似ている。
我々もマスコミの情報に捉われず、本当にこの国とこの生活を守るためにも、白や黒の追求で時を費やすより、それ以外にも目を向けて考えなくてはいけない時が来ているのではないだろうか・・・・。

政界を再びカオス(大混乱・裂け目)に叩き込む小沢総理か、無為無策の日々が繰り返される管総理か・・・・いずれにせよ戦いすんで、日が暮れて、途方に暮れるのは国民ばかりということになるのだろうか・・・・。

# by pubfujiya | 2010-09-05 16:51 | エッセイ

女・妻・母の歌人

幼児虐待の報道が後を絶たない昨今、これらの歌を紙面でごらんになった方もきっといらっしゃるだろう。世相が暗くなるたび、燭台の灯を借りるように彼女の歌が紙面に灯った・・・・。
『しっかりと 飯を食はせて 陽にあてし ふとんにくるみて 寝かす仕合せ』
『朝に見て 昼には呼びて 夜は触れ 確かめおらねば 子は消ゆるもの』
『子がわれか われが子なのか わからぬまで 子を抱き湯に入り 子を抱き眠る』
「母性」を詠ませては当代随一であった・・・・そればかりでなく記紀万葉から数えても指折りの歌人であつた河野裕子さんが64才で亡くなった。2000年に乳がんを患い、2008年に再発してから数々の闘病の歌が詠まれ、命の最後までを短歌に託した人だった。
『そこにとどまれ 全身が癌では ないのだ 夏陽背にせし 影起き上がる』

河野裕子さん(かわの・ゆうこ=歌人、本名永田裕子=ながた・ゆうこ)12日午後8時7分、乳がんのため京都市の自宅で死去、64才。熊本県出身。みずみずしい恋愛歌人として出発し、出産、育児といった女性を題材に、肯定的で生命感あふれる数々の歌を詠んだ。
京都女子大在学中の69年「桜花の記憶」で角川短歌賞、77年には「ひるがほ」で現代歌人協会賞を受賞した。
2000年に乳がんを発病、治療しながら作歌を続け、2002年には「歩く」で紫式部文学賞と若山牧水賞を、2009年に「母系」が斎藤茂吉短歌文学賞と迢空賞をダブル受賞した。期せずして夫の永田和宏さんは2004年に『風位』で迢空賞、2008年に『後の日々』で斎藤茂吉短歌文学賞を受賞している。夫の永田さんも「塔」を主宰する歌人で、細胞生物学者である。彼女も短歌結社「塔」に所属し、宮中歌会選者をつとめた。

昨年の歌集『母系』のあとがきに 「この歌集名は、私にとって必然のものであった。母という生命の本源は、歌人としても、ひとりの女性の思いとしても、私の最も大きなテーマであった。この夏、8年前に手術した乳癌の転移が見つかり、化学療法に入った。発病以来、再発の不安を抱え続けて一日一日を生き延びて来た。」とある・・・・これは、河野裕子という一本の樹の物語であるように思われた。大学三年生で角川短歌賞を受賞した初々しい若木は、歌人としても良き伴侶を得て風格ある大樹に生長した。娘は母から生を受け継いで自らもまた母になり祖母になる。やがて老親を見送り、忍び寄る己の病魔におびえながら生と向き合う覚悟のほどは、特に竹林のざわめきに似た悲泣とあいまって、同世代を生き、三度の癌を患った私には胸に迫るものがある。
『この母に 六十年まへは 鮮らしく 上海租界の 地図まで描ける』
『このひとは もうとほい所へ 行つてゐる 障子の向かうに 雨降る匂ひ』
『自転車 止めてアイスキャンデイー 買ひくれし 貧乏だった 私の父よ』
彼女の母は大陸からの引き揚げ者である。多くの日本人がそうであったように戦後ゼロから立ち上がり、けっして豊かではないけれど子は慈しんで育まれた。うつつ心を失って過去の記憶を行きつ戻りつする母の衰えは忍びがたいが、誰もがゆく道である。歌に詠まれた父と子は団塊世代に共通する原風景であり、この中には、振り返ると時が自在に伸縮して濃密な時空間がある。
『病むまへの 身体が欲しい 雨あがりの 土の匂ひしてゐた 女のからだ』
『君は君の 体力で耐へねば ならないと 両肩つかんで 後ろより言ふ』
『生きてゆく とことんまでを 生き抜いて それから先は 君に任せる』
恐れていた乳癌が転移して試練に耐える渾身の作である。健康的なエロティシズムを讃えた若き日の名歌 『ブラウスの 中まで明るき 初夏の陽に けぶれるごとき わが乳房あり』(『森のやうに獣のやうに』昭和47)を思えば、時の歩みは非情であり、止めようがない・・・・しかし、決して暗くはなく、夫への愛と信頼に満ちている。

『逆立ちして おまへがおれを 眺めてた たつた一度きりの あの夏のこと』 
『たとへば君 ガサッと落葉 すくふやうに 私をさらつて 行つてはくれぬか』
私が、現代短歌というものに、「えっ?」 と振り向かされたのが彼女のこの歌だった。(昭和47年の歌集『森のやうに獣のやうに』)
ちょっと、短歌をかじっていた私が、本屋の片隅でパラパラッとめくってみた短歌雑誌に載っていただけのことだったが、通りすがりの者の目を釘付けにするほど鮮烈な光を放っていた。それまで、きれいな言葉や響きの良い言葉ばかりさがしていた私だった。口語体の言わばがさつな言葉を使いながら、そこに見る人にとてつもないストーリーを想像させる彼女の短歌のほとばしるエネルギーに驚きと新鮮さを感じ入ったのだった。
私は、短歌を詠むときは何処かに行ったときとか、新しい発見があったときとか、何かの出来事が起きたときとか、喜びや哀しみや感動が必要だと思っていた。しかし、彼女の短歌は全てといっていいほど日常的な背景から生まれている。
『ぽぽぽぽと 秋の雲浮き 子供らは どこか遠くへ 遊びに行けり』
オノマトペ(擬態語、擬音語)の名手ならではの「ぽぽぽぽと」が心地良く響いている。夫の歌人永田和宏さんは彼女の歌を現代の歌人の中で「滞空時間の長い」歌人、またオノマトペの第一人者と言っている。
『たっぷりと真水を抱きてしづもれる昏(くら)き器を近江と言へり』
真水を抱くのは琵琶湖だが湖国の風土にとどまらず女性の性の暗喩でもあるという・・・・美しい旋律をもつこの歌は一編の物語をゆうに超えるような気さえする。
恋愛、結婚、出産、育児といった日々の流れに特別なドラマがあるわけではない。しかし、心を研ぎ澄まし傾ければ、こんなにも深い認識や豊かな身体感覚を日常から発見することができるのだ。そんな新しい短歌の可能性を彼女はごく自然な形で提示してみせたのである。
青春、恋愛、結婚、母の死、子供や孫とのふれあい・・・・そして闘病。三十一文字の定型に生活をくるみ、その破れ目から荒々しいものものぞく。短歌は、この人にとって人生そのものだった。
「頭で歌はできません。作らないと身が持ちませんでした。若いころは一晩に200首作ったこともあります。あかんたれで浮き沈みのあるヤヤコシイ妻でした。今は、身の回りの何でもないことを詠むのが面白い。年取ったんでしょうか・・・・」と、彼女は言った。

ちょっと気になった歌もあった。母性の優しさに満ちた歌が多い中で、30代前半での歌集で「子を打つ」という言葉の入った歌が5首はあった。子育てで毎日が忙しく真剣勝負だった時期、また歌を詠おうと必死でいらだつこともあったかもしれない。私は子供を打ったことはないが、彼女には性格が激しい一面があったのかもしれない。
『君を打ち 子を打ち灼けるごとき 掌よ ざんざんばらんと 髪とき眠る』
『いい嫁で いい子でいい母 いい妻で あらうとし過ぎた わたしが壊れる』
それから初期の歌集でもう一つ気になったことは、人工中絶のことを詠んだと思われる歌が10首はあったことである。
文学的表現がされているが、はっきりとそれと読み取れる。結婚前のことである・・・・それは、結婚して妊娠したときの歌にある。
『逝かせし子と 生まれ来る子と 未生なる 闇のいづくに すれちがいしか』(『森のやうに獣のやうに』の『血』の章)
「あとがき」で彼女はこう書いている。
「誰かの為に、何かの為に、という大義名分では決して短歌は作れるものではない。短歌はもっとつきつめた、ひとりぼっちなものなのだと思う。誰の為にも私は短歌を作るまい。まして相聞はと思うのである。それは女の行き方の一種のいさぎよさ、真摯さではあるまいかと思うのである」と・・・・。
この言葉がすべてを語る。誰かに見せることを前提としたものではなく、短歌は彼女そのものなのだ。歌が生まれるのはやむにやまれぬものが噴出するのだろうから、「この部分は隠す、この部分は隠さない、そうした切捨てや選択をすること自体、いさぎよくない、自分の生き方としてはありえない」と、言いたかったのだろう。歌を詠む人はあまたいるだろうが、やはり、そこにプロとアマチュアの作家魂の違いを私は感じた。

彼女は、戦後に生まれ、世相が安定し言論や思想が自由になり、平和で自由な時代を迎えてから短歌に出合った・・・・このめぐり合わせも幸いし、歌人河野裕子は、まさに時代に祝福された才能の花と咲いた・・・・。
駆け抜けた、生き抜いた、彼女の遺したものはとてつもなく大きい・・・・心よりご冥福をお祈りいたします・・・・。

≪追記≫
読売新聞の『読売俳壇』の選者を37年間も務めた俳人森澄雄さんも8月18日に逝った。彼の俳句人生の原点は、約200人居た中隊で生還者8人というボルネオでの過酷な戦争体験だったという・・・・「だから、戦後は、一人の平凡な人間として生涯を送りたいと強く思うようになりました。妻を娶(めと)ったら妻を愛し、子供が出来たら子供を慈しみ・・・・」と、選者を昨年退いたときの文章の中で回想している。『妻を歌って彼の右に出るものはいない』との評がある。
『除夜の妻 白鳥のごとく 湯浴みをり』
『聖夜眠れり 頸やはらかき 幼子は』
『白地着て つくづく妻に 遺されし』
そして、『美しき 落葉とならん 願いあり』 と、去り行く身を、散る花ではなく落ち葉に託し、最後まで謙虚であり平凡であろうとした人であった・・・・合掌。

# by pubfujiya | 2010-08-25 12:31 | エッセイ

原爆2010

今年、広島・長崎は、原爆投下から65年目を迎えた。広島市では、8月6日、同日午前8時から平和記念公園で平和記念式典が執り行われた。今年の広島平和記念式典は、国連事務総長を始めとし、アメリカの駐日大使など核保有国の大使らが出席していた。
長崎市では、8月9日「被爆65周年長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」が、平和公園で行われた。核保有国の英、仏、ロシア、パキスタン、実質的核保有国のイスラエルなど32カ国が参加したが、原爆投下国の米国は欠席した。駐日米大使館の担当者は9日、「ルース米大使のスケジュールの調整がつかなかった」としていた。大使は事前に長崎市の田上富久市長に電話をして「今回は行けないが、いつかは平和公園などを訪問したいと思っている」などと伝えたという。
国連事務総長の初出席、核を撃った米国大使の出席、核保有国の英、仏、ロシア、パキスタン、イスラエルの出席となった両市の平和記念式典は、新たなる一歩を踏み出したことになる。これが、「核なき世界」への大きな一歩となるか、単なるパフォーマンスとなるかは、やがて、歴史が明らかにしてくれるだろう。
紛争根絶のため、人が人へ核兵器を撃つことのない平和の持続のために、人はどのような行動をするべきか地球規模で真剣に考えるときが来ているように私は感じた。

悲願の核廃絶には新しい風が吹きつつある。米国のオバマ大統領は去年、プラハ演説で、核を使用した自国の道義的責任を語り、「核なき世界」を訴えた。核の小型化で今後ますます危険な状況に世界は向かう。彼は、それを良く分かっていて、国内の反対勢力に立ち向かいながら核削減活動を始めた。それは大いに評価すべきことである。米国の一般市民を核テロから守るためにも・・・・その一歩でもある。それを機に、涸れていた核軍縮の泉がわき出し、川となって流れ始めたのだが、それは、今後流れ続ける大きな水流となるのだろうか・・・・。
65年を経て、初めて米大使が出席したが、米国では今なお、原爆投下を正当化する考えが常識である。オバマ政権にとって、このことは楽な決断ではなかっただろう。大使の出席には米国内の反応を見る意味もあったのだろう。近い将来に大統領の被爆地訪問をぜひ実現させてもらいたい。かつて広島を訪ねたスウェーデンの故パルメ首相は、「核戦争は抽象的な概念になりがちだが、初めてそれが残虐な現実だと肌で知った」と衝撃を語っていた。焼けだだれて命を失った人間の様々な姿に、何を思うのか・・・・あの聡明な大統領に問うてみたい。正当化する考えが常識である核大国に、正当化しえない「絶対悪」だという認識を、伝えるためにも・・・・是非、その目で見ていただきたい。

広島市で6日に行われた平和記念式典に、ルース駐日大使がアメリカ政府の代表として初めて参列したことについて、アメリカメディアの一部では、痛烈な意見も見られた。
ニューヨーク・ポストは社説で、「日本のアジア攻撃は悲惨なもので、原爆は戦争を効果的に終わらせた」と主張し、日本に対して「謝罪する必要はない」と強調した。「謝罪をする必要は無いが、一般市民への原爆投下は戦時下でも許されない犯罪行為である事はもっと多くの米国市民にも知ってもらう必要はあるだろう。日本政府はそのための活動を継続していけば良い」と・・・・。
6日付のウォール・ストリート・ジャーナルは、ルース大使の広島訪問は 日本との連携を強くするかもしれないが、オバマ政権に政治的リスクをもたらすかもしれない」と、警戒感をにじませた。

戦争は何のためにやるのだろうか?・・・・それは戦争をしてでも達成したい目的があるからである。19世紀後半から20世紀初期の世界情勢は、欧米列強が植民地とする新たな土地はない状態であり、欧米列強とそれに唯一伍していた日本を含めた「残った強国どうしがお互いを食い合いをはじめる状態」であった。
そんな状況で、日本は自国防衛のための施策の他に、国際連盟で「民族自決国家(各民族集団が自らの意志に基づいて、その帰属や政治組織、政治的運命を決定し、他民族や他国家の干渉を認めないとする集団的権利)の樹立」を提案していたが、米国に無視されていた。
強国同士が食い合うしうかない状態では、強国同士は直接戦闘ではなく政治経済外交による戦いとなり、我が国は原油禁輸という攻撃で破滅間近であった。「戦闘行為」を発生させないために侵略自体を受け入れる」ということは、「戦争をしてでも守るべき日本の国民の安寧・自由」を否定した日本人の奴隷化でしかなかった。当時、白人至上主義のアメリカは、有色人種は奴隷の様な扱いをしており、黄色人種もそれに準ずる現実からは、それは到底受け入れられない選択であった。それが第二次大戦開始の背景であり、その目的は「植民地解放民族自決国家の樹立」によるいわゆる「国取ゲームを終わらせる平和実現」であった。
原爆は何故広島・長崎に投下されたのだろうか?・・・・。
第二次大戦中、アメリカが原爆の開発にのりだした理由はいくつかあるが、最も重要な動機は「ドイツのナチスが核兵器を先につくってしまうかもしれない」という懸念からだったようである。ナチスが原爆を持てば、世界は決定的な破壊に見舞われるであろう、その前にアメリカが原爆をもたなくてはならない・・・・こうした雰囲気にアメリカはのめり込んで行ったのだろう。
そこで重要な役割を果たしたのは、ヨーロッパからアメリカに亡命してきた科学者たちであった。レオ・シラード、エンリコ・フェルミたちはアインシュタインを通じてルーズベルト大統領に原爆の製造を働きかけた。こうして「マンハッタン計画」が決定された。1939(昭和14)10月、ウラン諮問委員会が設置され、以降、5万人にのぼる科学者・技術者を使い、総計20億ドル(7300億円)の資金を投入した。ちなみに、1940年の日本の一般会計は60億円、1945年で220億円だった。この時点でも国力の差が歴然としている。
1945年6月に史上初の原爆を完成し、同7月16日アメリカのニューメキシコ州アラモゴード近くの砂漠で史上初の核実験が行われ、これに成功し、かくて、1945年7月、人類史上初の核兵器保有国となった。 だが、アメリカが実際に原爆を完成した1945年6月には、ドイツはすでに敗北していた。そこで、原爆の投下目標は日本に向けられることになったのである。我が国はもとより人類の歴史の不幸は、この時から始まった・・・・。
米国は1945年の時点で3発の原爆を完成させた。その1つが〝トリニティー〟、残りの2つが広島の〝リトルボーイ〟と長崎の〝ファットマン〟であり、実戦使用されることになった。

これは、広島原爆投下後8月8日に、日本の各都市に米軍のより投下されたたチラシである。
『日本の人々に: アメリカ合衆国はこのリーフレットで我々が言うことにあなた方の速やかな注意を向けるよう申し上げる。我々は人類が発明した中でも最も破壊力のある爆弾を所有している。我々が新しく開発した原子爆弾の一つ一つが巨大なB-29爆撃機が単一の任務で積載する爆弾の2000機分に実際に匹敵する。この恐るべき事実はあなた方にとっては熟考するべきものであり、我々は断固としてこれが正確であることを厳粛に保証する。我々はあなた方の国土に対してこの兵器を使用し始めたところである。今だ疑いを持つならば、たった一つの原子爆弾が投下された時、広島で何が起こったかを聞いてみることだ。この無益な戦争を引き伸ばしている軍隊の全ての資源を破壊するためにこの爆弾を使用する前に、天皇に今すぐ戦争を終えることを嘆願するように我々はあなた方に申し上げる。 我々の大統領はあなた方のために名誉ある降伏の13の結果の概略を述べた。あなた方がこれらの結果を受入れ、新しく、より良いそして平和を愛する日本を築き始めることを我々は強く勧める。軍隊の抵抗を終わらせるための行動を今起こすべきである。さもなければ、我々はこの戦争をすみやかに、武力によって終わらせるため、固い決意の下、この爆弾そして更に優れた兵器全てを行使するものである』

歴史に、「もし」はありえないが、その「もし」があったなら・・・・。
日本があのとき、ポツダム宣言すぐに受諾していたら、原爆投下も無かったはずである。ソ連はヨーロッパ方面においてドイツを破った後に、日ソ中立条約を反故にして日本と事を構える方針であったらしい。ヤルタ会談においては、ルーズベルト大統領の要請に応える形で、ドイツ降伏後3ヶ月での対日参戦を約束したが、日本がポツダム宣言受諾後だったらあり得なかったはずである。当時の政府 及び軍部は状況が読めない今で言う〝KY〟だったとしか言いようがない。
アメリカは原爆が完成した時点でもうソ連の力を頼る必要が無くなり、早く日本に降伏してもらいたかったのが本音だっただろう。しかし、日本がポツダム宣言を無視続けたから、もう容赦なく、ソ連が参戦する手前の6日に一発目を落としたのである。日本が本当に、愚かだったことは、一発目にすぐ降伏しなかったことである。そのためソ連が参戦し抑留者らのさらなる悲劇が生まれ、やられなくてもよかった長崎にも原爆投下され、悲惨な結末に終わったのである。
ある人が言っていた・・・・「負け戦と博打は、手仕舞いが一番難しくそして重要だ」と・・・・。

世界で初めて原爆実験が行われたのは1045年7月16日のことである。この実験はアメリカ・ニューメキシコ州ソコロの南東48kmの地点で行なわれた。実験場となった場所にあった高さ30mの鉄塔は、原爆により跡形なく蒸発し、基礎の一部分しか残らなかったという。それから1ヶ月もたたず、本番である原爆が人の上に落とされることになる。
広島には、ウラニウム爆弾通称リトルボーイと呼ばれる高性能火薬約1万5000トン相当、長崎には、プルトニウム爆弾通称ファットマンと呼ばれる高性能火薬約2万2000トン相当の原子爆弾であった。
人類が忘れてはならない記憶の1つとして平和の記念碑となり、そして世界遺産となった原爆ドーム・・・・チェコの建築家によって建てられた広島県産業奨励館であった。爆心地の至近距離にありながら、ボロボロになりながらも奇跡的に“残った建物である。今は平和になった広島の市の中心部に、ひっそりとたたずむ廃墟は、戦争の悲惨さを雄弁に物語っている。
さらに、原爆ドームのそばにある広島平和記念資料館を訪れると、そのすさまじさを思い知らされる。それはまさにこの世の地獄・・・・あってはならない地獄が、たった65年前の日本に現実に起こっていたのだ。原爆により爆心地の地表温度は3000~4000度に達したという。資料館には熱線被害により丸焦げになり、木炭の人形のような人々の写真が展示されている。そのすさまじいまでの凄惨さには、オバマ大統領もきっと凝視することはできないだろう。
世界平和が騒がれて久しいが、しかしその後も核実験は何度となく行われ、地球上から戦争がなくなることはないかもしれない。日本は戦後、平和で平和ボケ化しているきらいがあるが、この先、平和が続く保証はまったくない。現実に日本近辺にきな臭い国がある。もし、世界のすべての人たちに、広島の資料館で丸焦げになり木炭化した人々の写真を1分間凝視することを義務付けたとしたらどうだろうか・・・・あの写真を見て、戦争をするという決断ができる人がいるだろうか・・・・ふとそんなことを私は思った。

世界中に素晴らしい世界遺産がある。しかし中には目をそむけたくなるような人類の“負の遺産”もある。これ以上、“負の遺産”を世界に増やさないためにも、今ある“負の遺産”をしっかりと見つめたいものである。そのスタートは日本人なら広島ではないだろうか・・・・。
修学旅行などで訪れた方たちも多いだろうが、今一度、見つめ直してみると、他人事ではない平和の危うさがそこにあることを感じるのではないだろうか・・・・歴史は、遠ざかるほど客観的に見えてくるものである。

# by pubfujiya | 2010-08-12 14:23

ペットとの別れ

猛暑の続く7月21日に、17年近く我が家のペットだったマリリンが死んだ・・・・いつもの年ならうるさいほどの蝉時雨のはずだが、今年は蝉の声すらしない静かな午後だった・・・・。
あの子が我が家に来たときは娘が18才のときだった。確か、寒い冬の夕暮れ、知人から紹介されたブリーダーの家を娘と二人で訪ねた。物置のような粗末な犬舎の中にたくさんの仔犬がいた。その中で母犬にくるまれるように抱かれて眠っていた白い小さな仔犬が妙に気に入ってしまい、「その仔犬はもう少し母犬のそばにおいてやったほうが良いのだが・・・・」と言い、他の仔犬をしきりと勧めるブリーダーを振り切ってその仔犬を購入することにしたのだった。そのときブリーダーが、「血統書は出せないよ」と言ったが、血統書なんて必要も無いので別に気にもしなかった。彼は「ポメラニアン」と言ったが、今、思うと「ポメラニアン」と「スピッツ」の雑種だったような気がするが、それはどうでも良いことだった。
その仔犬は雌で、即〝マリリン〟と命名した。昼間は、私のエプロンのポケットに入っていたりしていたが、夜は、今は亡き息子の部屋の前の廊下に彼女のスペースを作ってあげた。しばらくの間、母犬を恋しがるのか夜鳴きをして、息子は眠れないとこぼしていたものだった。

娘の可愛がりようは大変なもので、毎日「マリリン」で明けて、「マリリン」で暮れていた。一途な犬で、そのうち彼女は、娘を 「ご主人様」 と思い込んだようで、私を見下すようになって行った。しかし、彼女と娘の蜜月はそう長くが続かなかった・・・・娘の結婚により離れ離れになることとなり、必然的に私と暮らすことになり、私が「ご主人様」になるはずだった。だが、当時数年間は私に懐かなかった。絶えず、ちょこんと玄関に座り、いつも誰かを待っているような様子だった。
息子が父方で暮らすことになり、私も仕事があり家を閉めて出かけることが多く、彼女は戸閉めの家にいる時間が長くなった。そこで、我が家のベランダはとても広いので、大工さんに特注の私が入れるくらいの豪華な犬小屋を作ってもらい、季節のよい時期だけは彼女をベランダに移すことにしたのだった。
それから、不思議な現象が起こるようになった。娘が我が家に帰ってくるとき、必ずその3分ほど前からベランダ中を駆け回り、嬉しそうに「キャンキャン」と鳴き始めるのだった。娘は、車で来ることもあり、電車で来て駅から歩いて来るときもあった。その日が雨のときもあれば、風の強い日もあった・・・・どうして分かるのだろう・・・・私は、動物が持つ特殊な能力を認めざるを得なかった。

マリリンは、15才を過ぎた頃から、歩くのをとても嫌がるようになっていた。そのうち、リードを付けようとすると歯をむき出して抵抗し始めた。散歩にも連れて行けず、トリミングに連れてゆくこともできず、獣医さんに来てもらい診察や毛まで刈ってもらう始末だった。気が荒くなり、全ては麻酔注射打った上で行われていた。
亡くなる1ヶ月ほど前から、餌もほとんど食べず、血便を垂れ流すようになり、何処へ行っても、絶えずマリリンのことが私の頭の中をよぎっていた。7月18日友だちの家に一泊で行くことになり、彼女を獣医さんに診察のため預かってもらったこの間だけが、ほっとしたひとときだった
しかし、19日、獣医さんが彼女を返しにきてくれたときから、マリリンの様子は一変していた。もうまるきり立てず、四つん這いになったままだった。獣医さんによると、いろいろな処置のために麻酔をかけたのでまだ醒めきっていないからだということだったが、これ以後、彼女は再び立ち上がることはなかった。
去年の今頃の検診では異常はなかったのだが、今年は大きな乳癌と関節の癌が見つかった。17才近い高齢で長時間の麻酔に耐えられるかが不安だったが、娘と相談して手術することに決めた。その矢先に具合が悪くなってしまったのだった。
それから2日間、横になったまま、私がスプーンで口に入れる水も全く飲まず息苦しそうな状態が続いた。健康な皮膚の細胞は常に再生しているが、生命力が弱くなるとその力が失くなり、さらに、動かない部位に圧力によって血行が悪くなり「床擦れ」が出来始める。3~4時間後毎に、身体の向きを変えてやるうちに、私は手首を彼女に噛まれてしまった。出血がひどく、ただでさえ、感染症ばかり起こしている我身なので、すぐに病院に飛んで行き、抗生物質を処方された。
そして、その夜、仕事から帰って来て、玄関を開けるとただならぬ臭いが充満していた。ペットシーツに横たわった彼女から、便と血が混じった粘液状の液体があたり一面流れ出ていた。水も飲まないのに、どこから出てくるのかと思うような量だった。
朝一番で獣医さんの往診をお願いしたが、それは午後になった。先生は一目見るなり、「もう限界ですね」と言い、私の疲れを見てとったのか、「預かりましょう」と言って彼女を連れて行った。
早速娘に電話をかけ、娘の到着を待って、病院へ行った。先生は、私たちに彼女の限界を説明してくれた。私は2~3日、彼女の様子を目の当たりにしていたので、「安楽死」には同意できる気持があった。しかし、娘は大反対で、自分が看取るということになった。しかし、そのとき、痙攣が来て彼女が苦しそうに唸るように喘ぎだした。これを見て娘は 「お願いします・・・・」と、消え入るような声で言った・・・・私たちの苦渋の決断だった。
娘が彼女を抱き、私が足をさすり、先生は首に麻酔注射をした。彼女は、途端に呼吸が楽になり、安らかな顔になった。先生は「麻酔でボーッとして気持が良いのですよ」と言いながら、次の今度は本当の彼女を死へ導く「筋弛緩剤」を打つ準備をしていた。そして、お尻に打った一本の注射でマリリンは16才7ヶ月の命の幕を下ろした。「午後4時35分でした」・・・・獣医さんの声が遠くのほうで聞こえたような気がした・・・・。
次の日は、娘が全て費用を出すというので、人間同様に、「個別火葬」を行い、二人で骨を拾い、お寺に納骨した。
私はマリリンを見送った安堵感を覚えた。それは、私たちの意志によって、マリリンの命を奪ったということへの後ろめたさが、手厚く見送るということで、死んだ彼女のためというより、残った私たちのための満足感であることを知ったからだった。複雑な気持のままこの後、私は、大いなる迷いに苛まれることになった。

「マリリンが病気で可哀想・・・・彼女が辛そう」・・・・一見、彼女のためを思っての決断だったつもりが、本当の理由は、「辛そうな彼女を見てる自分が辛い」 からだったのではないだろうか・・・・。
自分が辛ければ、自分をどうにかすればいいのに、マリリンに死んで貰おうとしたのではないだろうか・・・・。
「彼女を楽にしてあげたい」と言いながら、本当は介護に疲れた自分が楽になりたかったのではないだろうか・・・・。
安楽死という名を元に、動物は人間の都合で殺されているのではないだろうか・・・・。

安楽死(euthanasia)という言葉は、ギリシャ語の二つの言葉、「good」の意味の「eu」と、「death」の「thanatos」という言葉から由来している・・・・「よい死」・・・そして「人道的」「無痛」「愛する」という言葉の意味も含まれているそうだ。でも、どんな意味を持つにしても、安楽死は、「命を絶つ」という行為に他ならない。
米国でのある調査によると、1年間に獣医師が扱ったコンパニオンアニマルの3%が死亡しており、その66%が安楽死だった。だから、獣医学上では「中心をしめる大事な事柄」となっている。
獣医師たちも、自分以外のそしてかけがえのない命に対し、「死の決定」をすることに、人の傲慢さがないのだろうかと、疑問にも感じ、そこに不安も感じ、思い悩みストレスを感じる人が多いらしい。

しかし、ある獣医師のこんな文章に出合い、私の迷いは、吹っ切れたのだった。
「痛みや苦しみの中にある動物を 『生かしておくこと』・・・・薬漬けにしたり治療を続けることにも、同じかそれ以上の、人の傲慢さがあることに気づきました。 時々、人は 『自然のままに』 という言葉を使いますが、でも、人にペットとして飼われ、首輪を付けられた時から、飼われたペットは、『自然のまま』であったことは、生まれて死ぬまでに一度もないこと、その事実から飼い主は目をそらせてはいけないと思いました。『ペットロスの心理学』 によると、野生動物は、自然との間で契約を結んでいるのです。自然の環境の中で食べ物を見つけ、寝る場所を確保し、仲間や家族との関係を築きます。でも、重い病気や重傷を負ったり年老いたりして、自分で獲物を探すことができなくなったとき、自然は契約の半分の責任を果たすのだそうです。それは、回復力がなければ、その動物は、捕食動物に襲われるか、飢え死にか、病死などの死が訪れます。この死こそ、「残り半分の契約」なのです。
人は、動物を自然から引き離しました。自然の代わりに、食べ物も寝る場所も社会的繋がりも与えました。残り半分の契約についても責任を負う必要があるのです。獣医療の介入や環境で、長生きできるようになりました。でも、最後のときはやってくるのです。そのときだけ、『自然のままに』 という、そんな人の身勝手な願いは、もはや、もう、起こらないのです。」
私は、この文章を読んだことで、とても重たい課題を投げかけられながら、今までの疑問が整理されているのを感じた。
ことさら安楽死にだけ、人の奢りや罪の意識を感じ、自分の愛するものを失う辛さを弁護する為に、それを利用してはいけないと思った。飼ったこと、暮らしていること、治療行為、全てに同じだけ、人の奢りがあって、そこにも罪の意識を感じるべきなのであって、それぞれの罪の大きさは等しいと思ったのである。

安楽死というと、抵抗がある方がまだたくさんいるはずだ。自然界で生きている動物は絶対に自殺はしないから、死は 「自然のままに」と言う人も多いだろう。しかし、一旦ペットになった犬や猫はもはや野生動物ではなく、もう決して野生には戻れないのである。つまり、野生ではもう生きてゆけない。良い意味でも悪い意味でも、人の手なしでは生きていけなくなっているのである。
安楽死によって、飼い主がどう感じるのか、犬や猫がどう感じるのか・・・・時間が経てば私たちの感じ方も変わるのか・・・。
それは、今の私には、まだわからない・・・・。
ペットが求める愛はほんのわずかだったが、彼らは私たちにあまりにも多くの愛を与えてくれたのだから・・・・。

大人の男ならたいていするように
犬のことなど忘れようと試みた
だが忘れたくても忘れられない
亡き愛犬が、後を追ってくる姿を
来る日も来る日も いや一日中
どこに足が向いても忘れられない
「ボクは後をついていくよ」といって
亡き愛犬が、後を追ってくる姿を   
          (ラジャード・キプリング「愛犬」)より

遠くなってしまった命は、暖かい色の花のようです
少し離れて眺められるようになった時、
胸の奥に何度も何度も生まれるようにして咲く
遠ざかるのに、近くなる記憶の野原          
                (おーなり由子「モモ」)より

床の上に猫の足跡がつくことはもうない
ドアに泥だらけの引っかき傷がつくこともない
階段のフワフワした毛
椅子についたレースのような模様
私のベッドについたくぼみは
そこに彼女が顔をのせたしるし
窓ガラスの汚れは
彼女が当てもなく外を見ていた証拠
彼女がよく陣取っていた所は
もう彼女がいなくなったことを私達に思い出させる
家は前よりこぎれいになった、それは本当のこと
けれど、シーンと静まり返り、がらんどうになった、それも本当のこと
                                (「寂しい家」より)

# by pubfujiya | 2010-07-30 17:01 | エッセイ

始まり? それとも 「終わり」の始まり?

今年の名古屋場所の土俵風景は寂しいものになっている。NHKが中継を取り止めたのに続き、日本相撲協会は天皇賜杯の授与を自粛し、内閣総理大臣杯などの外部からの表彰を辞退することを決めた。解雇された大関琴光喜のほか、謹慎によって休場する力士は幕内・十両で10人を数える。これでは、面白い土俵の望みようがない。近年、上位ほとんどは外国人力士が占めていることや日本人力士のふがいなさもあり、相撲人気は低迷しているところへ、数々の不祥事が重なって逮捕者まで出す始末・・・・今度こそ角界が本気で出直しを図らないと、「国技」が国民から見放されることになるだろう。
リンチあり、大麻あり、暴力団に特別席をあてがう親方あり、野球賭博の大関あり・・・・角界の一部にウミがあるのではなく、角界とはそもそもウミで出来ているのではないか、そう思ったのは一度や二度ではない。誰もが 「ウミを出し切れ!」 と言うが、ウミを出し切ったら、日本相撲協会がなくなってしまうかもしれない。

蜥蜴(とかげ)は「尻尾(しっぽ)切り」で知られている。切られた後も尻尾は動き回り、けなげに敵の目を引きつける役目を果たす。野球賭博問題で、メディアに出てきては涙を流した大相撲の大嶽親方は、どこかその蜥蜴の尻尾が重なり合う。
トカゲの尻尾はしばらくすると再生するが、新しく生えたものには切り離す機能はないそうだ。つまり生涯に一度しか使えない奥の手なのだという。しかし、蜥蜴と違って日本相撲協会は、これまで何度この手に頼ってきたことだろう。
大嶽親方と大関琴光喜関は、それぞれ解雇になった。現役大関が解雇されるのは前代未聞のことだいう。ことの深刻さに当然と思いながらも、どこか腹に落ちないのは、不祥事のたびに見せられた「尻尾切り」である。これでは「蜥蜴」に失礼だ。
歌人高野公彦さんの歌に、『さまざまの 事件がありて このごろは 蜥蜴の顔が 美貌に見ゆる』 という歌があり、あたかも今の角界を詠んだかのようである。
2人を除けば、責任の取らせ方は甘くはないだろうか・・・・実態をつかむ前に名古屋場所は開催され、武蔵川理事長も謹慎が明ければ続投するそうだ。「懺悔(ざんげ)芝居」に明け暮れる大相撲の実態である。相撲の立行司は短刀を腰に差しているという。それは、間違った判定をしたら、切腹をするという心意気を意味しているそうだ。それくらい神道である相撲道は厳しいものなのだ。

もともとは、相撲は神前で行われ、日本固有の宗教である神道にもとづき神に奉納される神事である。力士とは四股名を持ち、神託によって神の依り代(よりしろ→神霊が依り憑く対象物のことで、神体や場合によっては神域をしめす)になり特別な力(神通力)を備え、神からの御利益のある特別な者である。具体的には四股を踏む「しこ」とは醜女(しこめ→黄泉にいるという女の鬼)の「しこ」をあらわし、大地を踏んで、穢れ、邪気を祓い鎮める行為である。それによりその土地に五穀豊穣や無病息災をもたらすと言われ、また、力士に赤子を抱いてもらうと、その子は健やかに育つと言われており、力士の手形などは縁起物として珍重される。そして、その中で最高位の者を横綱と呼び、全ての力士の象徴として神の依り代の証である「注連縄を張る」のは御神木や夫婦岩などと同じである・・・・調べてみると、相撲というものは、単なるスポーツではないことがよく分かった。

しかし、今回、日本相撲協会と暴力団とのつながりが問題になっているが、この関係は今始まったことではなく昔からのものであるらしい。かって、美空ひばりの例もある通り、昔は、興行というものには暴力団とのつながりが付きものだったらしく、これを排除しては成り立たなかったらしい。先頃、 テレビが、かっての大鵬親方が現役時代の土俵入りの姿を映した。その時の化粧まわしの裾の方に.山口組の山の字を型取ったひし形の代紋がいくつも模様のように金糸銀糸で刺繍されてあり、その上にはっきり「田岡」と言う文字が、私にも見て取れた。あの名横綱大鵬も山口組三代目・田岡一雄から化粧まわしを贈られていたのである。 朝青龍の誕生会には、山口組六代目の側近森健次組長が顔を出していたそうだ。

NHKが大相撲名古屋場所の中継を中止し、大相撲の歴史が崩壊した。最大の理由は、視聴者の声であり、不祥事発覚後、中継についてNHKに寄せられた意見は1万2600件で、うち約8600件(68%)が中継に反対、賛成は約1600件(13%)だったそうだ。しかし、大相撲を楽しみにしている人も多いのも事実だ。それは、お年寄りであったり、病床にいる人であったり、弱者と呼ばれる人たちに多いそうだ。弱くなったからこそ強いものに惹かれるのかもしれない。NHKはダイジェストを放送しているが中継とは大きく違う。
私の知り合いが大相撲春場所を顧客の招待で 「砂かぶり」という席(今回の事件でここが維持員席ということを知った)で見たそうだ。そのときの感想をこう聞かされた。
「間近で見るお相撲さんは想像以上に大きい。すぐ目の前の土俵に上がり、下から見るとますます大きく見える。軍配がかえって力士がぶつかると、ドシッというかメシッいう鈍い音が聞こえてきて、その迫力はものすごい。取り組みを終えて土俵を下りてくると、額から血が出ていたり鼻血が出ていたりする力士が何人かいた。テレビでは決して分からず、土俵のすぐ下で観戦しなければ分からない凄まじさだった。土俵上の取り組みだけでなく、土俵の周りで働く人たちの動きも興味深かった。呼出も行司も二つの取り組みごとに交代するとは知らなかった。それにしても外国人力士の多さには驚かされた。肌の艶も良く眼光も鋭く気合いが漲っているなぁと感じる力士はほとんど外国人力士で、取り組みを見ていても、仕切りの際に相手を睨みつける迫力が最もあったのはブルガリア出身の大関・琴欧州だった。
肌の艶が飛びぬけて良かったのは横綱・白鵬・・・・それにしても白鵬はさすが横綱だけあってオーラが出ていて相撲人形のような端正さだった。初めて、大相撲を観戦して強く感じたのは、土俵上の様式美と神聖さ・・・・元横綱の朝青龍が土俵上でガッツポーズして非難を浴びた時に、私は自然に出たガッツポーズくらいはいいのではないかと思っていたが、しかし、こうして土俵のすぐ近くで大相撲を観戦してみると、ここでガッツポーズはするべきではないと素直に思えた。砂かぶりなので、土俵から押し出された力士が飛ばされて来ることもあるので、女性は危険すぎるということで最前列に座ることはできない」
テレビ中継だからここまでの迫力は無くとも、高画質のカラー受像機が普及した今は、桜色に染まっていく力士の肌の変化を家にいて眺めることができる。仕切りを重ねるにつれて紅潮していく肌の美しさで第38代横綱・照国は<桜色の音楽>と評されたそうだ。今では、横綱・白鵬関や大関・把瑠都関のように、染まりゆく肌の美しい人がいる。仕切りの時間も、土俵入りの化粧まわしも、場内のざわめきも、すべてを引っくるめて大相撲の楽しみとしてきたファンには、中継中止はさぞかし残念なことだろう。
警視庁は相撲部屋などを捜索し、野球賭博と暴力団の関係解明を急いでいる。中継の中止は、「理事長代行」職に外部から人材を受け入れる人事に日本相撲協会が最後まで抵抗したように、事ここに至っても親方衆が本気で角界を浄化する意思があるのか疑わしく、公共放送としてやむを得ない判断だったのだろうが、果たしてこれで良かったのだろうか・・・・私は、名古屋場所を取りやめにした方がすっきりとして良かったのではないかと思っているのだが・・・・。

相撲界を追放された大嶽親方は、かっての名横綱大鵬の娘婿である。彼のことを調べてゆくうちに私は大鵬親方の人生に大変興味を持ったのである。
大嶽親方が、大鵬親方の愛娘・美絵子さんと結婚したのは1993年。婚姻届と同時に養子縁組届を提出し大鵬部屋の後継者となった。このころの彼は、期待に応え外国人横綱の曙に天敵と恐れられ、「曙キラー」と言われたのである。2000年には、引退覚悟で臨んだ春場所で奇跡ともいうべき幕尻優勝を成し遂げた。2004年には、大鵬親方は手に入れておいた1億~2億円とも言われる年寄株「大嶽」の名跡を部屋の後継者となる彼に譲り引退した。一見、順風満帆に見えた彼の相撲人生・・・・いつどこから、野球賭博という魔物が付け入り、破滅への道を辿ったのだろうか・・・・。
父親が博徒だったこともあり、彼の博打好きはすでに角界でも有名であり、今回の野球賭博でも他の力士とは桁が違っていた。三賞の賞金400万円も一日で摩ったこともあったらしい。大鵬親方の三女と結婚するにあたって、義父になる大鵬親方はとても心配していた。そして、度々注意もしたそうだが、彼には「馬の耳に念仏」だったらしい。生活費までつぎ込むようになって、娘から泣きつかれ娘可愛さに大鵬親方もかなりの金を出していたそうだ。彼の恵まれた力士人生は賭博によって全て崩れ去り、そして失った・・・・しかし、全てが崩れ去ったのは、彼だけではなかった・・・・同じく、大鵬親方もである。

1971年に、31才の若さで土俵を去ったが、史上最多の32回の優勝という大記録を打ち立てた大鵬は部屋を開くやたちまち多くの弟子が集まり、先ずは順風満帆な門出をした。しかし、そのわずか6年後、1977年に37才の若さで脳梗塞で倒れ左半身が麻痺し、数々の後遺症に苦しめられ車椅子の生活となった。しかし、これは災難の序章にすぎなかった。これからありとあらゆる災禍に苛まれ続けるのだから・・・・。
最初の事件は1989年、覚えている方もいられると思うが、『くわせもの』 というあの田中康夫が書いた小説だった。『一世を風靡した大横綱の娘』とか、『ロシア人の血が4分の1入っている』とか、誰が読んでもその女子大生のモデルは大鵬の娘だと分かったのである。ちなみに大鵬は、白系ロシア人との混血であったが、不思議と当時外国人力士とは言われなかった。この小説は言うも憚られるような赤裸々な描写が多くたちまち話題になり週刊誌で騒がれたのである。大鵬は大きな衝撃を受けたそうだが、だが、もっと強い衝撃をうけたのは2年後の事件だったかもしれない。
次の事件は、ある実話誌が3週にわたり掲載した記事だった。それは、『一世を風靡した大横綱』が率いる 『A部屋』の親方夫人 『B子さん』について取り上げたものだった。それは、B子さんが若い弟子衆に情熱的な手紙をおくり、複数の弟子と『ただならぬ関係』になっており、そのため部屋の雰囲気が乱れ、去って行く力士が多数いるという内容だった。さらに驚いたことにそのB子さんは、取材に 「確かに手紙は、自分が送った。面白半分にやった。」と答えたのだ。すぐさま写真週刊誌がこの記事を追って、この部屋は、『大鵬部屋』だと報じたのであった。一連の記事の真偽はさておき、半身付随の大鵬の心の衝撃はいかばかりであっただろうか・・・・。
心痛の種はまだ続く・・・・大鵬が病に倒れてから力士の数が徐々に減り、後進が育たなかったのである。子供は娘ばかりで、年寄株を買ったにせよ、譲るべき相手がいないという悩みを抱えていた。しかし、一筋の光明が差したのは三女が1993年、大嶽親方こと当時の貴闘力と結婚したことである。大鵬は「これで部屋が継承できる」と、大いに喜んだそうだ。しかし、喜びも束の間、娘婿の〝悪いクセ〟が次なる悩みとなって行く・・・・。
婿殿は、賭博の金を弟子たちからも借りるようになり、弟子に頭が上がらなくなり、満足な指導もできなくなった。ロシアからスカウトした力士露鵬は大麻に手を出し協会から解雇されてしまった・・・・大鵬の無念さは察して余りある。しかし、唯一の希望の灯は、三女の4人の男の子が力士を目指していることと、自分と似た「相撲道原理主義者」の貴乃花親方が角界に重きを成してゆくことだったという。しかし、その貴乃花親方は、大嶽親方と琴光喜の処分が重過ぎると言って退職願まで出すす始末・・・・しかし、翌日撤回し、要するに駄々をこねた形で、あまりにも〝KY〟な幼稚さを繰りひろげただけだった。
大鵬親方はサインを求められると『忍』の一字を書くことが多かったと言う・・・・。
元横綱審議委員長の石橋義夫氏はこう明かす・・・・「大鵬は〝どんなに苦しくとも耐える〟ことを自分に課し、黙して語らない人なんです。先日電話で 『とにかく元気でいて下さい』と言いましたら、しばし沈黙があった後、電話口からすすり泣く声が聞こえてきました。私も涙をこらえることができませんでした」と・・・・。
一時代を築き、数々の栄光に輝いた大横綱の痛切過ぎる人生の晩秋に、私の心は痛んだ・・・・。

NHKの中継が無いまま、名古屋場所は始まっている。
『久しくも 見ざりしすまひ 人々と 手をたたきつつ 見るがたのしさ』 これは、昭和天皇の御歌である。相撲が大好きだった昭和天皇の貴賓席でのお姿が目に浮かぶ。天皇賜杯は当時摂政宮だった昭和天皇の下賜金で作られたものだそうだ。力士が夢見るその天皇賜杯の〝賜杯拝戴〟の感動シーンは、今場所では見られない。「全力士が賜杯を頂くため、けいこに励んでいるから残念」と、横綱白鵬の言葉が全力士の気持ちを語る。
この名古屋場所は、相撲界の新たなスタートとなるのか、あるいは〝終わりの始まりになるのか〟存亡の危機を乗り越える白熱の土俵を期待しつつも、私たちは厳正に見守って行かねばなるまい。

# by pubfujiya | 2010-07-16 05:37

戦い済んで・・・・

サッカーワールドカップ(W杯)南ア大会で16強入りした日本代表が、7月1日夕方関西空港に帰国した。到着時には緊張した面持ちの彼らだったが、記者会見では笑顔となり余興まで出るリラックスムードだった。しかし、岡田監督は今後のことを聞かれると、「僕としてはこれを最後の仕事と思って全身全霊をかけてやってきました。そういう意味で今、ここから4年間やっていくというパワー、熱意は今の時点ではまったく、とてもじゃないけどないです」と、事実上退任を明言した。さらに期待されながら1試合26分の出場となった中村俊介選手は会見後日本代表からの引退の意向を口にした・・・・変幻自在のフリーキックでサポーターを魅了した「背番号10」の日本代表引退・・・・この去って行く二人は、一つの時代に終わりを告げようとしている。
PKを外し、日本中を落胆させもう戻れないと号泣した駒野選手の顔にも、メンバーに励まされ笑顔が戻っていた。PKが外れるなんてあのベッカム選手やバッジョ選手だってやっている。これは試合の流れ・・・・負けたのは、彼だけの責任ではない。

6月30日未明、サッカーワールドカップ(W杯)南ア大会、決勝トーナメント1回戦、日本Vsパラグアイが日本のPK負けで決着した。日付が変わった30日午前1時41分、岡田ジャパンの敗戦に悲鳴とタメ息が交錯した。それでも、直後に「よくやった!」「あっぱれ!」と・・・・PK戦までもつれ込んだ熱い闘いを称えた。南米の強豪・パラグアイと延長までの120分間、一歩も譲らない攻防を繰り広げ、0-0のままPK戦に突入。3-5で敗れ日本サッカー史上初のW杯8強はならなかったが、岡田武史監督(53)は闘志を前面に押し出した激しい守備で、世界に強い印象を残した。
生中継したTBS系の番組平均視聴率が、関東地区で57・3%(午後10時40分~深夜1時10分)、瞬間最高視聴率は、関東地区で午後11時46分(前半ロスタイム時間帯)の64・9%だったことが30日、ビデオリサーチの調べで分かった。

フランスのスポーツ紙レキップ(電子版)は29日、この日本がパラグアイに惜敗した試合について、松井大輔選手や本田圭佑選手を中心に何度も相手ゴールを脅かした闘志は「ベスト8に値していたかもしれない」とたたえた。スペイン国営テレビのRTVEのアンヘル・サカルガ理事は29日、「今日は負けたが、日本の強固な組織力は素晴らしかった」との賛辞を贈り、「日本代表は今回W杯の新たなスターだった」とも讃えた。試合を実況した南アフリカの民放ラジオは前半「退屈な試合だ」と連発していたが、後半は「がんばれニッポン。がんばれ本田!」と、すっかり日本びいきになっていたそうだ。解説者は「日本は技術では劣るが、精神力では(パラグアイに)勝っていた」と評価した。中国各紙も日本に賛辞を贈る論調が目立った。京華時報は別刷り特集で、日本戦を3ページにわたって詳報し、「最も残酷、悲壮な形でアウトになった」としたが、「日本チームの活躍は尊敬に値する」と賞賛した。中国メディア「中国新聞網」は1日、PK戦でミスをした駒野友一選手に対する記事を掲載し、駒野選手のプロフィールを紹介した上で、「ジーコ監督の後を継いだオシム監督は、駒野選手を『日本代表の中でもっとも速い選手』と評している」と紹介。さらに、W杯予選リーグの3試合すべてで見せた駒野選手の身を挺した必死のディフェンスと右サイドの突破は、日本代表の16強入りに大いに貢献したと評価した。また、1994年W杯アメリカ大会の決勝でPKを外したイタリア元代表のロベルト・バッジョ選手や、EURO2004のフランス戦やポルトガル戦でPKを外したデビッド・ベッカム選手になぞらえ、記事では「今回で苦痛を味わった駒野選手は今後、悲劇のヒーローとして日本代表を一層の高みへ率いる存在になるかもしれない」と期待を示した。

パラグアイは南米の中央部にあり、北東はブラジル、南はアルゼンチンと国境を接している。サッカー大国の両国に挟まれた国が弱いわけが無い。その国と日本選手は120分0-0で一歩も引かない死闘を繰りひろげた。今大会初のPK戦での敗退の瞬間、不運にも外した駒野選手は泣きじゃくり、その肩をこれまた涙の松井選手が抱き、そして岡田監督が抱いた・・・・。
開幕前には酷評もされたこともあった彼らには、互いの温もりだけが頼りの日々もあったに違いない。勝利より、深い感動の敗北の情景もある。大健闘を心から讃えたい。眠い目をこすりながらも勝ち負けを超えた感動をもらった子供たちの中には、相撲取りには絶対なりたくないと思っても、サッカー選手になりたいと思った未来の本田選手たちがきっといたことだろう。

さらに、岡田監督の潔く、そして選手への愛情あふれた言葉も感動を呼んだ。戦いの後の記者会見での岡田監督と報道陣の一問一答でこう述べた。
 ――PK戦の末に敗れたことに悔いはあるか
「試合内容に悔いはない。選手たちは、本当に素晴らしく、日本人の誇りを持って、またアジアの誇りを持って、最後まで戦ってくれた。その選手たちに勝たせてやれなかったのは、やはり私の責任。執着心、執念が足りていなかった」
 ――点が取れなかったのはなぜだと思うか
「元々、それほど得点力がないので、数少ないチャンスをものにしているチーム。その点が足りなかった。戦術的な分析をするよりも、やはり私に執着心、執念が足りなかったと思う」
 ――最後のパラグアイのPKが決まった瞬間は
「これで我々のW杯が終わったと。本当に寂しい気持ちでいっぱいだった」
 ――今回の成績を受けて、代表監督を続投する意志はあるか
「この後のことを今はとても考えられる状態ではないが、恐らくもうやることはないと思っている」

そうだろう・・・・しばらくは、サッカーのことは考えたくないのが本当の心情だろう。監督とは孤独だ。孤独に非常な決断を下さなくてはならない。中村俊介のことも断腸の思いの決断だっただろう。あの名選手がイレブンに給水のボトルを運んでいる姿はチームの団結力を感じさせた反面、監督の身を切るような辛さも垣間見る思いだった。最近、たかが私の商売でさえ私の役目は 「決断」 を下すことだと思っている。極端に言えば、それ以外のことはスタッフが全て出来る。しかし、この決断は私だけが、目に見えない恐怖と緊張の中で孤独に下すのである。

政治評論家の森田実氏は、「言い訳やごまかしが通用しないのはスポーツも政治も同じ。選手の姿を最近の政治家と比較することで、ごまかしがまかり通る政治を排除すべきだとの発想が広がるかもしれない」と語る。参院選は7月11日投票日に向け、中盤にさしかかった。日本代表が見せた「真っすぐさ」と岡田監督の「孤独に決断し、信念を貫く姿」に魅せられた国民は政治家の言動に厳しい目を向けるかもしれない・・・・どこかの 「鳩ぽっぽ」 は、すでに居なくなっていて正解だ。
そして、ちょうど今、相撲界が不祥事を重ねてついに逮捕者や解雇処分者も出る始末・・・・明と暗を分けた彼らを、未来を背負う子供たちはどう見ているのだろうか・・・・。

ワールドカップでの4試合はマスコミの質が問われた戦いでもあった。思い出して欲しい。 ワールドカップ開幕前、日本代表と岡田監督へのネガティブキャンペーンとでも 呼べるような批判の嵐を・・・・だが、初戦のカメルーン戦に勝ち、岡田監督の評価は一変した。 「勝負師だ」とか、「岡田監督の真骨頂を見せた」とか、手のひらを返した評価を与えた。 「勝てば官軍」という言葉を想起させる紙面に、もはや岡田監督への批判は見受けられなかった。 オランダ戦も善戦し、負けたがなお評価は高いままだった。デンマーク戦に勝利した時は、その賛辞は、やれ「芸術的采配だった」とか「岡田監督は名将だ」と頂点に達した。
この文章を書くに当たって、インターネットで 「岡田・・・」まで検索に入れたら、途端に「岡ちゃん、ごめんね」というたくさんの投稿が飛び込んできてちょっとびっくり! そして、呆れた・・・・。
日本代表がデンマーク代表を破り決勝トーナメント進出を決めた25日、インターネット上のブログやツイッターには岡田武史監督への謝罪が次々と書き込まれた。4強を目標に掲げながら強化試合で韓国代表に完敗するなど開幕前にはネット上で岡田監督の手腕に批判が集まったが、一転しての大躍進に、あるサポーターはツイッターでつぶやいた・・・・「こんなに気持ちのいいごめんなさいは初めてだ」と・・・・。
私は、日本Vsパラグアイ戦で、もし日本が負けたら手のひらを返し岡田監督を賞賛したマスコミが、さらに手のひらを返すのか非常に興味があった・・・・しかし、それはなかった。さすがにマスコミにも感動を受け止める良心は残っていたのかもしれない。

苦境からみごとに立ち直った岡田監督と選手達の精神力は素晴らしく、チームワークを武器に「サムライブルー」に恥じない戦いぶりだった。国民の期待を上回る躍進を支えた救世主本田圭佑選手は、試合後に号泣したそうだが、まだ若い彼の悔し涙は2014年ブラジル大会への虹の架け橋となる。
しかし、勝負とは非情なものであり0では勝てない。今後は、さらに高い決定力を鍛えて欲しい。
8年前の決勝トーナメントのトルコ戦は雨が降っていたという・・・・パラグアイ戦のその日は曇り空だった・・・・次こそ必ず陽が昇る・・・・そう信じたい。

# by pubfujiya | 2010-07-02 07:14 | エッセイ

あおによし 奈良の都は・・・・

約1年半ぶりに旅行に出かけた。昨年は手術とその後の免疫力の低下から起きる感染症で入退院を繰り返し、疲労が大敵と言われたので、旅のお話はみなお断りしてきた。娘夫婦の誘いで、娘と一緒という心強さもあって久しぶりに奈良に出かけた。私は京都には何度も行っているが、どうしたわけか奈良に行く機会は無かった。周りの人たちに聞いてみると、奈良には行ったが奈良に宿泊したという人もあまりいない。ツァーなどでは京都や大阪の旅の途中に寄るというケースが多いらしい。というのは、奈良には風致地区が多く、大きなホテルなどが建てられず宿泊施設が少ないからだそうだ。今年は平城京1300年祭で多くの観光客が来ているが、宿泊は京都などが多いらしい。

行きは、13日の新横浜6時11分の〝のぞみ〟博多行きに乗り、戻りは京都8時2分の〝のぞみ〟で帰るという病後の旅としてはかなりハードであった。新横浜6時11分の〝のぞみ〟に乗るには戸塚駅発5時15分の東海道線に乗らなくてはならず、立場にある我が家からは、地下鉄の始発も出ていない時間だ。しかたなく店のドライバーに我が家まで来てもらい送ってもらった。
新横浜は地下鉄がないと戸塚からは、本当に不便な場所にある。自分の荷物と店のコックさんに作ってもらったお弁当やつまみをたくさん抱えて、乗り換えを3回して新横浜に着く。無事に娘夫婦と落ち合い予定通りに新幹線に乗った。ビールと缶酎ハイを買い込み早速それらを開いてミニ宴会だ。いつもながら席に落ち着き、缶ビールをプシュッとやるころには箱根山が見えてくる。たまっていた話をしているうちに 「なごやー」というアナウンスが聞こえてきた。とにかく「のぞみ」は速い! 
2時間2分で京都に着いた。しかし、奈良はここから乗り換えて、快速でも50分ほどさらに行く。この分があることで京都と奈良の観光客数の大きな違いが出てくるのかもしれない。

奈良に着いたら、あいにくの雨・・・・この日から梅雨入りしたらしい。宿は日航奈良ホテルである。しかし、駅に隣接していて、駅から傘をささずにホテル入れる。娘が私が病み上がりなので、疲れたらすぐ帰れるように駅のそばのこのホテルを選んだそうだ。そんな心遣いも嬉しい。
1泊2日の旅行なので、時間の無駄が厳禁だ。娘婿が段取り良く電車やバスの時間を調べてあり、早速、奈良駅から薬師寺に向かう。のどかな田園風景が続き、やがて五重塔や三重塔がちらほらと見えてきた。唐招提寺と薬師寺はすぐそばにある。しかし、そばと言っても寺の規模が大きいから歩くと大変な距離になる。時間と興味の関係で、唐招提寺はパスして薬師寺のみの拝観にした。
薬師寺は、天武9年(680)11月12日、天武天皇皇后の菟野讃良皇女(うののさららひめみこ、のちの持統天皇)が病に倒れたことに端を発する。吉野での苦難の日々も、壬申の乱の勝利して飛鳥浄御原宮で即位した後も、常に傍らにいて夫を助けてきた皇后に対して、天武天皇は深い愛情を抱いていたのであろう。皇后の病気平癒を祈願して、天皇は薬師寺の造営を発願された。『日本書紀』には「皇后のために誓願を立て、薬師寺を建立することになり、百人の僧を得度させたところ、病気は平癒された」とある。
本当のところ私たちは、玄奘三蔵院伽藍がお目当てだった。これは、平成3年(1991)に完成し、西遊記の三蔵法師のモデルとして知られる玄奘三蔵(600?~664)の遺骨が安置されている。完成から10年後の平成13年(2001)1月1日午前0時、同伽藍の画殿で壁画の入魂開眼法要が催された。壁画は、平山郁夫画伯自身が奉納されたもので、10人の僧が般若心経を読誦する中、画伯自身が本尊となる壁画「西方浄土須弥山」を1mの筆で触れて入魂された。平山画伯が奉納した大唐西域壁画は、玄奘三蔵求法の精神を描いたもので、画伯は30年の歳月をかけて完成させたものである。壁画は7場面13枚で構成され、「明けゆく長安 大雁塔」、「嘉峪関を行く」、「高昌故城」、「西方浄土須弥山」、「バーミアン石窟」、「デカン高原の夕べ」、「ナーランダの月」と続く壁画は、玄奘三蔵法師の苦難の道程を描いている。さらに群青色に彩られた天井には、25mプールに匹敵する大きさの「絲綢之路群青天空」(崑崙山脈の群青の星空)が描かれている。
空からは星が降り、山脈に残る氷河からは清冽な風に乗り氷の粒が、砂漠からは黄土色の土煙が舞い上がり・・・・私は玄奘三蔵の世界へ誘われていた。祈りの画家といわれた平山画伯の気迫が迫ってくる圧巻な壁画である。
栄枯盛衰は世の習いである。薬師寺もその例外ではない。長い歴史のなかで何度も災害を被っている。薬師寺の再興は、企業からの寄進ではなく、写経の納経料で賄ったという。有縁の人々による般若心教や薬師経など700万巻の写経勧進の浄財だったというからすごい!。

次は、秋篠寺に向かう。西大寺駅からバスで15分ほどで秋篠寺に着く。それほど知られた寺では無いかもしれないが、雨にけむる苔むした寺の風情に、思わず言葉を失った・・・・。(「あきしの」は奈良にかかる枕詞、「あおによし」は都にかかる枕詞である。秋篠宮様の名はこの皇室ゆかりの奈良から名付けられている)
奈良時代末期776年、光仁天皇の勅願により、善珠が創建したと伝わっている。大同元年(806年)、桓武天皇の五七忌が秋篠寺で行われた天皇家とも関連の深い寺院である。本堂は鎌倉時代の建立であり、本尊の薬師如来座像等が祭られている。「あきしの」という美しい響きを持つ、この寺の一つの魅力は金堂跡の苔庭である。苔がしっとりと光って美しい。「入るな」という無粋な立て札は見あたらないが、多分誰もが踏み込むのを躊躇するだろう・・・・自然の見事さが威厳となっている。
会津八一の歌碑があり、「秋篠の み寺を出でて かえり見る 生駒ヶ岳に 日は落ちんとす」と、壮大な光景を歌っている。
秋篠寺で一番有名なのが、技芸天立像(ぎげいてんりゅうぞう)という仏像である。照明を使わず蝋燭の灯りのみの薄暗い本堂に一列に並んでいる仏像の中で、左側に少し離れて立って居られる。ここは仏像をすぐ近くで見ることが出来、手を伸ばせば触れることができる距離まで近づけるというのがうれしい。無駄な肉のない豊満なお姿でちょっと首をかしげ、ぽってりとした唇を少し開いた表情は恍惚感さえ漂い、艶かしい色気がこぼれ落ちる。
「指、ひざの曲げ具合、左下から見上げる左目の下あたり、やさしい微笑み、かしげた首、ちょこっと見えるヘソまわり・・・・まったくもって、匂ひこぼれて立たせ給へりだ!」と、やや下品ではあるが的を得た声が聞こえてきて、思わず苦笑した。
「贅肉(あまりじし) なき肉置(ししおき)の たおやかに み面もみ腰も ただうつつなし」(吉野秀雄)と、「諸々の み佛の中の 伎芸天 何のえにしぞ われを見たまふ」(川田 順)と、この仏像を描写している歌碑が2碑がある。
光なくしては影がない。また、影がない世界では光も見えない。仏とは光であり、闇を照らす光・・・・あまねく空間を照らす光であることを、私は感じた・・・・。

このころから、雨足が強くなったが、西大寺駅からシャトルバスで1300年祭会場の平城宮跡へ向かう。大きな朱雀門が目に飛び込んできて会場に着く。広大な会場も降りしきる雨に観光客もお土産店や物産店にかたまっていた。この会場は水はけが悪いらしく水浸しになっていた。身体も雨に濡れ冷たさを感じ始めたので、本日の行動はここで終了することにした。
遷都というと、この平城京と平安京を思い浮かべるが、ところがこの近辺では7世紀半ばから8世紀にかける150年の間に、実に13回の遷都が行われている。単純平均すると、10年少々で遷都を繰り返したことになる。
なぜ頻繁に遷都を繰り返すのか・・・・それは、我が国古来からの神道の特徴であり、自然を畏敬し、人間もその一部であるとするからではないだろうか・・・・。
仏教やキリスト教、イスラム教のように論理的に構築された宗教世界観を持ち合わせないため、神道はつかみ所がない。しかし、「自然」を、そもそも自然の一部である人間が掌握し、完全にコントロールできるなどとは考えないところが日本人の感覚の奥にあるのではないだろうか。「自然は開拓する対象」とする発想がある一方で、自然を人為的にいじることに漠然とした恐れを抱くのが日本人の心性ではないだろうか・・・・。
それゆえ「権力者、皇族など力を持つ者が不遇の死に際して抱く怨念が生きた人間に祟りをなす。」と、当時の人間は感じたという。菅原道真の祟りとそれに端を発した天神信仰が怨霊信仰の始まりらしく、祟りをなす怨霊には、これを手厚く祀り、霊が喜ぶようにあがめると祟りは静まる。それでだめなら怨霊の居場所から人間の方が逃げるしかない。また、「血」や「死」を「穢れ」とする感覚も現代にも受け継がれる根強いもので、「穢れ」は、禊(みそぎ)や祓(はらい)によってしかぬぐうことはできない。それでもまだ「穢れ」を感じれば、これもまた、居場所を変えるしかないと考えたのだろう。

さて、一夜明け疲れた身体もようやく回復した。昨夜は3人共少量の酒でグゥーだった。この日は雨は上がり、ラッキーとばかり早速、法隆寺と中宮寺にバスで向かう。電車だと奈良駅から近いのだが、しかし路線バスも捨て難い味がある。昨日行った薬師寺の前を通り田園風景の中を1時間ほどで〝斑鳩の里〟に着く。ここは風致地区で、まるで天平の時代にタイムスリップしたかのようであった。グレーと白と黒そして緑と、少ない色調のこの里は気品があり、畏敬の念さえ覚える。ここには、千数百年前から変わらない斑鳩があった。風情ある路地をひたすら歩き、中宮寺に着く。
中宮寺は、法隆寺夢殿のすぐ隣にあり、聖徳太子が母の為に建立したとされる日本最古の尼寺である。明治初期までは、斑鳩御所とも呼ばれ皇室とは縁が深く、皇室方の参拝も多い。現在も、門跡尼が住職を務めている。
この寺は、なんと言っても、あの有名な半跏趺座の弥勒菩薩がある。これが一番のお目当てであった。
この菩薩の微笑みをアルカイック・スマイルというが、スフィンクス、モナリザと並んで世界三大微笑像と言われている。三島由紀夫は 『天人五蓑』の中で、「微笑とは、決して人間を容認しないという最後のしるし、弓なりの唇が放つ見えない吹矢だ」と言ったが、確かに全てに永遠の生命を願う煩悩多き人間に突き刺さる謎の吹矢かもしれない。
見飽きない美しさである。なお、現在の新本堂は高松宮妃殿下の発願により、昭和43年5月に再建されたものである。コンクリート建だが、藤原時代の寝殿伽藍の形式で屋根は銅板葺きである。扉などいたるところに、皇室ゆかりのお寺であることを誇るがごとく菊の御紋が入っている。弥勒菩薩半跏像は、この中に居られる。
実は、私は拝観券を買う事務所に貼ってあったこの弥勒菩薩の写真を見たときから涙が溢れてきた・・・・なんと言う美しさだろう・・・・すべらかな体つきにその微笑み・・・・元は彩色してあったと言うこの像は、今は漆黒のお姿である。
小柄な細身の女性とほぼ等身大のこの像は、頭に二つのぼんぼりを載せて可愛らしくもあり、飛鳥・白鳳彫刻の爛熟期の傑作と呼ぶに相応しいものである。私は以前、この菩薩像は正面からみると女性であり、後ろから見ると少年風であると聞いたことがある。美術館で見るならば横や後ろからも見えるのだが、本堂では前からしか見ることが出来ない。ある時、何かの本でこれが聖徳太子と同寸の像と知り、私は初めてこのモデルが聖徳太子であることを知った。また夢殿の救世観音像も彼がモデルだということである。こうもあがめられる聖徳太子とはどんな人物だったのだろうか・・・・。
中宮寺の入り口には、菴羅樹(アンラジュ)という木が植えられている。花はたくさん付くが実になるのは少ないらしい。この木は、「魚の子は多けれども魚となるは少なく、菴羅樹の花は咲けども実となるは少なし、人も又此の如し」と、日蓮聖人の言葉に出てくることで知られている。
中宮寺と法隆寺は繋がっている。名残尽きない中宮時から法隆寺へと向かう道でも私の頬に伝う涙は止まらなかった。それは、あの弥勒菩薩さまと一緒の世界に息子がいるのなら・・・・と、妙な安堵感と、悲しくも満足した納得の涙だった・・・・。

法隆寺は修学旅行の生徒が多かった。広大な寺で、歩く距離も半端ではない。娘が靴擦れを起こして痛がるので、拝観は早々に切り上げた。教科書で見た国宝級の仏像がたくさんあったのだが、弥勒菩薩を見てきた私には、百済観音像さえ色褪せて見えた。百済観音はスラリとした細身で、仏像としては珍しい八頭身(いや、それ以上かな?)で、「ルーブル美術館」にお出ましのときは、「東洋のヴィーナス」と絶賛されたそうだ。推古天皇が所持したという 『玉虫の厨子』は、思っていたより大きなもので、かなり退色しており、教科書などで見た写真のイメージとは大きく違っていた。
帰りは電車だったので、奈良駅まではすぐに戻れた。この頃から太陽が顔を出し、照りつけるような陽射しの夏日となった。となると生ビールがちらちらとする。奈良駅の近くの店で、3人で乾杯!・・・・この生ビールの何と美味しかったことか!。

そして東大寺に向かう。タクシーだったので、二月堂まで登ってもらった。ここは、大晦日の「行く年来る年」や「お水取り」で有名だ。規模は小さいが清水寺と同じ舞台建築で奈良市内が一望できる。しばらくの間ここでゆっくりと過ぎ行く時間を堪能した。木製のベンチのとなりに座った年配の男性が、「ここへ来ると、日本だなぁーと感じる。そして、ああ、日本人で良かったと思う・・・・」と、独り言のように言っていたのが印象的だった。
東大寺は、『大仏殿の前に立つと、その壮大なスケ-ルに対して畏敬の念に打たれる。この寺を建てた八世紀の日本人のこころ、あるいは野心というか、肝っ玉のようなものを痛感せざるを得ない。』と、作家五木寛之氏の言葉がすべてを語る。

帰りの時間までのひととき、奈良公園のベンチに座った。緑の絨毯の上に鹿が三々五々いた・・・・浄土の風景かもしれなかった。心地良い疲れを感じながら数々の仏像の面差しを思い浮かべ、時空を超えて続いてきた時間の重み、そしてそれを守り続けた人々の厚い想いを感じた。そして、人間の寿命とは別の意味で、大きな歴史の寿命に触れたという実感に心を揺さぶられたのだった。
今回の娘たちとの楽しい二日間、しかし、今向き合っているものは、すべていつか別れなければならない。だから、そこから今を惜しむ気持ちが生まれ、惜しむ気持ちから悲しむ気持ちが生まれ、悲しむ気持ちから、いとおしむ気持ちが生まれ、そこから万物への愛が生まれて行く・・・・そこに菩薩様たちのお顔が重なった。

# by pubfujiya | 2010-06-18 20:00 | エッセイ

辞 任

鳩山首相は6月2日午前、国会内で開かれた民主党の緊急両院議員総会で、「私自身、この職を退かせていただく」と、退陣を表明した。また、鳩山首相は自身と同様に「政治とカネ」の問題を抱える小沢一郎幹事長に辞任を求め、了承されたことを明らかにし、ツートップの辞任となった。昨年9月に内閣が発足してわずか260日、歴代3位の短期内閣となった。
3日、だだちに後任の代表選に、管直人副総理・財務省と樽床伸二衆院環境委員長が立候補し、4日午後に管直人氏が選出され、そして同日衆参両院で首相指名を受けた。ただちに組閣に移り、7日には新首相の所信表明演説を行いたい考えらしい。このようなあわただしいスピードで行われた新首相の選出に疑問を持った人も多いだろう。
前途多難な問題を抱える新首相誕生だ。しかし、橋本龍太郎氏以降8人連続で政治家一族出身者が首相の座に就いたが、始めての2世でもお金持ちでもないサラリーマン家庭に育った叩き上げの首相である。市民活動の第一人者市川房枝の選挙運動を手伝ったことがきっかけで政界入りを志したが3度の落選も経験している。息子が出来が悪いというのも身近な庶民感覚だ。その辺のところに、国民には親しみと期待が持てるのか民主党の支持率は一挙に10%も上がった。この回復には「政治と金」の二人の辞任もあるのだろうが29%に回復し、自民19%を上回った。彼は民由(民主党と自由党)合併以来、小沢氏寄りと思われている。クリーンな民主党にするためにどれだけ小沢氏と距離を置くか・・・・私たちは、彼の組閣人事を注目すべきだろう。

首相は5月31日と1日の2回にわたって行われた小沢氏との会談について、「『政治とカネ』に決別する民主党を取り戻したい。私も退きます、幹事長も職を退いてもらいたい。そのことによって、より新しい、クリーンな民主党をつくりあげることができる』と申し上げた」と語った。首相によると、小沢氏は「わかった」と応じたそうだ。さらに、首相は北海道教職員組合(北教組)幹部らの公選法違反事件を抱える小林千代美衆院議員に対しても議員辞任を求めた。
辞任理由について、米軍普天間飛行場移設問題と「政治とカネ」の問題を挙げた。そのうえで「政権・与党のしっかりした仕事が国民の心に映っていない。国民が徐々に聞く耳を持たなくなった。私の不徳の致すところだ」と説明した。
彼を退陣に追い込んだのは、結果責任から目をそらし続けた「甘え」と選挙に勝てば何でもできるという民主党の「幻想」であった。それが、国民の目にもはっきりとしたのは普天間飛行場の移設問題と「政治と金」への対応であった。
社民党の連立離脱を招いた普天間問題で、彼が「県外移設」と「5月末決着」を名言したことを、野田佳彦財務副大臣は サッカーになぞらえこう表現し嘆いた・・・・「日本対イングランドのように、二つのオウンゴールが響いている」 と・・・・。

一夜明けて、昨日まで死にそうな顔だった鳩山さんが、明るい色のスーツ姿でサバサバと晴れやかな表情でインタビューに応じている姿を見て複雑な思いに駆られた。さんざんこき下ろした私だが、「お疲れ様でした」の一言ぐらいは言ってあげたい。簡易投稿サイト〝ツイッター〟には、「これからは総理の立場を離れ、人間としてつぶやきたい」と、早くも心は辞任後に飛んでいる様子がつづられている。そんな吹っ切れた様子の彼も、幸夫人の〝説得〟には手こずったらしい。慰労に訪れた中井国家公安委員長が 「奥さんもホッとされているだろう」と声をかけると、彼は「理解してもらうのが大変だった」と答えたそうだ。奥様は派手なことがお好きな方だから、晴れの舞台であるサミットを目前にしてファースト・レディの座への未練が人一倍あったのかもしれない。

こうなってしまった以上、鳩山政権のあれこれを語るのも、今更野暮だが、最後の最後で鳩山さんが小沢さんに対して首相の指導力を発揮したのは・・・・彼の美意識だったのかなぁ・・・・。しかし、「小沢一郎にも辞任を求めた」とか、「小沢一郎道連れ辞任」とか、メディアはこぞって書いており、鳩山首相もそこを強調する言い方をしているが、よく考えてみるとそれは奇妙なことである。代表が辞任したら執行部は総辞職なのである。代表が辞任したのに幹事長が辞任しないなどあり得ない。首相は辞任したのに官房長官は辞任しないと言っているのと同じである。鳩山首相と小沢氏が、参院選をにらみ、それを民主党の宣伝と演出のために強調しているのは明らかである。さらに「国民が徐々に聞く耳を持たなくなった」ということを何度か口にしたが、そうさせたのはいったい誰か・・・・ということが分かっておらず、言葉こそ丁寧だが、最後まで辞任に至ったのはあたかも国民のせいかのように責任転嫁させている。
そして、鳩山氏は「首相たる者、その影響力をその後、行使し過ぎてはいけないと思っている。次の衆院選は出馬しない。」と述べ事実上引退を表明した。しかし、鳩山氏は総理を辞任すればただの民主党議員になるが、小沢氏は幹事長を辞任したところで党の中では150人の小沢派を率いて絶大な権力を持つことには変わりは無い。それどころか、幹事長は会見などを行い国民へ党の姿勢を明確にする義務があるが、幹事長を退いて後はそれは無くなり、影の将軍となるのは目に見えている。
このツートップの辞任は、潔さを演じて夏の参院選を有利に導くためのものに他ならない。私はこの鳩山内閣は国民のためとは口ばかりで、常に選挙を意識した内閣であったと断言できる。

本当に鳩山氏は人柄は良い人なのだろうと思う。しかし、この退陣は首相は良い人だけでは務まらない、ということを示した例だろう。誠実すぎたお金持ち、というだけで、なかなか一国を率いるだけの力量は持ち得なかったのである。
きっと、自身の母親からの高額子供手当て問題やら普天間問題やら、すべての問題において首相はその場その場では誠実に対応しようとはしたのだろう。彼の中に、打算はあまりなく、かなり本気で、自身の理想を周辺からの「アドバイス」とミックスしてしまったのだろう。それが毎回、状況の変化と共に内容が揺れるものだから、自分でも分からなくなり、もちろん国民の「???」は、怒りに変ったのである。
また、本来ならば鳩山政権を任期一杯最後まで支えなければならない人々が、結構早い段階で鳩山首相を見限る言動を繰り返したのが印象的だった。そして、普天間問題では一緒に汗を流してくれるべき管氏は何の発言すらなかった。今思えばこの普天間移設問題はガチガチに固まったものであり、政権が代わろうと首相が代わろうと鳩山首相が当初言ったような解決策など絶対に無く、次期首相の座を狙う者としてはノーコメントを貫く必要があったのだろう。
いずれにせよ、民主党は成り立ち的にも資金背景的にも鳩山家がオーナーのようなものであり、経緯から考えて民主党が政権交代するならば神輿に乗るのは鳩山氏以外にはなかったのだろう。しかし、鳩山首相の支持が失われ始めると、首相のブレーンを自称していた人々が遠巻きになり始め、官邸自体が政策調整やパワーから遠ざかり、むしろ小沢さんと民主党本部が権力の源泉となり、二重構造が誰の目にも明らかになり始めた。小沢さんは側近政治を推進したため、情報から隔離された孤独な首相が不規則な発言を増やす原因となっていったのではないだろうか・・・・。
どうであれ、サミットも控えたところでの辞任表明は鳩山首相にとって断腸の思いだっただろう。しかし、この時期しかあり得なかったということでもある。一方で、このような状況になったことでネット選挙も含めいろんな日本をより良くするための法案も微妙なところになった。支持率がここまで下がって首相の座に座り続けたことへの批判もある一方で、一年ごとに首相が変わり国民の期待が失われつつあると共に、諸外国から我が国への信認が失われ、重要政策の実行が不可能になるということは深刻な事態である。ちなみにここ21年間で15人の首相が代わっている。

鳩山首相は、政治家にならず、聖職者や祈祷師だったら良かったのかもしれない・・・・「普天間飛行場を最低でも県外に移して沖縄の人々の負担を和らげ、移設先の人々も快く受け入れ、アメリカも満足し、さらに日米の絆はゆるぎもしない・・・・」 それは理想的な願いにすぎず、政治の場ではこれはもう祈りにしか聞こえない。祈りを聞いた人々は感動して期待をしてしまった・・・・祈りやまじないの政治は罪が重い。
退陣表明の前日、進退ををめぐる民主党幹部との会談を終えた首相は、記者からの問いかけに親指を立てて見せた。憶測を生んだこのしぐさは、「辞意を悟られぬよう、元気を印象づける演技だった」 とか・・・・最後の最後まで「危機感の足りない」 首相だった。母親からは高額な小遣いを貰い、親分格の小沢氏に牛耳られ、親という字と縁の切れなかった人でもあった。

# by pubfujiya | 2010-06-04 16:20 | エッセイ

非常事態

宮崎県で発生した家畜の口蹄疫問題は18日、感染蔓延地域の家畜が事実上、全頭殺処分されるという事態に発展した。18日、宮崎県は非常事態宣言を発し、会見した東国原英夫知事は、「このままでは県の畜産が壊滅する」と宣言では危機感を鮮明に出した。会見で東国原知事は、殺処分かワクチン接種かなど今後の防疫体制について「検討します」との言葉を繰り返した。しかし記者から、知事の判断ではないかと問われると、徐々にヒートアップ。最後には「我々は一生懸命やっているんです。毎日寝ずに!」と怒鳴り、机をがんと叩いて「以上です」と会見を打ち切ろうとした。 制止する報道陣に対し、「けんか売ってるのはそっちだ」と声を張り上げたが、職員らに促されて再び、会見の席に着いた。さすがに、連日の拡大防止などへの対応に疲労困憊の様子でいらいらを隠し切れなかったようだ。国の支援策などについて聞かれると、ようやく落ち着きをみせ、最後には「速やかに一歩踏み込んだ対策を出したい」と話した。

口蹄疫とは、直径約24ナノメートルの球形をしたウイルスによって引き起こされる牛・豚・山羊等の偶蹄類動物の急性伝染病。その感染力は、空気感染・飛沫感染を可能とするほど強力で、ひとたび流行すると風に乗って、広範囲に広がってしまう。
普通、家畜は密集状態で飼育されているから、1匹でも感染すると、周りの家畜にもあっという間に感染して全滅してしまい、子牛の場合は99%の確率で死亡すると言われている。
感染した家畜は、発熱、元気消失、多量のよだれなどがみられ、舌や口中、蹄の付け根などの皮膚の軟らかい部位に水疱が形成され、時に破裂して傷口となる。感染した家畜はその痛みの為に、餌を食べることができなくなって、どんどん衰弱していき、肉質が落ちたり、乳を出さなくなったりする。だから、口蹄疫が一度発生すると、畜産農家は大赤字になり、廃業に追い込まれるケースも出てくるという。

農水省は18日、新富町の農家など県内計15カ所で新たに感染の疑いがある牛と豚が確認されたと発表した。これまでに発生は1市3町となり、半径10キロ圏内の殺処分対象の牛や豚などは計約20万5000頭に以上になるらしい。赤松農水相は19日、計約20万5千頭の牛と豚にワクチンを打ったうえで殺処分にすることを柱とする新たな対策を正式に発表した。
殺処分の現場が壮絶なありさまであろうことは想像に難くない。また、感染拡大阻止のためとはいえ、家畜をこのような事態で失った畜産農家が気の毒でならない。
金銭的な損失だけではないだろう・・・・手塩にかけて育てた牛豚が処分され、がらんとした畜舎と同様に、心に生じた大きな空虚が消え去るには長い時間がかかるはずだ。
殺処分をする担当者もやり切れない思いで、「いくら仕事といわれてもつらい・・・・自分の身を切られる思いです」。」と、職員たちは言う。現場で殺処分や防疫作業に従事している人たちの疲労も限界に達しつつあるいうことだ。
作業を終えて川南町役場戻った県の職員は「きょうは300頭ぐらい殺した」と語った。この職員によると、殺処分は牛や豚の首にロープをかけて押さえ込んだ上で、獣医が首筋に静脈注射を打つ。約800キロの牛も1分間もすれば倒れ込むという。その際、糞尿も垂れ流し死んでゆく姿は、さながら生き地獄絵図だという。

被害の大半が殺処分の対象になっている川南町は、畜産農場へ続く道が封鎖されているだけでなく、幹線道路でも検問所が設けられ、通行する車は消毒液の散布を受けなければならない。また石灰が大量にまかれているため、のどがいがらっぽくなるそうだ。 「不要不急の外出は避けるように」との非常事態宣言が出た18日夕の地元商店街は人影がまばらでまるで「ゴーストタウン」のような静けさだという。
約1千頭の豚を飼育している養豚家の50代女性は、「子豚たちがどんどん死んでいく。鳴く声を聞いてられない。どうなるのだろうか・・・・」とテレビの画面の中でうろたえていた。そして殺処分の日程が決まらないため、「ウイルスを培養しているようなものだ」と嘆いていた。
ワクチンの投与が今問題になっている。このワクチンは、ウイルスの勢いを弱めて感染拡大を防ぐのが狙いだが、しかし、家畜に抗体ができてしまい食肉には向かなくなる。つまり、接種した家畜は殺処分が前提であり、処分した家畜を埋める土地が決まるまでの対策である。
川南町のある畜産農家の人は、「報道陣もぜひ現場にカメラを入れて、この現状を報道していただきたい。我が家では、日に日に口蹄疫の症状をだす豚が増えてきてます。足の蹄の付け根から血を流し、痛さに鳴く母豚、蹄が根本からただれ落ちて生爪状態になって痛くて立てない肥育豚、鼻の周りには水泡だらけになり、それが潰れて血が流れながらも、空腹にたえられず餌を体を震わせながら食べる様、また生まれたばかりの子豚が突然死していく様をみるのは正直辛いです。口蹄疫が発症してからというもの、父は今まで抑えていた餌の量を以前の量に戻して、「殺処分されるのは分かってる、でも最後までおいしい餌をおなか一杯食べさせてあげたい」とやはり悲しげな顔で餌をやり続けています。私は、薬事法も防疫に関しても専門的な知識も教育も受けていません。ですがこのままでは確実に口蹄疫は川南をこえ宮崎全土にそして他県に広がるのでははいでしょうか?政府は何をしているのでしょうか?」と言っていた。

殺処分された家畜は焼かれることなく地中深くに埋められる。「死臭と糞にまみれて作業は行われています。深さ5メートルほど掘って、そこに死体を機械で投入、消石灰と混ぜながら埋めます。土は平らに均(な)らすんですが、翌日には腐敗死体からガスが発生して溶岩が吹き出るかのような穴が出来ます。実はもう埋める場所が無くなってきています。」と関係者は言う。
殺処分を行っているある獣医は 「本当は牛や豚を助ける仕事なのに・・・・。殺処分を終え、畜舎が空っぽになった農家から『ありがとうございました』と言われるのが一番辛い・・・・大切な財産を奪っているのに・・・・」と、肩を震わせ目頭を押さえたそうだ。(100頭位、赤松農水相と鳩山首相にやらせてみたらどうだろう)
辛いのは獣医師ばかりでは無い。県によると県と、川南町の現地対策本部では現在、他県からの応援を含めて計1500人が連日の作業に追われているそうだ。暑い季節に向かう宮崎のこと、風を通さない防護服での埋却作業は体力を奪う・・・・消毒液で肌を傷める職員や牛に蹴られてケガをする職員も続出だという。ある県幹部は「現場は極限に疲弊しきっている」と言っている。
現場は壮絶らしい。殺処分される家畜の悲痛な鳴き声、すえた臭い、生産者や防疫作業員の疲弊と落胆・絶望・焦燥、一面の消毒剤、重機やダンプの喧騒、自衛隊車両の物々しさ・・・また殺処分した家畜の埋葬場所が不足し、また宮崎の暑さで死体の腐敗がひどく、現地ではパニック状態・疲労困憊している状態なようだ。この災難を乗り越えたとしても、関係した人々の心に後遺症が残るのではないだろうか・・・・。

今回のことで、宮崎県は日本一の畜産県であること、ブランド牛である松坂牛や近江牛や佐賀牛などの半分は、宮崎県で生まれた子牛を肥育させたものであることを知って、私はちょっとびっくり! だとすると宮崎一県の問題では済まされない。今後牛肉の値段も上がかもしれない・・・・しかし、まぁそんな高級牛肉は食べないから関係ないかぁ・・・・。
全国の畜産農家にとって最も痛手だったのが、22万頭の子牛を生み出した種牛「安平(やすひら)」を失ったことである。すでに現役を引退していたが、過去に冷凍精液が盗まれる事件も起きたほどだ。静かに余生を過ごしていて、先月12日の21歳の誕生日には関係者がケーキまで用意して祝うほど愛されていた。安平を約1年間飼育していた宮崎市佐土原町の畜産農家、永野正純さん(61)は「あんな牛に巡り合えたのは幸せだった」 殺処分については「自分の子供と同じですから、察してください・・・・」と、声を詰まらせた。
5月15日には、宮崎県家畜改良事業団で飼育されている「宮崎牛」の種雄牛でも感染を確認され、同事業団で飼育している種雄牛49頭が殺処分の対象になった。事業団から特例的に避難させた優秀な6頭の種雄牛も検査を受けることに・・・・口蹄疫だとすれば、「宮崎牛」ブランドが存亡の瀬戸際に立たされる。

被害が爆発的に拡大したこの非常事態に、国の対応は果たして万全であったのだろうか・・・・?
そしてまた、最終的にこの人が登場することになる。鳩山首相は19日朝、家畜伝染病の口蹄疫への対応が後手に回ったとの批判がある赤松広隆農水相の責任問題について、「どこに責任があるかという話以前の問題として、まず感染拡大を食い止めて、国民、特に九州の農家に安心を取り戻すことに万全を期す」と述べ、明確な言及を避けたのである。
最初の疑い例が確認されたとき、農林水産省は事態を楽観していたらしい。赤松農相が「自分が行くと騒ぎが大きくなる。感染はほぼ1か所に抑え込めている」と現地入りを見送り、中南米に外遊に出発したこともそれを裏付けている。「私のやってきたことに反省するところはない」 18日の記者会見でそう語った。
10年前の2000年に同じく宮崎で口蹄疫が発生したときには、3月25日の発生から政府の迅速な対応によって、6月9日に終息し、殺処分は740頭で収まった。今回の口蹄疫は、既に殺処分が10万頭近くに上り、全く止む気配がない。
政府は初動対策に力を注ぐべきであった。こんなお粗末な対応しかできないで、地方主権なんてどういうことだろうか・・・・地方でどうにもならない時こそ、国が対応すべきなのに、それが出来なければ、一体、誰が対応するのか・・・・。
政治主導を掲げるのであれば、政治家は、年中無休、24時間即応態勢でいなければならない筈である。それなのに、赤松農水大臣は必要な措置を指示した形跡もなく、ほったらかしで外遊に行ってしまった。政府によれば、初動対応の遅れは、県の責任であるなど言ったそうだから、これは、もはや、友愛さまや剛腕さまを辞めさせて解決するような問題ではなく、民主党全体の問題だと捉えるべきなのだろう。これは、国家を預かる意識の問題であり、野党慣れした民主党にはそれがない。政権与党となってまだ半年だから・・・・などという同情の声もあるが、国政という人の命に関ることに、お試し期間なんてある訳がない。政府与党にはそれだけの責任がある。
国家運営にも人生にも、危険はついて回る。危険の芽生えを見つけたときに、最悪の事態をも想定して対処することこそが危機管理の要だろう。殺処分される家畜20万5000頭余の命があり、畜産農家には命に繋がる生活をがある。
鳩山首相は、数ヶ月前に「命を守りたい!」と声を枯らして叫んだはずである・・・・超軽い発言や言葉にはもう慣れっこになってしまった私だが、日々失われてゆく命を見聞きするにつけ憤りを感じずにはいられない。

先月の朝日新聞の朝日歌壇にあった短歌 「ふり向く牛 ふり向かぬ牛 どちらをも 送りて友は しばし動かず」・・・・丹精込めて育てた牛を市場へ送り出す光景なのだろう・・・・。
畜産農家の家畜への愛情と丹精、そして落胆を思えば、対策の遅滞はもう決して許されない。

# by pubfujiya | 2010-05-21 17:14 | エッセイ

鳩ぽっぽ

鳩山由紀夫首相は、ひょっとして、精神を病んでいるのではないか・・・・こんな気さえしてくる普天間飛行場移設問題に関する首相発言の変遷は、それほど異常である。連日の新聞やメディアの報道でうんざりなので書くのは止そうと思っていたのだが、最近怒りさえ覚えるくらいの酷さなので筆をとることにした。しかし、発言がコロコと変わりこれを書き上げるまでに何度か手直しが必要だった・・・・早くUPしないと又、変わってしまいそうなので急がないといけない。

鳩山首相は、米軍普天間飛行場移設問題をめぐり、記者団に「対応が場当たり的ではないか」と聞かれ、次のように強調した。「場当たりな発言は一切しておりません。公約というのは、党の公約。私はしかし、最低でも県外と言ったのは自分自身の発言、自分自身が総理になった以上、その自分の言葉を実現したいと思って、今日まで政権の中で努力をしてきたということです。(中略)自分の発言というものを申し上げた以上、それに対して、政権に就いたこの中で努力をしたいと、今日までその思いで行動してきたということでありますから、何も場当たり的に申し上げているつもりはありません。」
4日沖縄では、「あの、私は海兵隊というものの存在が果たして直接的な抑止力にどこまでなっているのかということに関して、その当時、海兵隊の存在というもの、そのものを取り上げれば、必ずしも抑止力として沖縄に存在しなければならない理由にはならないと思っていました。ただ、このことを学べば学ぶにつけて、やはりパッケージとして、すなわち、海兵隊のみならず、沖縄に存在している米軍の存在全体の中での海兵隊の役割というものを考えたときに、それがすべて連携をしていると。その中での抑止力というものが維持できるんだという思いに至ったところでございます。それを浅かったといわれれば、あるいはその通りかもしれませんが、海兵隊に対する存在のトータルとしての連携の中での重要性というものを考えたときにすべてを外に、県外、あるいは国外に見いだすという結論には私の心の中にならなかったということであります」と言った。

これは、世が世なれば一国の指導者にふさわしい、見事なまでの強弁かもしれない。このような苦境に置かれ、なおかつ国民のこれほど冷たい視線にさらされながら 「ボク悪くないもん!」と堂々と言い張る度胸は大きな器ゆえなのだろうか・・・・私たちは今、まさに一生のうちにそう何度も遭遇することのない希有な大物かそれとも稀代の馬鹿者を見ているのかもしれない。
鳩山氏に敬意(?)を表して、5日付の新聞各紙の普天間問題に関する解説記事と社説から、鳩山氏を表現したキーワードを順不同で拾ってみた。やはり、各紙の記者・論説委員とも、熱い思い(?)を吐露していた。
①『場当たり』・・・・「十分な根回しもなく、場当たり的発言を連発し、『国外・県外移設』に期待を寄せてきた沖縄の地元住民をあきれさせた」(読売)
②『ブラックジョーク』・・・・「沖縄海兵隊が『抑止力』とは思わなかった、というのは一国の首相としてブラックジョークにもならない」(日経)
③『迷走』・・・・「高い政治目標を掲げて迷走した挙げ句、結局は断念に追い込まれるお決まりのパターンが極まった」(東京)、「首をかしげざるをえない発言の数々は、この間の迷走劇を端的に物語った」(日経)、「普天間をめぐる8カ月の迷走を招いたのは、この問題を軽く扱った首相の認識の甘さだ」(同)、「ここに至る政府の迷走ぶりは目を覆うばかりだ」(読売)
④『自業自得』・・・・「内閣支持率が20%台に急落したのは、それこそ自業自得だ」(産経)
⑤『体面』・『メンツ』・・・・「米軍普天間基地の一部移転は、防衛省内で『現行案修正なら不要』と結論付けられており、『県外』にこだわる首相の体面を保つ意味合いが大きい」(毎日)、「単に自らのメンツを守るため、現行計画の修正を図っているとしか見えない」(読売)
⑥『稚拙』・『拙劣』・・・・「今回の事態は、鳩山政権の『政治主導の試み』の稚拙さを浮き彫りにした」(毎日)、「首相は、思慮の浅さと政治手腕の拙劣さを猛省すべきである」(東京)
⑦『八方美人』・・・・「八方美人的な姿勢は、現行計画の履行を求める米国との関係を、首脳会談も行えないまでに悪化させた」(東京)
⑧『裏切り』・『欺き』・・・・「沖縄県民の県外移設への期待をあおった末に裏切る結果にもなった」(東京)、「公約は浅慮からだというのか。結果的に国外・県外移設は選挙目当ての甘言だった。国民を欺いた首相の政治責任は極めて重い」(同)
⑨『言い訳』・・・・「公約違反との批判に対しては『公約は選挙の時の党の考え方だ。党としての発言ではなく、私自身の代表としての発言ということだ』と強弁した。そんな言い訳が通るとでも思っているのだろうか」(東京)
⑩『不信』・『信用性』・・・・「深刻なのは、各方面から政権そのものに『不信』の2文字を突きつけられていることだ」(産経)、「住民との対話集会や首相を迎える沿道では怒声も飛んだ。首相への県民の不信はますます深まっている」(毎日)、「首相の安全保障上の認識不足までさらけ出す結果に終わり、政権の安保政策の信用性を疑わせる結果になった」(読売)
首相の「軽い発言」と「真っ赤な嘘」の繰り返しがこの迷走の実態である。何度見聞きしても、私は首相の性格に馴染めない。とりわけ、国民と同盟国に向かって嘘をついているという些かの自責の念も感じさせないあのキョトンとした表情を正視するのは耐え難い。

この人は大臣の経験の無い初めての総理である。大臣としての言葉の重みを学習しないままある時お金の力でポンと総理に据えられてしまった。彼は、愚直なまでに正直で善良なのかも知れない・・・・だから、「海兵隊の抑止力を知らなかった」とか「党と自分の発言は別」などと言ってしまうのだろう。誰かに苦情を言われればすぐに同情してしまい、圧力にはすぐさま屈して同意してしまうという優しい(?)性格は間違いないのかもしれない。しかし、それは、政治家には全く向いていない。彼は学者だったら良かったのかもしれない。「愛」だとか「命」だとか雲を掴むような言葉の羅列で事が運ぶほど政治は甘くは無い。

首相は沖縄県内で、移設先として同県での「県内移設」と鹿児島県・徳之島を検討していると表明した。予想通りとはいえ首相の沖縄訪問は、何の成果も上げられず、徳之島3町長との会談も厳しい島民の反対で拒否され物別れに終わった。
しかし、「反対」ばかりの声が報道される中で、私は「賛成」する人もいるのではないかということに興味を持った。辺野古案が再び持ち上がる中で、地元の声に注意深く耳を傾けると、意外なことがわかってくる。普天間飛行場の移設が、辺野古沿岸部にV字型滑走路を作って行われるのであれば、つまり、現行案どおりに行われるのであれば、辺野古の人々は必ずしも反対しないということだ。辺野古区長の大城康昌氏によると 「なぜ、普天間飛行場が辺野古に移設されるようになったか、その経緯を思い出してほしい」と、次のように語っている。
「自民党政権のとき、政府がどうしても辺野古に飛行場をもってくるというので、われわれは苦渋の選択として受け入れたのです。受け入れに当たっては相互に協議して条件を整えました。騒音は基準値以下、安全対策も、受け入れ地域への経済振興策も住民への経済的補償も含めて話し合い、13年もかけて、話し合いから合意へ、そして実現へと事態を進めてきた。それを、政権交代だといって鳩山首相は地元になんらの説明もなしに政府約束を無視し、新案として辺野古の陸上案やホワイトビーチ案まで出してきた。とんでもない話です」 さらに「意外な」発言は続く・・・・「辺野古沿岸部にV字型滑走路を作るという現行案は政府と我々の合意事項です。辺野古の我々はいまもこの現行案は生きていると考えています。政府も正式には否定していないはずです。鳩山首相が地元の意見に耳を傾けるというのなら、地元の中の地元の我々の声に、なぜ、耳を貸さないのでしょうか」と・・・・。
名護市議会議員で自民党系会派「新風21」に属する人物も、匿名で語った・・・・「そのとおりです。久辺3区の住民の殆どが現行案は生きているという認識で、同案を容認しています。地元の新聞もほとんどの大手メディアも報じませんが、3区の区長さんらはそのことを頻りに仰っています」
国民新党国対委員長で沖縄1区選出の下地幹郎氏も、「辺野古の地元で現行案に賛成の声が上がっているのは認識している」と語る。「70~80%が移設を支持」と。
「本当の地元の我々の所には、政府の人たちは意見を聞きに来ません。岡田外相は名護市には来ましたが、西側だけに行って、反対派の人たちばかり集めて意見を聞きました。東側の辺野古には来ない。マスコミが取材に来て、我々の意見を聞いたとしても、報じてはくれません。久辺3区の全世帯の住民が安心して暮らせて、しかも、国防に貢献するにはどうしたらよいか。我々は一応、きちんとした案をまとめていて、政府に提案したいと考えています。しかし、政府は我々に目を向けず、提案には至っていません。メディアは移設反対派の意見ばかりを伝え、真実を伝えてくれません」(辺野古行政委員会副委員長宮城安秀氏)
ここまできて、普天間の移設先を決定する重要な2つの要素、地元と米国の賛同を、辺野古の現行案は満たしているということに気付くはずだ。
米国側は一貫して、現行案の実現にこだわってきた。ホワイトビーチ案もキャンプシュワブ陸上案も拒絶している。つまり、米国側は現行案にこだわり、地元はそれを受け入れると言っているのだ。残るは鳩山政権だけである。空しく現行案を否定し続けて今日に至った真の理由は、単に自民党政権時代の決定には反対するということからだったのではないだろうか・・・・。

『普天間の移設を受け入れる自治体などどこを探しても無い。名護市が受け入れることは奇跡だと思って欲しい』・・・・移設容認派だった前名護市長・島袋吉和さんの言葉を改めて思い出す。「五月決着」を首相が改めて明言し、「米国・沖縄・与党の三つの合意が必要」とも言った・・・・島袋氏の言う奇跡を起こす覚悟らしい。「五月決着」の発言がブレないのはいいが、「3者合意」とは又、自らハードルを上げた。冗舌に首相が語りハードルを上げれば、平野官房長官が「決着」の意味に幅を持たせハードルを下げようと懸命に見えるのが滑稽なほどである。近づく5月末が心配で予防線を張っているのだろう。平野官房長官はワシントン・ポスト紙の鳩山首相酷評に不快感を示したが、なぜ風当たりが強いのかを考えたほうが良さそうだ。

最近、永田町で面白い」替え歌が流行っていて、CDまで出回っているそうだ。面白がるべきか哀しむべきだろうか・・・・。
『ぽっぽっぽ! 鳩ぽっぽ! 金が欲しいか そらやるぞ みんなにばらまけ 子供手当』(童謡〝鳩ぽっぽ〟)
『小沢の一ちゃん 金持ちだ 金蔵建てた 蔵建てた ゼネコン脅してぼろ儲け』(童謡〝コガネムシ〟)
『私は馬っ鹿な由紀夫です お国は 宇宙の金の星 世界不況のやばい時期 金をばら撒き 鳩ぽっぽ 日本の総理になりました』(童謡〝林檎のひとりごと〟)
『あの子はだあれ 誰でしょね ミンミン民主党の 名だけボス 選挙の権利を売り渡す 鳩山由紀夫ちゃんじゃないでしょか』(童謡〝あの子はだあれ〟)
『民主役員 ドンジャラホイ シャンシャン 小沢を守ります 検察叩いて うそぶいて 脳内お祭り 花畑 イエスマンが揃って賑やかに アホばかりよ ドンジャラホイ』(童謡〝森の小人〟)
民主党議員らは激怒しているらしいが、政権への不満が高まれば、為政者を風刺する戯れ歌などが出回るのは世の常。怒る前に歌に登場する総理と党首をセットでどうにかすることを考えた方が良いのでは・・・・。

# by pubfujiya | 2010-05-10 17:38 | エッセイ

怨 念

私は日本経済新聞と読売新聞を購読している。「日経」は経済に興味が無いと面白い新聞ではないかもしれないが、時々「どっきり!」がある。渡辺淳一の「失楽園」や「愛の流刑地」も日経で連載され、朝の通勤男性達が電車の中で人目をちょっと気にしながら読んだものである。最近又、 「私の履歴書」というコラムが話題を呼んでいる。それは、喜寿を越えた女優・有馬稲子さん(78)の4月1日から始まり現在に至っているコラムの内の12回~14回の分である。かねてより文章に定評のある有馬稲子さんが、1回目はまずは女優生活60年の来し方に触れ、続いて生い立ちを書いている。
14才で釜山に住む伯父夫婦に養女として引き取られたが、養父は9才の時に死去し、終戦後に密航漁船で帰国する。大阪の実父母の元に身を寄せたものの、夫婦仲はすでに破綻、温かみのない家庭だった。転校した学校も馴染めない。そんな折、宝塚を受験し、難関を突破する。昭和24年初舞台、同28年に映画界に転身・・・・といった調子で、幼年期から映画界で活躍するまでを活写しているが、4月13日の朝刊を広げて驚いた人は多いだろう。「私の履歴書」に、20代のときの映画監督との不倫、そして堕胎を赤裸々に告白している。不倫にふれたのは「燃え上がる17歳差の恋」と見出しが付いた12回目から「不誠実な監督に落胆」の14回目までの3回。50年以上前の話とはいえ、道ならぬ情事を大女優がプライドをかなぐり捨て明かすのは珍しい。
紙面では匿名になっているが、有馬が東宝に入社した1953年に戯曲「華々しき一族」を原作にした映画「愛人」を監督したことや、15回目に 『監督は2年前に亡くなり、告別式で岸惠子さんが捧げた弔辞は素晴らしいものだったと人から聞いた』とあり、2008年に亡くなった市川崑監督を指しているのは明らかである。

連載12回目の見出しは、「燃え上がる17歳差の恋」・・・・思わせぶりな見出しに、つい引き込まれてしまうが、彼女はこう書いている。「あなたの芝居で人生が変わったと言われた時は、女優でよかったと思う。以下しばらく私の人生を変えた人たちについて書いてみたい」・・・・と。
最初に取り上げた彼女の人生を変えた人は、「森本薫の戯曲『華々しき一族』を原作にした映画監督と初めて出会った。指の美しい人だった。(中略)21才の私の心が騒いだ。」・・・・監督の名前は明かさないが、分かる人には分かるのである。『華々しき一族』を原作にした映画は 『愛人』(東宝昭和28年公開)。監督は2年前に亡くなった市川崑氏である。彼は、『ビルマの竪琴』や『東京オリンピック』で名監督の名をほしいままにし、当時奇才として注目されていた。

「そんなある日、砧の撮影所でバッタリ出会って映画に行かないかと誘われた。(中略)二人で映画に通うようになった。映画だけではない、美術館にも、音楽会にも。監督は時代の先端を行く文化のシャワーを、知識の飢えていた私の心にたっぷり浴びせかけてくれた。一流のものだけが持つ価値を教えてくれた。若い女性にとって新しいことを教えてくれる男性ほど輝かしいものはないが、それは一方的憧れに終わってもいいことだった。」 監督には48年に結婚した妻の脚本家、和田夏十(なっと)さん(故人)がいたが、彼女と監督は時を置かずただならぬ仲になっていた。
人気美人女優と気鋭の監督。「お互いの忙しさが逆に作用して不自由な恋に油を注ぐことになった」・・・・この2人の関係は一部では周知の事実だった。
出会いから1年ほど経った頃、監督は彼女にこんな台詞を吐いたという。「『妻とうまくいっていなくて別居している。きちんとしたら君と結婚したい、春までには・・・・』 ・・・・春の約束は、夏になり、秋を迎え、また春になり7年の月日がたつことになってしまった」

彼女はいつも待つ身だった。「受け身の恋は2カ月は我慢できても3カ月はだめだった。ある日思い切って撮影所に電話した。(中略)」 電話をしないという(携帯が無い時代の不倫はそうだっただろう)禁を破って自分から連絡を取ると、「電話に出た彼が、何の感情も無い声で、『今日、子供が生まれてね。子供さえくれたら別れてやると、ワイフが言うんだよ』。別居していると聞かされていた、それが子どもまでできるなんて・・・・。 雨が降っていた。重い電話ボックスのドアを開けて私は町に転がり出た・・・・」

次に取り上げたのが俳優で夫となる中村錦之助さんだ。14日付のタイトルが「共演10日目で結婚話 監督とは袋小路、ゆれる心」からでも分かる。ここでの錦之助さんは、あくまでも脇役でしかない。監督とのことは未だ語り終わらない。
そのころ、中村錦之助、のちの萬屋錦之介からプロポーズされる。彼女が結婚を決め、それを監督に相談すると、強烈な反応を示した。監督は有馬に 「どうしても結婚するというなら仕方がない。その代わり、3ヶ月に1度でいいから、今までと同じように会うと約束してくれ」と肉体関係に固執したり、「どうしても別れたいなら、今まで君に注いできた愛情の責任を取れ。自分にも考えがある、明日の新聞を見ろ!」と、そう言ってそばのガラスの花瓶を床に叩きつけ割り、脅したりしたという。映画よりも面白いドロドロ模様である。彼女は監督が自殺でもするのではないかと心配したそうだが、だが、それは杞憂だった。友人から家族と一緒にホテルのプールで泳ぐ監督を目撃した、と告げられたのである。
作風同様、ほがらかで人当たりの良かったという監督だが、こと男女の仲では別だったのだろうか・・・・。
有馬さんは連載の14回目の最後でこう述懐する。「のちに監督は生まれたばかりの赤ちゃんを取り巻く大人たちの大騒ぎを描いた映画(「私は2才」)を作った。キネマ句報の1位にまでなったその映画のポスターを見て、私はしばらく立ち尽くした。かつて間違いなく私の体の中にいて、ついに愛情に祝福されることがなかった子供のことを思い出して涙が止まらなくなった。」で終わる。
15日付けでは、「不誠実な監督に落胆 悲しい思い出よみがえり涙」とのタイトルが付けられている。「恋愛でもっとも大切なことは男性の誠実さだということは、時代が変わっても同じなのではないだろうか。」で始まる。
実は彼女がこういう話を暴露するのは、これが初めてではない。十二年前に刊行した自伝『バラと痛恨の日々』ではこんなふうだ・・・・「ほんの二月ほど前、私はJの子供の始末をしたばかりだった。体の変調に気付いたときヽ私は愕然とした。Jは『おろしてよ』と言っただけだった」(同書より)

それにしても、なぜ市川監督は彼女と結婚しなかったのだろうか・・・・映画評論家の自井佳夫氏はこう語る。
「市川さんは独特で強固な美学を持ち、非常に個性的な映像美を生み出した監督でしたが、その美しさと特徴を理解し、その魅力が最も活きる脚本を書いたのが、奥さんの和田さんでした。市川映画は和田さんなくしては成立しない。そう言い切れるほどのコンビだった。奥さんと別れることはできなかったでしょう」と・・・・。

4月16日には、「少し昔の恋を書きすぎたかもしれない。監督は2年前に亡くなり、告別式で岸恵子さんが捧げた弔辞は素晴らしいものだったと人から聞いた。日本映画を代表する名作を数々作り出した監督であることは間違いないことだ。そのことと私に対する限りない不誠実さは、関係ない。私が困っているときに助けてはくれなかった。私を裏切り続けて謝罪のひと言もなかった。」 さらにこう続く・・・・「時がたてば許す気になるかと;思っていたが、今もってそうならないのはなぜだろう。私は頑固すぎるのか。」
書きすぎたかもしれない昔日の恋・・・・有馬さんの心は、50年以上前のそしてすでに亡くなってしまっているかっての恋人を未だ許せないでいる。それは何故だろうか・・・・多分、彼女は今幸せでないのかも知れない。

しかし、よく考えてみると、これが有名女優と気鋭の監督でなければ、このような話は掃いて捨てるほどある。
「年上の上司が若い女性社員と不倫をして、女性が妊娠をすると恐れをなし、堕ろしてくれと哀願し、女性はしぶしぶ堕胎をする。女性は、いつ結婚してくれるのかと待っていると、うまくいっていないと言っていた彼の妻が妊娠して子供を産んだ。彼はたちまち家庭に逃げ込む。しかし、彼女の若い身体にも未練があり彼女に結婚話が持ち上がると大反対をし悪態をつく・・・・」
かっての女性は生理が始まった頃母親に、「子供のできるようなことはしてはいけない」とか、「男とは・・・・」とかさんざん聞かされたものである。妻子のある男性を好きになれば必ずといって誰かに 「妻子のある男は、いくら好きになっても最後は必ず家庭に戻ってゆくものだ」と、言われたものだった。有馬さんもいくら若かったとは言え十分承知していたのではなかったのか・・・・。彼女が50年以上も恨み続けるほどの特別な男女関係ではないような気がする・・・・つまり不倫の定番なのである。
私は彼女に言ってあげたい・・・・「恋愛をいくつか経験した女ならこのくらいの経験がある人は、あなたの周りにも何人か必ずいますよ。お腹の子は、あなたの首に縄をつけて連れて行って堕ろさせたわけでもないはず・・・・これほど怨む男とスッパリ別れて子供を産むという道もあったはず・・・・現にそういう強い生き方をした女性は私の周りにもいます。あなたがもしこの子を産んでいたとしたら、今、このように子供の父親をなじるような文章を書きますか? 自分の子がこの世いなければなにを書いてもいいとでも思っているのですか? あなたは自分の傷ついたことばかり主張していますが、彼の奥さんや彼の子供たちを傷つけたことは分かっていないのではありませんか? 私にも似たような経験があります。しかし、誰も怨んでいません。それよりも私の人生を彩ってくれた男性たちに今では、なつかしささえ覚えています。あなたと同じようにドロドロのこともありました・・・・でも全て今は『恩讐の彼方に』です。何故ならば、私は今一人で生きていますが、とても幸せだからです」・・・・と。
彼女は女優として他人の人生を演じるのは上手かったのかもしれないが、自分の人生を演じきるのは下手だったようである。

彼女自身も書いているように監督は彼女に 「時代の先端を行く文化のシャワーをたっぷり浴びせかけてくれた。一流のものだけが持つ価値を教えてくれた」のである。大船に松竹撮影所があったころ、私は以前松竹のスタッフに聞いたことがある。「有馬稲子と言う女優は、気位が高く知識も豊富で主張することは理路整然で一流の女だよ」と。
そう言われる彼女は、彼との恋愛の中で完成されたのではないだろうか?・・・・だとしたら、彼女は宝をもらったのである。
私にも似たような経験があり、かけがえのない宝をもらった。もっとも私の場合は、恋と呼べるようなものではなかったが、年上の才能ある男性が愛してくれて、「本をたくさん読みなさい。そして日記でもいいから文章を書きなさい」と、教えられて今に至っている。

ある出版社が、改めて有馬さんにどうしてこのような文章を綴ったのかを尋ねると、文書でこういう答が戻ってきたそうだ。
「私としては、いずれこのことは忘れられるのではと思っておりました。今年は忘れられるか、消えてくれるかと思いましたが、消えてくれません。それは単にひとつの、通り過ぎる〝色恋沙汰〟だったからではなく、その後の私の人生を支配し続けたということにあるかと思います。例えば、彼は、私が最初の結婚の相談をした時、反対しています。たとえ彼の思惑は何であれ、『それはよかった。幸せになってくれ』という男気が何故彼にはなかったのでしよう。それは道ならぬ恋をしている大人の、最低限の誠意だと思うのです。又次の回の、実際に結婚が決った時も、『3月に1度でいいから会ってくれ』と、とんでもないことを言っています。これだけは口にするべきではないでしょう。このひどさは今思い出してもカツとなるほど腹立たしいものです。恋をするなら男には覚悟が必要だと思います。その覚悟もなく結婚するという言葉で私を釣っていた、その勝手さが今もって許せないのです。彼は映画監督として素晴らしい業績をあげています。時として人格にまで触れ、人間性まで称賛されています。芸術的な成果と人間的な誠実さは関係ありません。私は恐ろしく不誠実な半面を目撃・・・・、いや体験した人間です。確かに若い私が安易に結婚を夢みたことはおろかだったでしょう。しかし恋の成就がなかったとわかった後も、それが情熱を傾けるに足るいい恋のままだつたら、芸の肥やしにもなりましょう。しかしあの方はそう思う手がかりも足がかりも壊してしまった。連載の14回目の最後に書いた私がこうむった肉体的な(精神的な事より肉体的なことの方が立ち直れないという意味ではずっと後遺症として大きいのです)痛みは大げさでなく、私のその後の人生のすべてを支配することになりました」
(有馬稲子さん、あなたは女優でしょう? 様々な人間模様を演じてきたはず・・・・演じてきた愛は、理屈通りにことが運ぶものではなく、惜しみなく与えたり、奪ったり、傷つけあったりするものだったのではありませんか?・・・・愛とはそういうものです)

先日、犯罪の時効廃止が決まり即日施行されたが、男と女には時効があったほうが幸せになれると、私は思うのだが・・・・。
一度しかない人生、怨むことに使う時間はもったいない。そして、その時間はその人の人間的魅力を確実に奪ってゆくのだから・・・・。

# by pubfujiya | 2010-04-29 12:45 | エッセイ

中国死刑執行と鳩山首相

2010年4月6日午前9時30分(現地時間)、中国・遼寧省高級人民法院(日本の高裁に相当)は麻薬密輸罪で死刑判決が確定した赤野光信死刑囚に対し、大連市看守所で刑を執行した。そしてさらに9日午前10時(日本時間同11時)に、武田輝夫(67)、鵜飼博徳(48)、森勝男の3人に対し、刑が執行された。武田死刑囚は2003年6月、遼寧省大連市で中国人から覚醒剤5キロを買って小分けにし、日本人ら5人に渡すなどしたとされる。同7月、鵜飼死刑囚は大連から大阪行きの飛行機に乗ろうとした際、約1・5キロを所持、森死刑囚は同省瀋陽市内の空港で1・25キロを日本に持ち出そうとしたとされている。これは、中国政府が麻薬撲滅への強い姿勢を海外に示す狙いがあるとみられる。
この中国の死刑執行について、鳩山首相は、4月6日、「ギョーザ事件が一応解決の方向に向けて動いていた矢先だけに、残念だ」と遺憾の意を表明した。日本人の対中感情への影響については、首相は記者団に、「それぞれの国の司法制度があるので、内政干渉的なことを言うべきではない。一般国民が中国はこわい国だと思うかもしれないが、しかし、それが日中関係に亀裂を生じさせないよう、政府として努力していく」と述べた。私はこの言葉を聞いて本末転倒ではないかと、首相の真意を疑った・・・・それは、中国の死刑執行に抗議するのでなく、逆に、そのことで日本国民の対中感情が悪化しないよう配慮するというのであるから、「いのちを、守りたい」と力強く言った首相の言葉はどこへ行ってしまったのだろう。
中国側は、まず赤野死刑囚一人の死刑を執行して民主党政権の反応を見た・・・・強烈な反発がなかったから、さらに続けて森死刑囚ら3人を執行したのだろう。

鳩山首相が、少々うわずった声を張り上げて 「いのちを、守りたい」と演説したのは、わずか2ヶ月ちょっと前だった。二十数回繰り返した「いのちを守る」という言葉は、首相が国民に最大限にアピールした価値観だったはずだ。それほどの 「いのち重視」の首相にしては、中国で死刑執行された日本人についてのコメントのそっけなさはどういうことだろうか・・・・。
死刑囚が麻薬犯罪にかかわっていたことは憎むべきことであり、私はその罪を軽く見る気も、死刑に同情する気も毛頭ない。だが、日本国民の「いのち」を守る立場にある首相の日本人の「いのち」への無関心ぶりに、私は首相としての資格に疑問を抱いた。
中国には中国の司法があると首相は言うが、国際社会の良識は、その中国の司法の在り方に疑問を投げかけている。中国の司法によって多くの言論人が拘束され、情報が遮断され、チベット人やウイグル人が弾圧され、殺害されてきた。中国の司法がまともではないことは公知の事実であり、各種裁判は政治的要因で大きく左右され、適切な審理が行われるケースは稀だというのが、中国の司法に対する世界の常識的見方である。
今回の6日に刑が執行された赤野死刑囚は、1審の大連市中級人民法院で死刑判決を言い渡された後、控訴した。控訴理由のひとつに、取り調べ通訳が正式な通訳資格を保有していない点が挙げられていた。中学時代の同級生らが、公正な裁判を求めカンパを募り援助に動いたが、その一人が、赤野死刑囚が「取り調べや裁判で、中国人通訳が自分の意思を正確に伝えてくれていない」と話していたと語っている。彼らは、集めた資金で2審の弁護を中国人弁護士に依頼したが、この弁護士との接見が許されたのはたった1度だったとも報じられている。
薬物犯罪が重大な犯罪であることは、世界中が充分に承知しているが、しかし今、薬物犯罪者への死刑適用の是非が問われている。人権団体「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」の土井香苗代表は、中国は65種の犯罪に死刑を適用しており、汚職など、人命を奪ったわけでもない犯罪を含めて、このように多種多様の罪に死刑で対処する国は、「世界で例外的存在」だと非難している。中国政府は情報を開示していないが、「アムネスティ・インターナショナル」などの報告によると、2009年の全世界の死刑は714人、内訳はイランが少なくとも388人、イラクが少なくとも120人などである一方、中国は3千人から1万人の処刑を行ったとみられている。全世界の死刑執行数のおよそ14倍の処刑を、一国で行っているのである。14億近い世界一の人口を抱える国ということを考慮しても、まさに、中国は紛れもない死刑大国、それも超大国である。

声を嗄らして「いのち」を連発した鳩山首相は、その言葉に一片の真実が含まれているならば、中国のこのすさまじい人権侵害、いのち軽視の無残さに、なぜ、真剣な抗議の言葉のひとつも口にしないのだろうか・・・・それは、首相の「いのち」への誓約が、情緒的言明以上のものではないからである。彼の政治家として、まだ一度たりとも責任を全うしたことのないお坊ちゃま的な未熟さから飛び出した言葉に他ならない。せめて、「充分な審理や陳述の機会を与えられたのか?」くらいは、中国に物申して迫る気迫が欲しかったと思うのは私だけだろうか・・・・。
首相は中国には中国の法律がある、それを尊重すべきだと語っているが、だが、法律だからといって、中国政府の定めた法律に日本国政府が無条件に従ってよいものだろうか・・・・たとえば1992年2月25日に、中国が突然作った法律が「領海法」である。同法で、中国は尖閣諸島も南沙諸島も西沙諸島もすべて中国領だと宣言した。2005年3月には、反国家分裂法が発表された。台湾独立へのいかなる動きも、国家分裂の動きとみなして、これを「絶対に許さない」「いかなる外国勢力の干渉も受けない」、必要なら「非平和的な方式」つまり、軍事的手段を「実施に移す」とする内容だった。
日本国首相であるならば、覇権主義と独善性に凝り固まったような中国の国内法を尊重するなどという馬鹿げた言葉は、口にするべきではないだろう。
重罪を犯したとはいえ、充分な審理を受けたとも、充分な弁明陳述の機会を与えられたとも思えない日本国民のために、日本国の首相として、とりわけ「いのちを守りたい」はずの首相として、中国に意見も言えずしてどうして国を守れるのか!。
現代のアヘン戦争とも言われた2009年12月29日、麻薬密輸で有罪判決を受けた英国人アクマル・シャイフ死刑囚の死刑が執行された。同被告の助命のために、ブラウン首相始め英国社会は総力で取り組み、英国政府は中国政府に執行の停止を10回も呼び掛けた。しかし、聞き入れられなかった。駐中国英国大使は自ら新疆ウイグル自治区に出向き、同被告との面会も行った。
処刑後、ブラウン首相は声明を発表し、「シャイク氏の処刑を最も強い語調で非難する。鳥肌が立ち、絶えず取り組んできた助命努力が台無しになったことに失望している」と述べた。 ミリバンド英外相も、「シャイフ氏の精神状態と裁判の過程で不正確な通訳の問題などへの配慮がないまま死刑が執行されたことに深い遺憾を示す」と話していた。
比べてみると、犯罪者とはいえ、愚かな首相を持つ日本国民のなんと哀れなことか・・・・。
<中国の死刑囚>
中国では、死刑囚も20数人の雑居房に入る。死刑囚は18キロに上る足かせを両足に強いられ、房の中では、壁に固定された長さ40センチの鉄の鎖で繋がれ、朝用便をするときしか外されない。昼間尿意をもようしたときはペットボトルにさせられている。足かせは刑が執行されるまで外されない。面会などの際には、あまりの重さに両手で足かせを動かしながら少しづつ進むという痛ましい姿らしい。
朝5時45分起床。寝具の片付け、洗顔、掃除を終えて7時頃、白粥と漬物の朝食を摂る。8時から11時まで反省の時間。胡坐をかき背筋を伸ばしてひたすら瞑想する。昼食後、昼寝をしてから午後1時から5時までまた反省の時間。反省時間は1日計8時間に及ぶという。昼食と夕食にはスープも付くが、具は夏はキャベツ冬は白菜という質素なものだ。夜はテレビドラマを見る娯楽時間もあるが、よく登場するのは日中戦争の反日ドラマだという。雑居房には「老大(ラオダ)」と呼ばれる親分がいて囚人たちにらみをきかす。大抵暴力団あがりで囚人を苛め、特に日本人は「鬼子(ゲイツ)」と侮蔑の言葉で呼ばれ苛められるそうだ。この「老大」に嫌われると食事も少ししかもらえない。(中国で死刑囚と同房した囚人の証言)
死刑執行は、7日前に本人に通知される。臓器提供を希望する死刑囚は同意書にサインし、健康検査を受ける。執行に先立ち、家族に最後の面会が認められることもある。最近の死刑は薬物注射で執行される。
中国での死刑執行は、見せしめ効果以外に、その数の多さから死刑囚の身体はまさに宝の山であるらしい。全身の臓器が摘出され、裏売買されているという。2001年6月米国へ亡命した天津武装警察医院の王国齊医師は、アメリカ議会で証言したことによれば、処刑場や火葬場で、銃殺処刑されたばかりの死刑囚から皮膚や目の角膜を摘出したことを100回以上経験してきたという。時に死者の心臓がまた鼓動しているのに、摘出が行われたこともあると明かした。

13日に終わった核安全サミットから首相が帰国した直後、14日付の米ワシントン・ポスト紙は人気コラムの中で、出席した36人の各国首脳たちがオバマ米大統領との近さを競い合ったとしたうえで、「このショーの最大の敗北者は断然、哀れでますますいかれた日本の鳩山由紀夫首相だった」と鳩山首相を酷評した。 コラムは看板記者のアル・カーメン氏の執筆で、「首相はオバマ大統領との公式会談を望んだとされるが、夕食会の席での非公式な会談が慰めとして与えられただけだった」と解説した。 米政府のこうした対応の理由について、「日米を分断している沖縄の米軍普天間飛行場問題を通じ、鳩山首相はオバマ政権の高官たちに、信頼できないという印象を植え付けた」と指摘した。さらに、「ますますいかれた」との表現は、「オバマ政権高官たちの評価」だとした。一方で、「オバマ大統領と90分にわたって会談した胡錦濤・中国国家主席は、勝者リストのトップに位置した」と指摘し、大統領が胡主席に握手をしながらお辞儀する写真を掲載した。
首相は、オバマ大統領と非公式会談(?)を終え上機嫌で、「じっくりと二人だけで」話が出来た」と語った。しかし、この会談は夕食会の最初の10分間で、米側の精一杯の配慮で大統領と隣り合わせの席になり、大統領が各国首脳に「10分間、食事をしておいてほしい」と呼び掛け、各首脳が食事中のときである。事実上、「立ち話」程度であり、米メディアはその理由を「オバマ大統領が米軍普天間飛行場移設問題で、鳩山首相をまるで信用していないため」(CNNテレビ)と端的に表現した。これを非公式会談と呼べるのだろうか・・・・。
「じっくり」を辞書で調べてみると「落ち着いて時間をかけ十分に物事をするさま」とある。首相は、十分(じゅうぶん)と十分(じゅっぷん)を間違えたのかなぁ・・・・。
核問題のサミットで唯一の被爆国が公式会談を外されたのは異常事態である。どうしてこう軽んじられたのか首相はわかっているのだろうか・・・・。
この会談の主なやりとりでは
鳩山首相  「日米同盟は大変大事だ。その考え方の中で今努力している。5月末までに決着する。大統領にもぜひ協力を願いたい」
米大統領  「あなたは『私を信じてほしい(トラスト・ミー)』と言った。しかし、何も進んでいないではないか。きちんと最後まで実現できるのか(Can you follow through?)」
鳩山首相  「岡田外相とルース駐日米大使との間で交渉している。沖縄の負担軽減が日米同盟の持続的発展にも必要だ」
首相は、大統領の質問とは逆に岡田外相とルース駐日米大使に協議させる、と人ごとのようだった。これには、大統領も堪忍袋の緒が切れたのではないだろうか・・・・両首脳間にもはや信頼関係が成り立っていないことがが明らかである。
首相は普天間問題で、昨年11月の首脳会談でオバマ大統領に、「トラスト ミー(信じてくれ)」と胸を張っていたのが、今では 「ご協力を願いたい」に変わっていた。

時事通信社が9~12日に実施した4月の世論調査によると、鳩山内閣の支持率は23.7%となり、政権運営の「危険水域」とされる2割台に落ち込んだ。
国内外とも四面楚歌の中で、この首相には何故か危機感が感じられない。常に母親に尻拭いをしてもらって育ったせいか「そのうち誰かか何とかしてくれるだろう」とでも思っているのだろうか・・・・。
「国家の問題を解決するのは誰なのか」・・・・こう質問したならば、例のきょとんとした目で 「わかりません」とでも言うのかもしれない・・・・。

# by pubfujiya | 2010-04-18 12:36 | エッセイ
< 前のページ 次のページ >
line

My Blog by mama


by pubfujiya
line
XML | ATOM

skin by excite